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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

9.それでも死刑に反対である

  「死刑制度は原発に似ている(鵜飼哲)」と言われても、即座に理解できる人は多くはない。ましてや戦争や天皇制の問題にも通底している問題だとの考えにも思わず考え込んでしまうだろう。そのようななかで辺見庸は、死刑制度の廃止を強く訴えている。

 死刑制度については、その実態をしっかり知っておきたい。

 

 第一、ほとんどの人が死刑がどのように行われているのかを知らない。知らされてもいない。死刑をめぐる知識も極めて貧弱なのだ。まず

【AMNESTY INTERNATIONAL】のWeb siteを、ぜひ閲覧されたい。

 https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/death_penalty/qa.html

 

 そのうえで、団藤重光『死刑廃止論有斐閣も読んでおきたい。

 死刑制度については、安易に世論調査の結果で判断するべきではない。

 回答割合や多数意見は、その時期の人びとの思いや感想、考えとして参考程度にとどめるべきで、それでもって制度の存置の根拠にするのは避けるべきである。

 

 死刑制度の廃止については別稿で述べるが、死刑制度には多様な制度が現存している。

<存置>  :反逆罪、戦時の逃走などに対してのみ存置、存置するが執行停止又は凍結

<廃止> :全廃、規定なし、平時廃止、通常犯罪は廃止

その他>:武器使用者に対する公権力による「銃殺」(みなし死刑執行)がある。

 

 辺見庸は次のように述べている。

 「死刑制度」を考えてみてください。戦争については常に「国家的正当化」が成り立つのに、刑事犯罪としての「私」の殺人には一切の “正当化は許されない。これは「人間的」と「非人間的」という人間性が併せもつ矛盾を考えるうえで大事なポイントです。

 『単独発言 99年の反動からアフガン報復戦争まで』角川書店、2001年。のち角川文庫、(『単独発言 私はブッシュの敵である』2003年)、92ページ。

 

 

 「死刑はどのような種類の死生観をもってしても正当化のできない、私たちの集合的無意識の犯罪です。その延長線上で徹底的にこだわりたいのは、この抹消、削除の行為なのです。

 『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム毎日新聞社、2013年、53ページ。

 

読み進むうちに、思わず息をのむ文章を、辺見の著作で目にした。

 

 武田泰淳「・・・軍国主義というのは、簡単に克服できると思ったら、とんでもない間違いで、自分で切腹するくらいの覚悟がなくちゃね、軍国主義はいかん、とはいえないんだね。その点は、ぼくは間違ってたけど・・・」(『対話 私はもう中国を語らない』)。

 あるきながらおもう。わたしはそれでも死刑に反対である。南京大虐殺の実行責任者にたいする死刑にも。

『もう戦争がはじまっている』河出書房新社、2015年、152ページ。

 

 「それでも死刑に反対である。南京大虐殺の実行責任者にたいする死刑にも」と辺見が述べるということは、死刑廃絶への思いが並々ならぬものであることを示すものである。 (そういえば、中山千夏ヒットラーでも死刑にしないの?」』築地書館 、1996年、というわかりやすく的確な内容の本があったことを思い出した)。  

 

 世界で198の国・地域、140カ国が死刑制度の廃止・停止をしている。いわゆる先進国の中でいまだに「死刑」が続いているのが、日本と米国だ。日本弁護士連合会は  「死刑廃止宣言」を2016年10月に出している。米国でも、州単位で死刑の廃止・停止の大きな流れがみられる。

 

 国の罪業としての戦争とそれに通じる死刑は廃止するべきである。すぐにでも死刑執行停止をしなければならない。十年かけても五十年かけても全廃する。遅れれば遅れるほど国自体が自らのクライムによって自壊する。廃止のための根拠となる「理知」は、罪業の解消への人類の責務の実践にかかっていると強く思う