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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

21.吉本隆明 批判

 主体性、原点、個体としての市民、自己批判、連帯と孤立、永続性などが論議された。それらは反スターリニズムとして「新左翼」のなかで熱く語られたのである。

 

 左翼運動は組織によって展開されると思われていた中で、「組織悪」を指摘し「個」の重要性を説いた論客の代表が吉本隆明であった。その言及対象は政治、芸術、言語、宗教、文学、哲学、社会、経済と多岐にわたり、マルクスについても『資本論』以前の『経哲草稿』や『ヘーゲル法哲学批判』『デモクリトスエピクロスの自然哲学』などに着目し『マルクス 読みかえ』を説いた。吉本は実際にデモにも参加し、その行動が当時の学生たちに好感をもたれた。難解な著作にもかかわらず多くの若者を中心に読まれたのであった。

 

 辺見庸もその一人であったのだが、辺見が言論人として活躍する頃になると、吉本隆明の思想の「瑕疵」が見え隠れし、また思想自体に「変化」が露呈し始めるようになった。それに対して新左翼系の論客とされる田川建三埴谷雄高谷川雁などからも批判が出たのであるが、問題は晩年に「吉本世界」の根幹とも思われる部分に「変調」が明らかになってきたことである。

 

 吉本隆明さんとは、何度かお会いして、長くお話ししていただいたことがあります。彼はしみじみと「自分には、昭和天皇に対する『絶対感情』があるんだよね」という趣旨のことを言った。絶対感情というirrationalな情念。これはなんなんだろう。吉本さんのこれが、ぼくは、結局乗りこえられなかった最後の壁ではないかというふうに思う。共同幻想をいいながら、あの人自身は、自分の心のなかのヒロヒトを最期までのり越えることができなかったと思うんです。

『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム毎日新聞社、2013年、108-109ページ。

 

 辺見にとって吉本隆明は、かつては「偉大な」存在であった。だから対談者として相対するようになったとき、「老成」した吉本に親しみをこめて「言論ゲリラ」的な突っ込みという形がとられているのである。

 

 おれは吉本隆明さんと話していて、かれを騙しているみたいな、罪悪感みたいなものをうっすら感じたりもした。こちらのほうが手に負えないほど縒れていると、ね。それから、調子にのって、わざと非知的領域に手練手管でひきずりこんでいる気がした。でも、非知的領域といっても、吉本さんという人物の生身の人柄はわかった。少なくともぼくにつきあってくれているかれには街学的邪気や尊大な態度は微塵もなかった。

『死と滅亡のパンセ』毎日新聞社、2012年、54ページ。  

 

 吉本隆明には基本に「技術信仰」があった。技術の欠缺は技術革新で補填できるといういわば「永続技術革新」への「信」であり、それは『「反核」異論』にもあらわれていたし、原発PRもやってのけた。吉本にとっては別段、「鬼面人を嚇す」ものではなく自然な言動であったのだ。

 

 敷桁すれば吉本隆明さんの晩年もそうだったのかもしれないな。吉本さんは『原子力文化』で原発PRをやっても、なにも問題にされなかった。「〈それによって彼の詩業の価値は些かも損なわれるものではない〉式の評言がいまだに繰り返されている。このような見苦しい弁明が戦争詩と同様あるいはそれ以上に罪深いことをまずは認識すべきなのである」という坪井氏の指摘は、皮肉にも、かつて吉本さんが言ったように正しい。正しいからこそこの国の文芸の世界ではなかったことにされるわけだ。ただこの国は裏切りと変節者の国みたいなものだから、点検をやりだしたら全員やらなきゃいけない面がある。吉本さんはかつて「内面の時代は終わった」と言った。だからといって、なにをやってもいいということにはならない。ぼくは、「内面の時代は終わった」のならなおのこと「内面が要る」と思ってた。

『死と滅亡のパンセ』毎日新聞社、2012年、81-82ページ。

 

 <それによって彼の詩業の価値は些かも損なわれるものではない>との見苦しい評言・弁明がいまだに繰り返されている。このように語る辺見庸も、武田泰淳靖国神社詣でをしていることを知って「それでも泰淳をきらいになったことはない」と言い切った。「敬愛する人」ならば疑問な行動があっても「好悪」の感情で「溶解」してよいのか。「切った張った」の世界で生きる辺見、「神は細部に宿る」とともに、「神は細部で罰する」という箴言をどう受け取るのか。疑問として残る。

