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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

4.辺見庸への問い

 20世紀末から21世紀初頭にかけての、辺見庸の意識と言動を著作から探求し、まとめてみたい。

 

 探求したいことを次の「問い」として示す。辺見庸の独自の見識を腑に落ちるまで知るために。

1 死刑制度反対の根本的な理由はなにか

2 なぜ「全的滅亡」なのか

3 歴史の記憶殺しをする者(安倍・日本会議等)の罪とは何か

4 なぜ「存在することの恥」を述べるのか

5 マスメディアはどこが「だめ」なのか

6 憲法9条の意義の本当の意義は何か

7   なぜ天皇制廃止を主張するのか

8   石川淳の『マルスの歌』は、今の日本の状況にいかなる意義をもっているのか

9 なぜ、クライムだけをあげつらうことに対して怒るのか

10 なぜエロスが衰微したのか

11 なぜ辺見庸は、「SEALDsに批判的なのか

12   なぜ「個」なのか

13 なぜ「身体性」なのか

14 なぜ辺見の消費資本主義への批判が、状況のブレイクスルーへと架橋しないのか

15 「過激」と受け取られる発言をなぜあえてするのか

 

 これらの「問い」は、個々の問いであるように見えるが、実は互いに深く関連したものである。また、これらの「問い」はわたし自身への問いでもある。辺見の全著作に戻り、じっくりと読み直したい。

 

 この研究ノートでは、これらに「短答式」で答えるのではなく、鍵となる思考課題について考え、その結果を踏まえて「解」を導き出するようにしたい。できればその過程で、皆様からの忌憚のないご意見などをメールでお聞かせ願いたい。それによって「解」が質の高いものになり、それを共有できればと願っている。記述は、ブログという性質上「徒然なるまま」であるがご容赦いただきたい。ところで、

 

 辺見庸はこんなことを呟くように書いている。

 僕は人様の作品をいろいろ言うのはあんまり好きじゃないんです。そこは阿吽の呼吸というか、あれこれ評価を加えることは一切しない。僕はそれがすごく気に入っています。そもそも、僕は、実作は薦めるけど、評論は薦めないんです、自分にも人にも。

だって、よっぽどのものは除いて、評論はつまらんでしょう。苦しんで己が実作してこそなんぼであって、評論や作品選考なんてのは次元の違う、どこか政治的な世界です。

『明日なき今日  眩く視界のなかで』毎日新聞社、2012年、149ページ。

 

 「評論は好きでない」「評論はつまらない」という辺見はいう。だが、彼の詩や小説・掌説以外の多くの著作には、実際「評論」「批評」がかなり組込まれている。それらは一般的には「評論集」「批評集」そしてその色彩が濃い「随筆(随想)集」といってもよいものばかりである。そして、それらは「実作」に匹敵またはそれ以上の質の評論、批評であると言ってもよい作品ばかりである。

 

 辺見が実作にこだわるのを理解できないでもないが、表現される作品の分類にこだわらないのが彼の見識ではないのか。評論も一つの実作である。実作としての内容を備えていての話だが、この研究ノートは実作をめざして書き進めたい。