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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

2.精神の地下茎 (その1)

 辺見庸の創作活動、表現活動の基礎ないし精神の地下茎は、生まれ故郷である岩手県石巻で高校までを過ごしたこと、そして新聞記者であり中国への侵略戦争に出征した父の影響を深く受けている。 

 

 石巻は、彼の作品の記憶の風景(後景)であり、石巻市南浜町は彼の「感官のあらかたをこしらえたところ」(『死と滅亡のパンセ』毎日新聞社、2012年、150ページ)である。「故郷は、誇りうるものでもない、突き放すものでも排除するものでもない。しかし、自分の血と肉と骨と声を、考える方法を形成してきた場である」とも言っている。(『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』NHK出版、2012年、19―20ページ)。

 

 その後、60年代末から 70年代の学生運動の時期に東京で青年期を過ごした。彼にとって激動の時期であった。精神の根幹が形成された。

 当時は、世界的に見ても、1968年は国際的動乱の年であり、アメリカの学生運動に始まり全世界にひろがった。ベトナム戦争に反対する平和運動はフランス、米国、ドイツ、日本などに広がりを見せた。背景には米ソという二大国の対峙と冷戦構造があった。

 

 辺見庸は幼いころから「自分は海の向こうに行く」と心に決めていた。彼は早稲田大学第二文学部を卒業後、共同通信社の記者になった。共同通信社横浜支局で公安担当記者として勤めたのち、米国に1年半ほど研修留学、その後、ハノイと中国に特派員として勤務した。そして四半世紀、共同通信社で活躍したのち退社、文筆業に専念している。

 

 辺見庸は40歳代から60歳代にかけて自己の全存在を賭けて表現している。彼の評論は、精神の地下茎から噴き出た屹立する木であり寒風に耐える枝葉が、政治、戦争、経済、死刑制度、マスメディア・ジャーナリズム、言語などへの鋭刃な評言として生い茂っている。

 

 20数年間で評論、随筆、詩集、小説など併せて約30冊を辺見庸は発表した。改題や再掲などがあるため実質は20数冊であるが、小説『自動起床装置』で芥川賞を受賞、『もの食う人たち』で講談社ノンフィクション賞、詩集『生首』で中原中也賞、詩集『眼の海』で高見順賞を、『1★9★3★7(イクミナ) 』で城山三郎賞を受賞している。

 

 評論家として彼は、いま、最も「過激」な考えをもつ反逆する表現者であると捉えられているが、受傷した者こそが真実の言葉を発することができる。怒りが身体のなかに埋め込まれている。「寒風」の時代の中、辺見は低く呟く。

 

 言論状況は好転どころか、著しく悪化している。天皇、いわゆる「従軍慰安婦」、死刑制度という三大テーマは、かつてよりよほど語りにくく、身の危険を覚悟することなしに、公然と本音をいいはなつことは難しい。事実、まつとうな議論を臆せずしたがために、理不尽な攻撃を受けている人々がいまもいる。「自由とは、人の聞きたがらないことをいう権利である」とジョージ・オーウェルは語ったけれど、その意味で、この国に言論の自由はない。

『永遠の不服従のために』毎日新聞社、 2002年、41ページ。

 

 辺見庸は自分と世界との関係を凝視し続ける。新しい内部、内面をつくれ、個として。外部はもういい、外部に注目したり投資するのはやめろ。みずみずしい精神の種子を撒き、精神の地下茎を育み、豊かにせよ。そして幹を太くし、葉を茂らせろ、彼はそう言っているのだと思う。

 

 その発語は、悲痛な叫びとして私には聞こえてくる。

 さっき坂本さんがいってた音楽表現の問題にしても、単に反戦的なメッセージでなくて考えるとすれば、内宇宙を深めることが大事なんだと思う。外宇宙については、もう十分つかめてきたし、手も足も伸ばしてきた。伸ばしすぎぐらいだと思うんです。で、世界には外宇宙しかないというのは、世界には市場しかないというのと同じくらいばかな原理主義だと思うんです。外宇宙と同じくらい未知の広い領域が人間の内宇宙にもあるという想定を捨てたとき、核兵器の製造などが可能になったんだと思う。

対談『反定義  新たな想像力へ』辺見庸坂本龍一著、朝日新聞社、2002年、183ページ。

  

 なお、辺見庸の短編・掌編小説や随筆、詩は、同じく精神の地下茎から出てはいるが、それらは評論・批評とは異なり,、湿地帯に群生する背の低い木々に似ているように思われる。