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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

1.はじめに 

 辺見庸は、日本を代表する言論人の一人であり、鋭刃の批評を展開する評論家である。 

 

 受傷のコスモポリタン、戦闘的ペシミスト無頼派言論人、闘うf:id:eger:20161129201412j:plain芥川賞作家、流離のアナキスト、多彩な論陣を張るラディカリスト。さらに言えば、発言し続ける死刑反対論者、歴史の記憶殺しへの反逆者、東北が生んだ異色のジャーナリスト出身の評論家・詩人・小説家である。

 

 辺見庸著作を読み進めていくと、記述されている事項の多くに共感する。彼のエキセントリックな神経とともに、思考・視座のたしかさ、根太い「気質」も感じる。 

 

 これまでの私は乱読・多読気味で、いつも何かしら納得しないものが心に残っていたのだが、彼の作品(とくに評論)は異なっていた。読むと、もっと深く知りたいとの衝動に駆られた。そしていつの間にか、知り得たことや理解したこと、感じたことなどを自分なりに考え、そのうえで自分なりにまとめてみたくなった。

 

 これには困難があった。まとめる過程で、要約や部分的な文章を引用しながらの私なりの記述では満足できないことに気がついた。これでは辺見のイデーや生存感覚本意が伝わらない。これらを克服するには、やはり幾度も原文にあたり文脈や後背の思考を的確に抽出するしかない。そんなことを何度も繰り返したのだった。 

 

 辺見庸著作を読み進むにつれて、私の「精神の地下茎」の中で、彼の言葉と私の内語が激しく共振するのを覚えた。出会いの喜びとはこのことかと思うほどであった。

 

 ただし、私は辺見庸の思想、感性、気質などを高く評価するが、一部に異論もあるし、不満な点もある。それについてはおいおい記していきたいと考えている。 

 

 残念なことは、辺見庸が現在、この国における卓越した言論人であるにもかかわらず、彼の思想と行動が「まっとうに」受け入れられなくなっていることである。その点は米国におけるノーム・チョムスキーの状況に似ている。

 

 辺見庸の真骨頂は「論評」または「批評」にある。そしてその表現対象の範囲は広く、政治、戦争、経済、死刑制度、言語、マスメディア・ジャーナリズムなど多岐にわたる。

 時事評論なんてその時々で消えてゆくものとするのが一般的だが、辺見庸の実時間での評論は歴史の記憶に残ると確信する。

 

 彼の比類なき読書量の多さと天才的な読解力。それを一層促し、彼が賛意を示し、彼の思考に刺激を与えた人びとがいる。

 

 武田泰淳堀田善衛石原吉郎尾形亀之助丸山眞男阿部謹也 藤田省三中野重治小林秀雄市川浩柄谷行人吉本隆明夏目漱石埴谷雄高、大道寺将司、田中克彦尾形亀之助、・・・。

 

 プリーモ・レーヴィジョルジョ・アガンベンジョージ・オーウェルハーマン・メルヴィル魯迅ベルトルト・ブレヒト、ジョン・ダワー、フランツ・カフカカール・マルクスハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーハーバート・マーシャルマクルーハン、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーヴァルター・ベンヤミンノーム・チョムスキージャン・ボードリヤールジル・ドゥルーズ、H.マクルーゼ、・・・。

 

 これらの人びとの作品(著作)以外に、世界の戦場をつぶさに見てきた体験と、芸術(絵画、音楽、写真、映画)への比類なき観賞力が辺見庸にはある。 

 

 真摯さと人間への深い洞察。決して妥協することなく挑む真っ向勝負。権威、権力、資本と妥協しない、すり寄らない、諦めない。そして抗暴のメッセージを発信し続ける。

  

 付記

 辺見庸の作品が、私のこの研究ノートにおいて誤読され曲解されることによって、辺見庸のよき読者たちからひんしゅくをかうかもしれない。その懸念はある。 

 引用・参照については、原作者の意を的確に伝えたいと思うとつい引用が過多になりがちだ。自戒しつつ書き進めるつもりである。

これらの点で問題があればご指摘願いたい。

 

  このブログでの引用・参考文献一覧

辺見庸 著作

 

