読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

15.信じられないこと

 ある日、辺見庸横浜駅西口前で、不思議な行動をとった?

 

 天皇は、私から視線を移さずに、片手を軽くうち振り、「あっ、どうも」という調子で、首をこくりと小さく下げた。私も、つられて、こくりと会釈した。同時に、右手をズボンのポケットからそろりとだして、ベルトのあたりまでもちあげ、行きすぎる天皇の方向に、汗ばんだたなごころを開いて、ためらいつつ、一、二回左右に動かしてみた。

 そして、「横浜駅西口前での、ゆくりなき出会いで、私は天皇昭和天皇ではなく、いまの天皇である)に、なにがなし、好感をもった」のである。

 『永遠の不服従のために』毎日新聞社、2002年、48ページ。

 

 これはいったどういうことなのか。平成天皇につい小さく手を振った辺見。

 辺見にすれば不意に「汗ばんだたなごころを開いて、ためらいつつ、一、二回左右に動かしてみた」のであり、そして「なにがなし、好感をもった」のであって、それを批判することは「人情の機微」「自然な情動」をも否定することだと反論もあるかもしれない。

 

 批判・反批判があることだろう。ここではそれについては述べない。一つだけ次の文を記すにとどめる。

 日本人は日常的に天皇制とそのイデオロギーにとり囲まれているので、それらとどのように向きあうかが、その人の思想性の真贋を測る物差しだと思います。天皇制を肯定し、皇室に親近感をもちながら侵略や差別、人権侵害、不平等と闘いぬくことはできません。天皇制と侵略、差別、人権侵害、不平等は同根だからです。

 大道寺将司 『死刑確定中』太田出版、1997年、38-39ページ。

 

 大道寺将司は次の俳句を詠んでいる。

君が代を齧り尽せよ夜盗虫」(『棺一基 大道寺将司全句集』太田出版、2012年)。

 死刑確定中の大道寺が、死刑、天皇制、革命をみつめる目はずっと変わらない。そのような趣旨のことを述懐していた辺見庸。だが、その辺見が天皇におもわず手を振る。天皇制および天皇についての鋭刃の批判はどうなったのか。いくらためらいつつであっても信じられない挙動である。獄中の大道寺将司が、このことを知ればきっと嘆き悲しむのではないか。

 

 もう一つ問題視されるべきことがある。辺見庸が「世界的傑作」と評価する短編「汝の母を!」がおさめられている武田泰淳全集(の開高健の巻末での解説)について、こんなことを書いている。

 「第5巻の開高解説には、泰淳が「どういうものか、靖国神社だけはお詣りを欠かしたことはありません。かならずお詣りをします」とあり、仰天した。それでも泰淳をきらいになったことはない。

出典 :辺見庸「異界を覘くことー『武田泰淳全集第五巻』(筑摩書房)について」『もう戦争ははじまっている』河出書房新社、2015年、256-257ページ。

 

 「それでも泰淳をきらいになったことはない」と述べる辺見庸の「意識」が解せない。辺見は武田泰淳の思考、生き方に賛意を示し「汝の母を!」などの作品を高く評価している。どこか中国的な雰囲気のある泰淳。大人(たいじん)の風格のようなものに好感をもっていたのかもしれない。

 

 そして、平成天皇につい手を振ってしまった辺見の挙動に通じることが、靖国詣でをする泰淳にたいする感想に読み取れる。

 これまで天皇制および天皇を厳しく批判してきた辺見。

 〇天皇発言(原爆投下についての記者からの質問に対して)

 〇吉本隆明の絶対感情

 〇天皇戦争責任

 〇「糞バエ」たち

 〇叙勲批判

 〇戦後の工作、新憲法制定

 〇矛盾溶解・無常観

 

 天皇に思わず手を振るとは。私なら絶対に手を振らない。苦々しく鋭い視線を投げかける。広島への原爆投下で殺された義父のことが記憶の奥深くに刻まれているから。

 

 武田泰淳靖国参拝を云々すること。これは左翼小児病の問題ではない。 

 また、中野重治天皇についての考え(天皇分離論)に、「畢寛、正と反の体内抑止機制から完全には脱却しえなかった人だ」と辺見は反発もするのだが、「指摘の質は五十五年後のいまもひどく重く、かつ完全に有効ではある」とし、暗に分離論を認めるかのような記述になっているのである。

 

 「天皇天皇家の人たちを、人間として人間身体として、どう考えるべきか.それはじつは昔のほうが言っていたわけですね。中野重治も書きました。天皇天皇制から解放せよ、と。昔の人はいいました。いま誰が言いますか?誰も言いやしない。『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム毎日新聞社、2013年、116ページ。

  

 そのあとの辺見の文章はどうも切れ味が悪いように読んでしまう。吹っ切れないまま書き進んでいるように思われて仕方がない。

 だが、なにごとも言うはやすし、だ。焼け野原に立つ天皇ヒロヒトと土下座するひとびとを目にして、道理の倒立をじっかんした堀田でさえもが、つぎのように告白するのである。

 「とはいうものの、実は私自身の内部においても、天皇に生命のすべてをささげて生きる、その頃のことぱでのいわゆる大義に生きることの、戦懐をともなった、ある種のさわやかさというものもまた、同じく私自身の肉体のなかにあったのであって、この二つのものが私自身のなかで戦っていた。せめぎ合っていたのである」。

 この二つのものとは、「天皇に生命のすべてをささげる」ことと「天皇戦争責任を問う」という、正反ことなるテーゼであり分裂する内心であった。わたしの父は前者にのめり(すくなくとも疑問とはせず)、後者の意識はまったく希薄であった。堀田にはさらにもうひとつのしゅるいの感情もあった。「瓦礫に額をつけ、涙を流し、歔唏しながら、申し訳ありません、申し訳ありませんとくりかえしていた人々の、それは真底からのことばであり、その臣民としての優情」を否定することも許されないだろう、というおもいもあったというのだ。そして政治がそうした「臣民の優情」をりょうし、「優情」にのうのうとのっかることは「許さるべくもない」とも書く。

『1★9★3★7(イクミナ) 』金曜日、2015年。のち『増補版1★9★3★7(イクミナ) 』河出書房新社、2016年、388ページ。

 

 事の本質を明察し実時間を生きることの困難ななか、「突け抜けられなかった(られない)」辺見の姿を見る。

 

 天皇制という長い歴史のなかで「日本民族」の精神は容易に変革できるようなものではないとでもいうのであろうか。戦時を生きるということは、「理知」が「妄念」にすり替わった状態で日々を過ごすことである。そのことを理解せよというのであろうか。