辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

42.阿川弘之、三浦朱門

 権力亡者、排外主義者、民族主義者、拝金主義者、競争至上(弱肉強食)主義者、国粋主義者

 これらは米国の大統領選挙で勝ったトランプのことを言っているのではない。安倍晋三のことでもない。

 選民思想、加害者意識欠落、天皇崇拝、夜郎自大レイシストといった特徴をもつ。そんな人間がやたら多くなっているからこそ、思慮を欠き厚顔無恥な人物が、雨後の筍ならぬ毒草のごときものとして次々と出てくるのである。

 言論界、政界、マスメディア、ネットの世界においてしかり。

 今回はその中のうち、二人の人物をとりあげる。

 阿川弘之。彼は辺見の『もの食う人びと』が「紀行文学大賞」を受賞した記念パーティで、辺見庸にわざわざ近づいてきて「死にたいものには死んでもらえばいいんですよ」と言い放った。「死なないでくれなんていうのは恥ずかしいことだ」とも言った。元慰安婦たちに「死ぬのはもうやめてください」と辺見が言ったと書いた部分について難癖をつけてきたのだ。

 この、ものは「者」すなわち元「慰安婦」の老婦人たちのことである。自殺したがっているひとびとに、万万一、自殺の衝迫が過剰な自己表現か″狂言″のようなものであったにしても、死なないでくれと言ったのが、なぜ「恥ずかしい」のだろうか。なににとって、どのように「恥ずかしい」のだろうか。老作家はそれを説明しなかった。説明のひつようもないとかんじていたのだろう。苦しみ悩乱する老婦人たちについて「死にたいものには死んでもらえばいいんですよ……」と言いはなったかれは、それから数年後に、めでたく文化勲章を受章する。そんなものだ。元慰安婦たちに死にたきや死ねよ、と言うようなやからに勲章と終身年金をあたえる。ニヅポンとはそんなクニである。

『1★9★3★7(イクミナ) 』金曜日、2015年。のち『増補版1★9★3★7(イクミナ) 』河出書房新社、2016年、261ページ。

「死にたいものには死んでもらえばいい」。そこには元慰安婦たちがどんな思いで日本軍の兵隊たちに接していたかへの思慮がない。戦争という殺戮・強制行為という加害意識が全く欠落している。

 辺見は付け加える。「武田泰淳のことばでいえば<鉛のように無神経な状態>は、いまもいたるところにある」と。

 次に、三浦朱門。彼は戦時中、日本による「台湾、朝鮮半島の出身者の強制連行はなかった」と言う。とんでもない発言だ。

 朝鮮人強制連行はなかった、いわゆる「従軍慰安婦」も強制ではなかった―という根拠なき抗弁はなにもいまにはじまったことではないけれども、今回の「論証」はまさに驚天動地である。終身年金が支給される「文化功労者」でもある三浦氏はいう。「台湾、朝鮮半島の出身者は当時は日本人だった。悪法といえども法である。日本国民として彼らも徴用令に背けなかった」。

『いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年。のち講談社文庫、2005年、143ページ。 

 戦争法の法理が問題でなく、侵略・抑圧・強制こそが問題であるという自明のことすら見て見ぬふり。これでは「論証」に値しないのはいうまでもない。

 そしてこの種の人間や組織が、今や魑魅魍魎のごとく跋扈するようになった。

 中西輝政、渡辺昇一、加瀬英明西部邁竹中平蔵桜井よしこ山崎正和福田和也佐伯啓思小林よしのり橋下徹佐藤優・・・・。財界では葛西敬之

 大手新聞の産経、読売。TV局のフジ(関テㇾ)、日テレ(読売TV)、雑誌では正論、Will、文春、新潮、・・・・

 意識産業としての雄であり「憲法番外地」の電通宗教法人生長の家(学ぶ会)、統一教会。任意団体の日本会議神道政治連盟公益社団法人隊友会

(そのほかに右派幇間、隠れ右派人等がいることも付記しておきたい)。

 これらは、下記のいずれかに(複数)に該当し、結局は大義名分と期待(幻想)効用を喧伝し「産軍振興」「戦時」へと大衆を巻き込んでいく。

権力亡者、排外主義者、民族主義者、拝金主義者、競争至上(弱肉強食)主義者、国粋主義者

選民思想、加害者意識欠落、天皇崇拝、夜郎自大レイシズム

 彼らの対極にいたのが「鹿野武一」「石原吉郎」「菅季治」「尾形亀之助」であった。そのことをこの「辺見庸―内宇宙の旅―」では銘記したい。