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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

14.拉致問題 

 北朝鮮が日本や韓国から罪もない多くの民間人を拉致したことは許されることではない。拉致は国家の悪業・非道の行為である。拉致問題を国策、外交カードに利用する北朝鮮の権力者の罪は看過できない。

 

 しかし、日本政府の世論操作に問題はないのか? 日本のアジア侵略、朝鮮統治、戦時での多くの朝鮮人徴用(強制連行)、そして戦後の朝鮮戦争への関与、政府は北朝鮮による拉致問題をあげつらう前に最低限これらのことの銘記が必要である。それを等閑にしたまま拉致問題を被害者づらして糾弾するのは日本政府の傲慢以外何ものでもない。

 

 また、結果的に日本政府に利用されている拉致被害者の家族の見識は問われなくてよいのか?少なくとも彼らは、自らの歴史認識を明らかにしたうえで、拉致被害者家族としての「要求」を再吟味するべきではないのか。マスメディアへの露出が多いが、世間の「賛同」にいつまでも「時の人」として乗っかかった言動は慎むのが良識というものである。拉致された被害者の家族としての怒りや無念は理解できるものの、それを日本の侵略・統治の歴史認識の抹殺の使い走りに利用されたり、軍拡ひいては憲法改悪にもっていこうとしている安倍ファシスト内閣や右翼団体に資するようなことはしてはならない。被害者家族たちは、少しは「陰熱」にさいなまれる「個」としての佇まいを示したらどうか。「決起大会」や「講演会」に引っ張り出され、いつの間にか実質上、来賓、講師に「成り上がって」いることを恥じるべきである。

 

 日本の歴史はアジア史のなかで捉えられなければならない。

 辺見の言葉に耳を傾けてみよう。

 「北の脅威」の一言でこの国の戦後リベラリズムは数少ない例外を除き情けないほど腰が引けてしまったのです。いまや言論の最低限のルール、最低限の異議申し立ての自由かもすら危うい。この空気は国家権力とマスメディアが手に手をとって醸したものです。かくして僕のような人間にとっては戦後の歴史のなかでも最も居心地の悪い社会状況ができてしまった。こうした状況下では徒労感なしにものを語るのは難しい」。

『いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年。のち講談社文庫、2005年、208ページ。

 

 

 拉致問題に関して、まつとうな発言をする人は少ない。僕自身、拉致報道と全体状況とのずれ、そのこわさを毎日噛みしめています。一方で、当然の歴史的観点を表現しただけで、北朝鮮寄りだとか利敵行為だとかいわれて右翼から脅される状況にいまはなっている。朝鮮半島のからむ現代史を正当に書きこむことすら、メディアは怯えてやれなくなっている。というより、北朝鮮への「ナショナルな義憤」に巻きこまれているうちに、権力と手を携えてナショナルな義憤をメディア自らが煽るようにさえなっている。リベラルを標傍してきた論者たちも、ここにきて多くが口をつぐむか発言内容をシフトしつつある。じつは、ここにも責任主体がない。対立の関係性が見えない。これまた、気分としての戦後民主主義の延長線上に生じた「鵺のような全体主義」が然らしめた風景なのではないでしょうか。メディアの担い手たちも言説の主たちも、意識が腐った海綿か珊瑚のように群体化し、相互に依存するのみで、もはや個体の独自性を表現しようとはしない。そうすることの恥辱もない。群体では恥の感情が消えてしまうのです。

『同上書』208-209ページ。

 

 

 北朝鮮拉致問題で、国はNHKに放送で取り上げるよう「命令」を出した。これほど危険なことはない.マスコミはなぜもっと怒らないのか。いまのメディアは羊のように権力に従順だ。北朝鮮といえば、世界であれほど例外的存在はない。あの国は日本の半島への歴史的かかわりの影響をあまりにも強く受けている。北朝鮮を日本人が嫌うのは『自分の国の過去の貌を見るような、歴史心理学で言えば複雑な心性があるからではないか。日本史はアジア史の中にあることを忘れてはいけない。北朝鮮批判は結構だが史実を曲げたり、あの国の人々の生存権や在日コリァンの尊厳を無視するようなやり方には絶対反対だ。

『記憶と沈黙 辺見庸コレクション1 』毎日新聞社、2007年、118-119ページ。

 

 辺見は「北朝鮮を日本人が嫌うのは『自分の国の過去の貌を見るような、歴史心理学で言えば複雑な心性があるからではないか』」と言うが、そのような心情をもっている人は(とりわけ三十代までの人に)わずかではないか。不十分な歴史教育と、意識産業としての「マスメディアが「記憶殺し」を行い、そのような世代を作ったのである。

 

 歴史に〈もしも〉と言うのはあり得ないが、「もしも日本による植民地支配がなかったら?」「もしも不幸な過去の歴史をもっと早く清算していたら?」拉致問題は起こりえただろうか。『同上書』195ページ

 (特にこれらの記述については、辺見の著作における前後の文章をぜひ読んでほしい)。