辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

46.太宰治『満願』における視点 

 太宰治の作品が好まれるのは、彼の思考・嗜好と作品が強く関連しているとのイメージがあるからと思われる。また、自己の内面と外界との実時間でのありようを強く意識している。 

 それはさておき、辺見庸は、こんなふうに感慨を洩らしている。 

 私の好きな太宰治はなにを書いていたのか、調べてみたことがあります。いくつか創作していますが、「満願」というじつに短い掌編小説も書いていました。素晴らしく印象的な文章です。美しいカラー写真を切りぬいたような小説で、文芸評論家のだれもが評価しています。おそらく太宰もうまく書けたという自信があったのか、鼻高々のような筆致です。日本にはこういう小説が非常に多いのです。

 伊豆の三島だと思うのですが、太宰がひと夏をすごしていたところで彼が怪我をして病院にかよううちに医者と親しくなる。そこにきれいなご婦人が週に何回かくる。病気のご亭主の薬をとりにくるらしい。ご主人はどうやら、結核かなにかだったのでしょう。ときには医者が玄関までその女性を見送り、「奥様、もう少しのご辛抱ですよ」などと声をかけていた。医師は言外にある意味をこめて「ご辛抱ですよ」といっていたわけです。ある日その婦人が、もっていた白いパラソルをクルクルッと回して、小躍りするようにして帰っていった。「八月のおわり、私は美しいものを見た」。太宰はそう書きました。「けさ、おゆるしが出たのよ」と医者の奥さんがささやく。三年間、我慢していたのが、やっと満願です。もう辛抱しなくてもよくなった。「胸がいっぱいになった」と太宰は書く。そういう小説です。なるほど、うまいなあと私も感じ入る。

『いまここに在ることの恥』毎日新聞社、2006年、146-147ページ

 

  辺見庸は、この太宰の『満願』という作品の「後景」を注視する。

〇「満願」は1938(昭和13)年の9月に発表された。同年4月には、国家総動員法が公布されている。前年7月には盧溝橋事件が起き、同12月には南京大虐殺が起こっている。(『いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年。のち講談社文庫、2005年、113ページ)。

〇「太宰治までほぼ全員が日本文学報国会会員だからね。建艦運動のために作品集をつくるなんてこともやった。これが当時は社会貢献だった」(『死と滅亡のパンセ』毎日新聞社、2012年、45ページ)。

太宰治は、小説『惜別』に描いたように、個の視点から魯迅への畏敬の念を抱きつづけた(『国家、人間あるいは狂気についてのノート―辺見庸コレクション4 』毎日新聞社、2013年。32ページ)。 

 そのうえで辺見は『満願』に異議を述べ、この作品と太宰をどう見るべきなのかを述べる。 

「満願」の日常を描いた太宰の心境は、したがって、字面ほど安穏とはしていなかったはずだ。いや、相当の葛藤と覚悟があったであろう―というのが、私の想像である。「満願」には他の太宰の作品同様に「国家」がない。もちろん、「文章報国」も「文芸報国」もない。いうまでもなくそのことは太宰の内面でつよく意識されていたはずだ。というより、太宰は国家主義の重圧のなかで努めて極小の「個」を主役とする日常の物語を仮構することにより、国家をみずからの内面から意図的に排除していたのではないか。そうすることが、国家への消極的な抵抗であり、太宰という人間個体と国家のある種のバランスでもあったのではなかろうか

 「満願」についてくだくだしくここまで書いたのは、いまの世の中でもこうした太宰式の生きる方法が人間的に有効かどうか考えたからである。時代の危機を十二分に感じながら、むしろだからこそ時代に背を向けて、故意に非国家的な日常に逃げこむ。そうしたい衝動が、正直、私にはある。草原や小川を背景に眩しいほど白いパラソルがくるくる回っている。その下に三年ぶりの性を解禁されて喜ぶ女がいる。すばらしい発見だ。国家総動員法などどこ吹く風と、極小のその発見を読者とともに楽しむ.国家的大事とはどこまでもなじまない非国民的「私」を見つめつづけ、怯儒な「私」をこそ描きつくす。それはあっていい。ありうる。しかし、消極的であれミニマムであれ、それはいったい人間個体の国家への「抵抗」と呼べるものなのかどうか。太宰を抵抗者のように買いかぶる評者も少なくないが、私はいつも首を傾げてしまう。太宰は好きだが、評価は疑問だ。

  自己餡晦することにより、国家との関係を暖昧にし、実質的に追従しているのに抵抗しているようにも見せかける仕掛けが太宰の後の戦後の文学にもある。果敢に見えて卑怯。この国の湿土に育つ精神は太宰にかぎらず、どこか卑小でもある。いまも昔もなぜ抵抗は持続できないのか。日常はなぜ危機を食いつくすのか。白いパラソルをもつ「満願」の女の背後には、よく眼を凝らせば、草原や小川ばかりまがりではなく、はるか遠くに禍事らしい黒い影も見えてくるはずだ。抵抗者に対する特高警察の拷問、日本兵に強姦される中国の女性たち、日本軍の三光(皆殺しにし、掠奪しつくし、焼きつくす)政策による酸鼻の光景である。‐水量豊かなあの小川にはじつはたくさんの死体が浮いていたのだ。そう見るべきである。

『いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年、のち講談社文庫、2005年、112-114ページ。

 

 「時代の危機を十二分に感じながら、むしろだからこそ時代に背を向けて、故意に非国家的な日常に逃げこむ」。

「それはいったい人間個体の国家への<抵抗>と呼べるものなのかどうか」。

 辺見の答えは「呼べるものではない」である。まったく同感である。

 だが、日常はなぜ危機を食いつくすのか? さらには日常は危機を食いつくせるのか?

 その問いが次に待っている。

  そこで私は思う。その解は、どこまで突き詰めて考えられるか、そして言行一致ができるかにかかっているのではないか。

 

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治、『農民芸術概論綱要』)、「"Each for All, All for Each」「利他業」の理念。 

 一方、生物である人間の「利己的遺伝子」による種・同族保存、「情けは人のためならず」という人間の度し難い本性。

 これらが日常の実相の底辺に潜在する。

 非国家的な日常に逃げこむことによって日常が危機を食いつくすかに見えたとしても、また、日常という利己的遺伝子と観念の確執の場のなかでひと時の安らぎを得ることがあったとしても、結局は逃げきれないというのが現実である。「日常はなぜ危機を食いつくすのか」との問い(探求)の答えは、各人が一生をかけて導き出してくる性質のものであり、日常のひとときの安寧が危機を食い尽せることはない

  なお、この婦人(女性)の喜びとは何か、辺見は「三年ぶりの性を解禁されて喜ぶ女」と記しているが、その前に、この女性の三年間の我慢、辛抱とは何か?を見なければならない。それは「性の解禁」に表象される喜びに限定されたものではないのではないか。

  何よりも結核を患った夫の生命と身体への慮りからの解放、夫(小学校教員)の病気の快癒による元の暮らし(の予感)の喜びなどが、「もっていた白いパラソルをクルクルッと回して、小躍りするようにして帰って行かせた」のではないか。性の解禁の喜びは、それをめぐる諸相との往還において存在する生の動態として捉えるべきであると思う。

 そのことは太宰がこの掌編で、医者の奥さんに「けさ、おゆるしが出たのよ」とささやかせるということ自体がやや疑問であるし、その点を無批判に受け取って批評する辺見も洞察不足と言わざるを得ない。