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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

45.ダーク.アンド・エンプティ

 「ポジティブシンキング」が喧伝される。「前向きな姿勢」が勧められたり、「ネクラ」が揶揄されると、暗く沈んではいられない。苦しくなりばかりである。 

 心の豊饒さや希望に満ちることは稀で、仕事やくらしに充実感が得られなくなって、なんとなく空しい。

 家族や職場、友人関係でのストレスが鬱積し摂食障害神経症、不眠、不定愁訴など心身が悲鳴を上げる。何かに夢中になることを何とかみつけて逃げ道を探せればいいのだが、それも見出せず、見出してもやがて虚ろな自分に気づいてしまったりする。

 癒しを求め、つかの間の安寧を金で買う。金がなければじっとしているしかない。自責の念に駆られ、「生きる意味」などとくにないのに、生きていても仕方ないとつい思ってしまう。とどのつまり孤絶から自死する人もいる。 

 いつのころからだったか、ダーク.アンド・エンプティがわたしの視界というか視覚の基調となった。視界・視覚の基調がそうであれば、思念の基本的な色調も必然、ダーク・アンド・エンプティにならざるをえない。いや、わたしじしんの存在そのものも宵闇に苦もなく融けいり宵闇とわけもなくひとつになるようなダーク.アンド・エンプティになってしまった。にしても、この半覚半睡状態のような形容句を、月並みな英語ではなく、なぜ日本語で言うことができないのだろうか。そのわけについては存外に早く思いいたった。日本語よりもダーク.アンド・エンプティの語感のほうがとても自然に身についてしまったからである。

『明日なき今日  眩く視界のなかで』毎日新聞社、2012年、23ページ。

 

 社会とか国、世界はどうなのか。暗く空虚な薄汚れた黒点が目立つばかりだ。

 いっそ宇宙に出て地球やほかの惑星、大きな太陽を見れば違う感覚を抱けるのか。

 そんなことはない。暗く空しいことが当たり前。狂いそうになることが自然なのだ。開き直って気にしない。とりあえず、考えないと心に決める。ネクラと言われようが何と言われようが。

 

 暗闇は人がなんとか過ごせる環境である。むしろそこに身を置いていると心が落ち着いたりする。

 人間の生理も意識も一定の均衡のうえに成り立っているのだが、人にとって恐怖の暗闇とは、例えば塩断ちや、無音・無臭・無色または完全同一色の空間に数日おかれると、視覚的な暗闇とは異なる暗さに襲われ、そして狂ってしまう。狂うことによって生体が自らを防衛するのだ。

 これからは、たぶん、ちがう。ヴァーチャルではないリアルなカタクリズムが、いつのまにかすぐそこまできてしまったのである。今後は、終末を陽気に論じる余裕などあらばこそ、人びとの呻吟をまぢかに聞くか、みずから苦しみもだえなければならない公算も大である。(中略)

資本主義の全般的価値システムのまどうことない破産であり、米欧日の落日である。問題は破産と落日のつぎである。

『美と破局 辺見庸コレクション3 』毎日新聞社、2009年、135-136ページ。

 

  おどろおどろしい暗闇があるらしい。ブラックホールである。高密度で質量が大きく重力が凄まじい天体の暗闇だ。余りに強い重力の為、周囲にある物を根こそぎ吸い込んでしまい、光さえも、その重力によって吸い込んでしまうという。

 ブラックホールは何故出来るのか?  通常、宇宙に浮かぶ星たちは、自分の重力と圧力とのバランスが取れているから球体として安定して存在していられる。しかし、圧力を超える強い重力を持ってしまった星は自らの凄まじい 重力によって重力崩壊を起こしてしまうというのである。

 重力崩壊を起こした星は、どんどん縮んでいって、最終的には小さな点となって潰れてしまう。

  身体のがんは、細胞破壊が拡大するのに対して、ブラックホールは逆現象を示す。無限に時空が縮むのである。

  観念の世界にそのブラックホールを引き寄せて語るのは無謀であるが、それを承知のうえであえて想像するに、内宇宙におけるブラックホールはネガティブ世界の極北として有無を言わせず全的滅亡へと誘う現象であると言える。

 「関東の「動物愛護センター」というところに行ったら、犬を殺して焼いている施設なのでびっくりしたことがありますが、こういう実態と裏腹な名前のつけ方がいま蔓延している。かつての「サラ金」は、実質はさして変わっていないし、多重債務や自己破産が増えているのに、「消費者金融」。あたかも消費者サイドに立つ金融であるかのようにいい換えて、その存在に市民権をもたせたのは、マスメディアです。

理不尽な大量解雇なのに、「リストラ」ということによって、企業側に善なるイメージをあたえたりもしている。「失対事業」ではイメージが悪いというので、政府が税金を使って失業者を直接雇用するのを最近では「公的雇用」という。現状の暗部を美名でコーティングし、矛盾を隠してしまう。だから、状況はかつてなく暗いのに、言葉だけが妙に明るい。いわば、〃明るい闇″ですね、いまは。

 『単独発言 99年の反動からアフガン報復戦争まで』角川書店、2001年。のち角川文庫、(『単独発言 私はブッシュの敵である』2003年)、119ページ。

 

「ここの死刑囚は予告もなくある朝突然に、死のエレベーターで地下刑場に移送され、そこで絞首刑に処されてさらに深い奈落へと落ちてゆく。泣き叫ぶ声も鉄板が二つに開く音もロープが軋む音も頸骨の折れる音も読経の声も、刑場の外にはまったく漏れはすまい。そしてそこもやけに明るいのだろう。奈落はたぶん妙に明るいのだ。

『いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年。のち講談社文庫、2005年、29ページ。