 

  辺見庸も晩年を迎えている。2004年に脳出血で倒れ、弱った身体は元どおりにならず、老化は加速している。ブログの文章にも一見「乱文」調があらわれ(これは辺見の一種の修辞法みてよいが)、一部は単行本にそのまま収められたりしている

 

 だが、彼の思考にぶれは見られない。強靭な精神力で抑制されている。だからこそ辺見は、吉本に対して辛辣な言葉を投げかることだできるのだ。

 

(吉本):「自衛隊が代わりに戦ってくれるだろうというのは、僕は戦中派として絶対に認められないんですね。反対に、自衛隊が戦わなくても、俺は自分で何かするかもしれないぜ、と思うことはあるんです。だから僕は、戦後民主主義の人みたいに絶対平和主義ではないんです。やり方はともかく、攻めてきたら、個人の喧嘩を吹っ掛けられたときと同じです。「おう、やってやろうか」って気持ちはあるんです」。(『夜と女と毛沢東」の「身体と言葉から)

 これね、大思想家のしゃれのめした理屈じゃない。そこいらへんのおっさんの啖呵みたいでもある。いまどきの若者のヘナチョコ理論とはまったくちがうし、右とか左とかでもない。少しイッちゃったおじさんのようで、ぼくは聴いていてちょっと楽しくなったね。

  大状況に自己身体を入れこもうとしているというのか、わざとヤクザなもの言いをされたり、いいひとだなと感じるばかりで、卑怯な面などなかった。吉本を利用するほうも、利用される吉本さんもいけないが、かれはとくに晩年いいように使いまわされた感がある。団塊の世代からは、資本や政治権力と戦わないで現状を受容するために、吉本は用いられた。ダメなじぶんの存在肯定の〃知的″正当化のためにね。右にも左にも極右にもアッパラパーのタレントにも都合よく使いまわされ、消費され、適当に排泄された。その最たるものが、日本原子力文化振興財団の雑誌『原子力文化』特別号(一九九四年十月)の巻頭インタビューに登場して原発PRに一役買ってでたこと。おれは何年も後になってからそのことを知って、かなりショックだったな。小沢一郎擁護よりも決定的にダメだなと思って、それから吉本さんのことを考えるのは完全にやめにした。吉本さんの存在はその段階でイシューではなくなっていた。

  しかしね、吉本さんを使いまわしたのは実際上、ぼくだって使いまわすという意識はなくてもやっていたわけで、なにか恥ずかしさを感じる。心のかたすみに、かれをなにやらからかっているみたいな気分もなくはなかったしね。しかし、吉本さんにはぼくをからかっているというか、遊んでやっているふうはまったくなかった。一貫して真剣だった。かれは一般に実践指針や当為を語るひとじゃない。そこがいわば誤解されていた。かれは家にこもって書物によって世界や資本主義の法則性を知りたかったんだと思う。「アフリカ的段階」にしてもね。でもね、かれは沖縄さえ知らない。ベトナムも中国もロシアも米国も行ったことがない。二十一世紀的労働の疎外もからだで知ってるわけじゃない。ボードリャールは世界イメージを死ぬまで重層的、超常的に表現しえたけれど、吉本さんは最後の最後まで「テレビじいさん」だったから、晩年は聴くべき世界イメージはなかった気がする。世界の風のにおい、体臭を知らない。世界の狂気のすごさを知らない。ヘーゲルはアジアに行かなかったけれどアジアを書きえたと吉本さんは言うけれども、「見てはいない。行ったことがない」は、吉本さんのコンプレックスとしてはあるな、と感じたね。長い時間お話ししていただいたり、酒を飲んだりしたし、吉本さんをひととして敬う気持ちは変わらない。ただ、ぼくの知るかれは、長屋のひとのいい物知りじいさんという印象なんだ。

『死と滅亡のパンセ』毎日新聞社、2012年。81-82ページ、55-57ページ。 

 

 

(辺見):そうなんです。埴谷雄高吉本隆明も、天皇制という磁力を軽く見すぎていたと僕は思う。彼らは、天皇制によって何がどこまで侵されているかを問題にしてこなかった。

『流砂のなかで』辺見庸高橋哲哉河出書房新社 2015年、23ページ。