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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

27.辺見庸 :Focus

 辺見庸は、ジャーナリスト(共同通信の記者・特派員)出身の芥川賞受賞の小説家、中原中也賞・高見順賞を受賞した詩人、城山三郎賞受賞の評論家である。新聞協会賞、講談社ノンフィクション賞も受賞している。日本で押しも押されぬ言論人であり、その批評・評論は難解との声はあるものの一流であるといってよい。有力新聞などでのインタビュー記事や随筆・評論も少なくない。出版した単行本も30冊ほどある。NHKのドキュメンタリー番組にも数回出演している。

 このように十分な実績を誇っているのだから、世にいう知識人、インテリゲンチャかといえば、辺見庸は決してそうではない。一般的な知識人、教養主義の有名人ではない。また彼の七十二年の人生(1944年生まれ)は、いわゆるエリートとして「上層を滑空」したものでもない。

 宮城県石巻高校での学業成績は優秀とはいえず、早稲田大学の第二文学部(当時はいわゆる夜間部)に入学した。四年間で社会・人間系専修を卒業したものの、学生時代はセクトに属し学生運動に参加し、また女性との交際に情熱を傾けた。学生運動では微罪とはいえ逮捕歴がある。興味ある授業は熱心に受けたが、精力的に独学し、小説、哲学・思想関係の本を読み耽った。

 大学を卒業し、共同通信社に入社した。横浜支局勤務を振り出しに記者生活が始まり、記事について社内で侃々諤々、つかみかかる議論も再々あったという。そして北京支局勤務ののち、三十八歳で米国に研修留学した。帰国後はハノイ支局長になった。当然に米国勤務になるコースにもかかわらず自ら望んでハノイを選んだのだった。その後二度目の北京特派員ではスクープをものにしたりしたが、中国から国外退去処分を受けた。帰国後は、外信部次長や編集委員などを務めた。共同通信社には25年間在籍したが、その間、ソマリア、ポスニァ、バングラデシュ、カンボジアアフガニスタンなどの戦地での取材や、ルポルタージュのために多くの国や地域に赴いた。

 幼いころの「自分は海の向こうに行くのだ」との夢はこのようにしてはたされたのである。 

 大量破壊兵器保有しているというでっち上げによる米国によるイラクへの爆撃や、9・11に関連したアフガニスタン侵攻に強く反対し、当時のブッシュ大統領を指弾する評論を数多く発表した。他にも3・11の震災による原発事故批判や津波による被災者への国などによる復興のあり方を厳しく指摘した。

 価値観の底が抜けてしまったような社会に絶望するとともに、鵺のようなファシズムが進行していると警告している。アジア諸国への侵略の記憶殺し(抹殺)に反対する。

 辺見庸は死刑制度の廃止を訴えている。確定死刑囚と何回も面会しに行っている。三菱重工業本社ビル爆破事件および昭和天皇を狙った列車通過予定の鉄橋爆破未遂事件の大道寺将司の「詩集」発行も陰ながら支援した。

 さらには天皇制問題やいわゆる従軍慰安婦問題、沖縄基地問題歴史認識問題に厳しく言及するとともに、核兵器廃絶、消費資本主義社会批判、マスメディア・ジャーナリズム批判などを展開している。

 これらは思想上は左翼としての言動なのだが、辺見庸の思考はこんにちの世界情勢は、人類・地球規模での「滅亡」にかかる事態であるとの認識に根差しているといってよいものである。 

 彼の過激な言動はモンスター的な言論人を彷彿とさせるのだけれど、辺見庸はサイボーグのような言論モンスターではない。彼は「生体」として剥き身の生を表現するのである。  戦地で飢えと病苦に苦しむ弱者に愛しのまなざしで接したり、震災での被災者一人ひとりに心の底から言葉をおくる。被爆者、HIV感染者、沖縄で基地に苦しむ人、認知症患者、身体障がい者、そのほか抑圧・差別される人びと、犯罪者にたいしても、自分のこととして受け取める。一方、彼は「性愛」についても強い関心があると発言し、かつ行動し表現しているし、映画、音楽、絵画、写真、演劇などにも鋭く深い鑑賞力で味到し発言する。

 

 辺見庸の精神の地下茎は、宮城県石巻の海岸に近い故郷で少年時代に育まれた。

父親との確執(殴打、朝鮮人をスリッパで殴る、パチンコ、ヒロポン、借金、無言での釣り、中国戦地でのこと、帰還してからの新聞への投稿記事、女性関係、)

〇乳首が四つあった幼馴馴染みの J, 初恋のひと綾子さん

〇子分役のかつひこちゃん

〇松林や海岸沿いの売春宿

〇厩舎あとに住まう男女の生態(スズメを焼いて食う)

〇思え!と大声で言った恩師

石巻の入り江の風景

 

   故郷での記憶は、高校を卒業して上京しても、また特派員として海外に暮らしても心の内奥で息づき、そして土地々々での体験で「発酵」していった。「性」への関心も衰えることはなかった。

〇カタツムリ業者の愛人との横浜でのデート

〇東京神谷町のマンション(仕事部屋)の隣室での黒人の男と女たちの嬌声

ホーチミン市でのアメラシアンの女とのひととき

バングラデシュのダッカで見た巨大な陽根の男

〇チェルノブイでの車中の男女のこと

〇映画監督の深作欣二原一男河野多恵子左幸子などとの対談で示された女性観