評論・随筆・ルポルタージュ

『ナイト・トレイン異境行』文藝春秋、1991年。のち『ハノイ挽歌』と改題、文春文庫、1995年。 

『もの食う人びと』共同通信社、1994年。のち角川文庫、1997年。

『反逆する風景』講談社、1995年。のち鉄筆文庫、2014年。 

『眼の探索』朝日新聞社、1998年。のち角川文庫、2001年。  

『独航記』角川書店、1999年。のち角川文庫、2004年。

『単独発言 99年の反動からアフガン報復戦争まで』角川書店、2001年。のち『単独発言 私はブッ シュの敵である』と改題、角川文庫、2003年。

『永遠の不服従のために』毎日新聞社、2002年。のち講談社文庫、2005年、鉄筆文庫、2016年。  

『いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年。のち講談社文庫、2005年。 

『抵抗論―国家からの自由へ』毎日新聞社、2004年。のち講談社文庫、2005年。

『自分自身への審問』毎日新聞社、2006年。のち角川文庫、2009年。                                                                                                

『いまここに在ることの恥』毎日新聞社、2006年。のち角川文庫、2010年。 

『記憶と沈黙 辺見庸コレクション1 』毎日新聞社、2007年。

『言葉と死 辺見庸コレクション2』毎日新聞社、2007年。

『たんば色の覚書 私たちの日常』毎日新聞社、2007年。のち角川文庫、2011年。

『愛と痛み 死刑をめぐって』毎日新聞社、2008年。のち河出文庫、2016年。

『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』大月書店、2009年。のち角川文庫、2010年。

『私とマリオ・ジャコメッリ 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて』日本放送出版協会、2009年。

 

『美と破局 辺見庸コレクション3 』毎日新聞社、2009年。

『水の透視画法』共同通信社、2011年。のち集英社文庫、2013年。

『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』NHK出版、2012年。 

『死と滅亡のパンセ』毎日新聞社、2012年。  

『明日なき今日  眩く視界のなかで』毎日新聞社、2012年。

『国家、人間あるいは狂気についてのノート―辺見庸コレクション4 』毎日新聞社、2013年。 

『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム毎日新聞社、2013年。   

『もう戦争がはじまっている』河出書房新社、2015年。

『1★9★3★7(イクミナ) 』金曜日、2015年。のち『増補版1★9★3★7(イクミナ) 』河出書房新社、2016年、『完全版1★9★3★7(イクミナ)』(上・下巻)角川文庫、2016年。

 

対談、共著

『不安の世紀から』角川書店、1997年。のち角川文庫。(後半は評論)。

『屈せざる者たち』朝日新聞社、1996年。のち角川文庫、2000年。 

『新・屈せざる者たち』朝日新聞社、1998年。のち角川文庫、2000年。 

『夜と女と毛沢東吉本隆明辺見庸文藝春秋、1997年。のち文春文庫、2000年。光文社文庫、2006年。

『私たちはどのような時代に生きているのか―1999年』辺見庸高橋哲哉角川書店、2000年。

『この国はどこで間違えたのか ~沖縄と福島から見えた日本~』辺見庸内田樹ほか、徳間書店、2012年。
『新 私たちはどのような時代に生きているのか― 1999から2003へ』辺見庸高橋哲哉岩波書店、2002年(上掲書を所収)。 

『反定義 新たな想像力へ』辺見庸坂本龍一朝日新聞社、2002年。のち朝日文庫、2005年。

『絶望という抵抗』辺見庸佐高信、金曜日、 2014年。

『流砂のなかで』辺見庸高橋哲哉河出書房新社、 2015年。

 

小説

『自動起床装置』文藝春秋、1991年。のち文春文庫、1994年。新風舎文庫、2005年。 

『傷んだハートにこんなスチュウを』世界文化社、1992。 

赤い橋の下のぬるい水文藝春秋、1992年。のち文春文庫、1996年。 

『ゆで卵』角川書店、1995年。のち角川文庫、1998年。 

『闇に学ぶ 辺見庸掌編小説集 黒版』角川書店、 2004年。

『銀糸の記憶 辺見庸掌編小説集 白版』角川書店、 2004年。

青い花角川書店、 2013年。  

『霧の犬』鉄筆、 2014年。

詩集

『生首 詩文集』毎日新聞社、2010年。

『眼の海』毎日新聞社、2011年。

*近年のインタビュー内容の記事などについては別途記載。

辺見庸氏の著作物(単行本・雑誌掲載)や講演録、インタビュー記事などは、

CiNii Articles及びCiNii Books(NII学術情報ナビゲータ:国立情報学研究所主宰)を参照されたい。

 http://ci.nii.ac.jp/books/  http://ci.nii.ac.jp/