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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

8.鋭い言説、「過激」な発言

 辺見庸の評論は「剛速球」である。常に真剣勝負だから、いい加減な「球」は投げない。そのような「投球」のなかで、思わず「おっ」と思ってしまう「過激」な「投球」(言説)がいくつか見受けられる。

 

 「メディア知」または劣情に左右される「世間の常識」からすれば、たしかに「過激」な表現に見えるかもしれないが、辺見にすれば「過激」ではなく「根源的」なのであり「真」を語っているだけなのだ。軟弱な姿勢や薄っぺらな理解ではとうてい辺見の「投球」を受け取ることができないだろう。ましてや「打ち返す」ことなど不可能だ。

 突き詰めた思索は、肯綮そして真を捉えており、真は常に過激な性質をもっている。辺見は独り思索を深め、真に想到しているのである。

 

 世間での発想からいったん離れ、辺見庸の内宇宙に目を向け、言説や発言の真意を直覚することに集中すれば、彼の表現が単に過激に、ましてや危険にみえても、そのこと自体はまったく問題でないことが理解できるであろう。

 そのためには虚心坦懐になる心ばえと、彼の思索をたどり自らも考えることが必要だ。

「もう戦争がはじまっている」時代に、過去の記憶、歴史を繰り返すことなく、殺されず、ましてや殺戮に与しないために、せめてまず『1★9★3★7(イクミナ) 』を読んでみてはどうだろうか。

 

メディア知に毒され思考停止の状態から、個体知の回復を図るのである。

 ~辺見庸の言葉から~

 単純にして最小限の想像ですけど、もしぼくがパレスチナの西岸やガザ地区などに生まれていて、いまのようなかたちであんなでたらめな空爆をうけたら、八割ぐらいの確率でぼくはいわゆるテロリストになりますよ。親を殺され、妹を殺され、赤ちゃんを殺されたら、黙ってないですよ。

『反定義 新たな想像力へ』辺見庸坂本龍一共著、朝日新聞社、2002年、120ページ。

  

「映画でも文学でも偽善は絶対いけない。だからこそ安っぽいピューマニズムもいけない。だれにでも利用されるような、どんな政党にも、どんな政治的綱領にも使われるような安手のヒューマニズム、人権という言葉はいらないと思うのです」。

『不安の世紀から』角川書店、1997年、226ページ。

  

 最近何度かインタビューを受けたけど、それは大抵日本はどうなるんだ、どういうふうに復興すればいいのかというものなんだ。そういう質問じたい不愉快なので、この際一回滅びたほうがいいんじゃないかと言うと、正気なのかという目で見られて、けっきよくそれはなかったことにされて新聞に載らない。ぼくは本気で言ったのにね。こんなインチキな国はなくなったっていいじゃないか、棄てちまえ、と。いくらニッポンでも千人に聞いたら一人ぐらい言うよ、この際一回なくなってしまったほうがいいじゃないか。そういった言説を全部きれいに消していく作業だけは、メディアの連中は見事にやる。みな「自己内思想警察」がいる。

 『死と滅亡のパンセ』毎日新聞社、2012年、83-84ページ。