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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

35.石原吉郎について

 石原吉郎は、日本の敗戦後シベリアに8年間抑留された。帰還して詩人として活躍した。キリスト者でもあった。畏友・戦友として鹿野武一がいた。

 辺見庸は、その石原吉郎に重要なことを学び、もしくは確認した。

 〇「個」が重要であるということ。

  →人の生と死の計量思考から脱すること。そして「個体知」知を。

 〇言葉が語りえてはいない。言葉に見かぎられる。

  →言葉が私たちを「見放す」のである。

 〇 一人一人に語りかけること。

   →石原吉郎は、マジョリティに向かって語ってはいない

 

 石原さんの著作を読むようになったのは、ぼくが共同通信に就職した七〇年代初期ころでしょうか。最初読んだのは『日常への強制』という厚い本で、本棚の端にいまも収まっている。七〇年代というのは、六〇年代の喧騒をへたあとの虚脱の時期だった。言葉をあつかう職場に入り、その虚妄というか、発泡スチロールのような軽さに囲まれて、また虚脱感を深めた。そのなかでひっそりと石原さんの本をめくるのは、ぼくにとって絶対的に私的な行為でした。

『もう戦争がはじまっている』河出書房新社、2015年、226-227ページ

  

 わたしはかつて石原吉郎の声をいまよりは素直に胸にいれて生きていたのです。

『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』NHK出版、2012年、127ページ。

 

 大震災と原発事故後、わたしは石原をあらためて読みなおしました。そうだな、彼の言うとおりだな、しかし……というアンビヴァレントな感想が若いころよりいちだんとつよくなっている自分に気がつきました。3・11がわたしを変えたのでしょうか。つらつら思うに、わたしはあまり変わってはいません。3・11はもともとあった石原の論法への疑問を際だたせたと言うべきです。「一人の魂の行くえを見とどけようと願う」主体=単独者は、ただ単独者として、なにごとか繰り言をつぶやきながら逼塞しているだけでよいのか。単独者は、ただ単独者として無害な詩などつぶやきつつ隠棲していれば、それでよいのか。単独者は、つまるところ、想い出のみに生き、自他と戦わず、この期におよんで無傷でいればよいのか……。こうした疑問はもともとあったのです。3・11は疑問をつよめたのです。それは尽きるところ、石原への批判ではなく、ブーメランのように空中を回転しながらもどってきてわたしの首を刈るような設問なのでした。

 

 大震災後もますます人の生と死の計量思考をつのらせているのですが、ここは計量的発想から脱すべきだと読みかえて、わたしは心から賛成するものです。戦争によってもこの社会は真実に近づくことをしなかったのです。ですが、広島(への原爆投下)告発が「それぞれに一人の魂の行くえを見とどけようと願う人びと」とは、もはや「はっきり無縁である」というあまりにもはっきりとした断定を前にしては、石原吉郎というとても忘れがたい詩人への好感と疑問がまたも、ないまぜになってしまうのです。「はっきり無縁である」なら、主体=単独者の位置はどうあるべきか、苦しくても言わなければならないのに、趣旨が霧隠れしてしまうのです。石原吉郎をこうまでひきあいにだすのは本書の流れから逸れるようですが、そうではありません。詩人が正しかったか誤っていたかに関心はありません。出来事-死-言葉の連環を考えるとき、石原の文は見落としてきた大事な標を想い出させてくれます。

 

 死は、死の側からだけの一方的な死であって、私たちの側―私たちが私たちであるかぎり、私たちは常に生の側にいる―からは、なんの意味もそれにつけ加えることはできない。死はどのような意味もつけ加えられることなしに、それ自身重大であり、しかもその重大さが、おそらく私たちにはなんのかかわりもないという発見は、私たちの生を必然的に頽廃させるだろう。しかしその頽廃のなかから、無数の死へ、無数の無名の死へ拡散することは、さらに大きな頽廃であると私は考えざるをえない。生においても、死においても、ついに単独であること。それが一切の発想の基点である。

