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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

29.NIMBY(ニンビー)

 NIMBY(ニンビー)とは、Not in my backyard の頭文字をとった用語である。「迷惑」施設などを作る場合に「自分の裏庭だけはやめてくれ(他の人の裏庭に作ってくれ)」という意味をもつ。

 ごみ処理施設ができる計画が発表されると地域ぐるみで反対する。どこか他所で造ってくれ、適当な場所があるはずだからしっかり検討し直せ、といった声があがる。

 これに対しては大きくは二つの考えがある。

 まず一つ目の考えは、NIMBYは地域エゴであり、社会的に必要な施設であれば、どこかに造らなければならないのだからそれを理解すべきあるとの考えである。

 もう一つは、地域エゴと受け取られがちであるが、公益を縦に公権力がごり押しすることに異議申し立てすることは当然であり、これまで安寧に暮してきたのだから、それを侵されたくないとの思いは認められるべきであるとする考えである。

 しかし事情はそう単純ではない。

 例えば、地域の人びとの反対の声が多い原発は、地域のまちづくり協力金(名称はさまざま)として多額の金が電力会社から支払われるケースが多く、さらには雇用増進や地域経済の振興も原発立地の説得材料にされて、NIMBYを訴える声が小さくなったりする。

 最も深刻な事態は軍事基地や軍事関連施設である。国土の0.6%に、在日米軍專用施設の74%が集中している沖縄。その沖縄県民の声をNIMBYの声として聞く人はいても、さすがにそれを表立って地域エゴとする者は少なく、「どうか沖縄の皆さん、日本の全体の軍事的安全のために米軍基地の存在に耐えてください」と願い、「沖縄振興のために税金の割増配分を国はしているようなので」と思ったりしているのである。

 しかし、そこには当事者意識での問題対峙の深刻さが欠落している。「見て見ぬふり」というNIMBYへのもう一つの面が見え隠れしてする。これに対して「利己によって動くのが人間の常であり、それによって現実は調整されるのだ」と言えるのか。米軍基地問題をめぐって沖縄県外の人の「思い」と沖縄県民の「思い」の衝突は決してWin-Winの関係にはならず、現状では一方的に沖縄県民がLossの状況に置かれている。

 根本の問題(本質)は、アジア太平洋戦争という日本の国家犯罪の歴史、米国の軍事力による世界秩序保持という構造、日本の平和安全外交の貧しさである。それらのしわ寄せが、沖縄県民の日々の「くらし」と「意識」を苦しめている。沖縄県外の軍事基地のない大多数の地域の住民はその点からすれば「加害者」であり、にもかかわらず(またはだからこそ)「鈍感」であってはならず、しわ寄せされている沖縄県民の被害に「敏感」でなければならないのである。

 NIMBYをめぐる諸問題が内包している課題を凝視し、合意形成をぎりぎりまで追求し、そこから何らかの行動をまず起こすことが求められる。

 迷惑とされる施設の内容と設置の歴史的経緯、目的、本質、そして「迷惑」の内容(生命、心身、財産などの侵害)、設置場所の代替可能性の徹底検証、これらによって客観的に不公正があるか否かなどによって、NIMBYの声の正当性が決まる。その検証を

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怠り、ごり押ししているのが国であり、それを見過ごし、または見て見ぬふりをしているのはだれなのか、そしてそんな人々を作りだしたのはだれなのか。

  辺見の主張を聞いてみよう。

 基地も原発も必要、ないし必要悪である、だけど自分の家の近くに置かれては困るという思想。沖縄に対する本土の人間の考えのなかにはNIMBYがある。それと、国土の〇・六パーセントの沖縄に在日米軍專用施設の七四パーセントが集中している、というのがいつも枕詞になっているけれど、僕はここをもう少し踏み込んだところで論じ合っていく必要があると思っています。そもそも米軍基地の問題を、「悪の公平負担」という発想で沖縄県外にばらけさすことが最終的な解決策であるわけがない。つまり、軍事基地完全撤廃を言ってはなぜいけないのか。そうした観点から憲法九条をもう一回考えてみたい。九条はもう無効で不要なものなのか。わたしはそうは思わない。

 『明日なき今日  眩く視界のなかで』毎日新聞社、2012年、111-112ページ。

 ★寺崎メモ

 一九四七年六月末、マッカーサーは米国人記者との東京での懇談の際、沖縄を米軍が支配し、空軍の要塞化すれば、非武装国家日本が軍事的真空地帯になることはない、という考えを述へた。この発言を受け、天皇同年九月、側近の寺崎英成を通じてGHQに「米国が、日本に主権を残し租借する形式で、二十五年ないし五十年、あるいはそれ以上、沖縄を支配することは、米国の利益になるのみならず日本の利益にもなる」とメッセージを伝えた(『同上書』111ページ)。

 

 「沖縄から向かった兵士も随分いる。戦後復興のために朝鮮半島の悲劇と沖縄を利用したのです。そういう肉体的自覚が本土の日本人にはあまりにもなさすぎる。全部ひとごと。で、平和憲法オーケー、安保もオーケーとくる。本当はすべてNIMBYなのです。九条の適用範囲は本土だけ、沖縄は適用外といった無意識が憲法擁護派にもある。もうそれでは通用しなくなったのです。

 『同上書』121ページ。