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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

17.自省または自責、吐露(その1)

 辺見庸は、作品のなかで率直に自省し、自責の念を述べ、心境を吐露している。これは生身の人間として生き、権威主義を拒否し、真摯に生きようとする辺見庸の佇まいの表れである。

 鋭く激しい政治評論や国家論、マスメディア論、ラディカルな思索による死刑制度廃止論、ストイックな視座からの随想など目を見張るばかりである。

 

 一方、『ゆで卵』や『赤い橋の下のぬるい水』といった小説やその他の掌編など、気取った「教養嗜好」をあざ笑うかのようなモチーフでの作品があり、そこでの表現は同一作者かと一瞬訝しく思われるむきもあるだろう。またはそれを辺見の「反骨」または「露悪趣味」とけとるむきもあるかもしれない。誤解である。

 上記のことは辺見庸の諸面を部分的に示したに過ぎないことは、次に掲げる一連の自省・自覚・自責・心情吐露を読了すれば理解されることだろう。いずれの面が辺見庸の本当の姿で、その他が仮の姿との受け取り方は、失礼ながら的外れである。

 

 辺見自身、音楽家の坂本龍一との対談で次のように述べている。「ぼくは国家と暴力とセックスの問題にとても興味を持っています」(対談『反定義 新たな想像力へ』辺見庸坂本龍一朝日新聞社、2002年、155ページ)。

 また別の箇所では「僕は食う、眠る、セックスという人間の根源に関心があった。形而下的といわれる営みにね」。(『記憶と沈黙 辺見庸コレクション1 』毎日新聞社、2007年、117ページ)と述べている。 

 ほんの一瞬頭によぎる意識でも、辺見は深く自省する。そこまで率直に言うのかと思ってしまうことも書いている。

 

 鋭く厳しい批評・批判をする者が守りに弱いことはよくあることである。弱みを見せないように、さらには弱みを偽り自衛したりする。だが、辺見は、自らをさらけ出すように書く。もちろんすべてをさらけ出してはいないのだが、論敵が突くかもしれないかもしれないことさえも吐露しているのである。

 

 辺見庸著作の中から抽出した以下の文は、人間性の豊かさ幅広さを示すだけでなく、彼の気質、心ばえを読み取ることができる。それだけでなく、彼の「スィン」(または恥)への考察が、常に自己に照らしたものであることを示していると思われる。

 

~仕事上(ジャーナリスト、文筆業)のことで~ 

 私はたくさんの悲劇を尻目に旅をつづけ、悲劇から悲劇へと渡り歩いた果てに、いま平然と生きてあるという自責に似たなにかの感情が抜けない。

『もの食う人びと』共同通信社、1994年。のち角川文庫、1997年、357ページ。

 

 ソマリアで「枯れ枝」のように痩せこけ飢え死しつつある避難民少女ファルヒアと、ウガンダエイズに罹り余命いくばくもない女性ナサカの二人の聖なる顔が辺見の体深くに埋め込まれていると述べる。

 

 軍医かボランティアの医療関係者を彼女のために呼ぶ努力もせず(ファルヒアのように死に瀕したものは当時たくさんいたから、頼んでも絶対に来てはくれなかったと思うが、言い訳にしかならぬ)、実にじつにただの傍観者として、その場を無責任にあとにした」

 『反逆する風景』講談社、1995年、50ページ。

 たとえ、なかれてもすがられても、次の仕事のためにくびすを返す。どうにも罪深い自分を私は知っていた。しかし彼女は泣きもすがりもしなかった。ナサカは澄んだ目だけで私を見送り、私は私で片づかぬ思いで一本道を引き返しつつ、体のなかに顔がもう一つ埋めこまれてしまったことを感じた。

 『同上書』53ページ。

 

 

 私は読者の前で、善人面できない経歴の人間です。記者時代は警察とつるみながら仕事をしていました。

『新・屈せざる者たち』朝日新聞社、1998年。のち角川文庫、2000年、301ページ。

 

 

 私だってペン部隊の一員かその応援団だったかもしれない。かなりの確率でそうだった可能性がある。中国戦線に向かう壮行会で万歳を三唱し、後代に申し訳の立たない笑いを無邪気に笑っていたかもしれない。ナンセンスだけれども、あえてそのような作業仮説を立て、自ら立てた仮説に戦慄しつつ、いまを考えてみる。

『新 私たちはどのような時代に生きているのか― 1999から2003へ』辺見庸高橋哲哉岩波書店、2002年、72-73ページ。

 

 

 ぼくはことばを売り買いして下品に生きている人間だから、しゃべっていてもつねに頭のどこかに下心がある。

『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』大月書店、2009年、107ページ。

 

 

 今、だらだらと小説を書いています。病気の前からの続きですがね。病気で考えが変わって、全面見直しになるかもしれないけど。そして自分自身への見積価格の修正もあるしね。「どうも、お前、大したことないぞ」ですよ。値段を下方修正した。すると非常に楽になった。嘘、上げ底もいや。本当のこと言うとね、作品評価も本の売れ行きもどうでもよくなった。病気さまさまだね。少しは腹が据わったかな。これからは書きたいことだけを書かせてもらう。百人支持してくれればいい。いや、五十人でいい。百万人の共感なんかいらない。そんなもん浅いに決まってるからね。

 『記憶と沈黙 辺見庸コレクション1 』毎日新聞社、2007年、120ページ。

 

 

 それは、当方がくどくどしく語り悩むほどには物理的に闘ってはいないこと。少しく闘ったにせよ、まだなにf:id:eger:20161124070836j:plainも深手を負うていないこと。肝心の自国権力とはろくな闘争もせず、その自堕落を反米論調でまぎらかし、自他ともに欺いていることである。反照されてはじめて周章狼狽したことはさらにある。ジャーナリスティクであることの恥ずかしさとでもいえばいいのであろうか、そんな種類の狼狽である。(筆者註:N.チョムスキー<右:写真>へのインタビュー後の述懐)。

 『永遠の不服従のために』毎日新聞社、2002年、189ページ。