(「確認されない死のなかで―強制収容所における一人の死」より)

 

 この文章をわたしはこよなく好みます。大震災後はとくに右の言葉が脳裡でこだましたものです。そのこだまのなかでわたしはいくつかの詩を書きました。計量的発想と死の類化にわたしもつよく反発し、それらが生きのこったわたしたちを必然的に頽廃させるだろうと思いもしたのです。右の引用文にすぐにつづく一節は、では、どうでしょうか。わたしは頭をかかえてしまいます。

 

 私は広島について、どのような発言をする意志ももたないが、それは、私が広島の目撃者でないというただ一つの理由からである。しかしそのうえで、あえていわせてもらえるなら、峠三吉の悲惨は、最後まで峠三吉ただ一人の悲惨である。この悲惨を不特定の、死者の集団の悲惨に置き代えること、さらに未来の死者の悲惨までもそれによって先取りしようとすることは、生き残ったものの不遜である。それがただ一人の悲惨であることが、つぐないがたい痛みのすべてである。

 

 そしてまた、有名な次の一行にも吃り声を発しそうになります。

 私は告発しない。ただ自分の〈位置〉に立つ。

 「一九六三年以後のノートから」「望郷と海」より)

 

 かなりつよい疑問がわきます。わたしはこれらの文言に何年も何年も遅疑逡巡してきたのです。遅疑逵巡は、3・11以降、わりあいはっきりとした反対へと変化しました。 広島を安易に福島と置きかえる読み方は、この文の場合すべきではないでしょう。ですが、広島についての石原のもの言いは動機に大いに納得できるところがあるものの、どう しても腑に落ちないところもあります。広島から福島を、福島から広島を想う方法がわる かろうはずがありません。 また、過去および現在の死者から、未来の死者の悲惨までさきどりする試みは、不遜どころか、いまなすべきことではないかとも思います。告発しないのではなく、自分の〈位置〉に立って自他を告発することこそが、「私」という単独者を責任ある主体にする契機になるのではないでしょうか。

 目撃していないから発言しないというのではなく、視えない死をも視ようとすることが、いま単独者のなすべきことではないのか。そうわたしは自身に言いきかせるしかありません。

『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』NHK出版、2012年、127-132ページ。 

 

 石原吉郎は、シベリアにおける死線において、ただ一人の悲惨が、つぐないがたい痛みのすべてであるという体験をした。そのうえで「私は告発しない。ただ自分の〈位置〉に立つ」と言った。

 そして辺見庸の意識の裏にも、自分の<位置>に立って自他を告発することが決して容易でないこと、それが絶望的なほど困難であることへの突き詰めた自省がある。

 それは辺見の次の文章に明記されている。

★自分への告発

「他者の苦しみを苦しむことができない。隣人の痛みを痛むこともできない。絶対にできない。にもかかわらず、他者の苦しみを苦しむことができる振りをするのがどこまでも巧みだ。

『たんば色の覚書 私たちの日常』毎日新聞社、2007年。のち角川文庫、2011年、20ページ。

 

★他者への告発

 八月六日は、おためごかしと言わないまでも、年中行事化し、もちいられる言葉は、死者たちひとりびとりの魂を、死者群として括ってきたぶんだけ、空洞化していたのでした。石原吉郎の言葉にはそうした空洞を埋める力と切実さがあったのです。もっと言えば、シベリアからもどってきた石原の生身と言葉は、この国の戦後史の黒く醜い〃欠所″を細々とおぎなってきたのです。

『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』NHK出版、2012年、126-129ページ。

 

 しかし、それでも辺見は、「自分の〈位置〉に立って自他を告発することこそが、「私」という単独者を責任ある主体にする契機になるのではないでしょうか」と述べている。

 そうせざるを得ない自己の内外における状況が迫り来る。その時は目を背けられず、発語を押し殺せない。辺見はそう言っているのである。