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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

47.企業社会と消費資本主義

 日本は資本主義社会である。このことは日本が企業社会であるということとほぼ同義である。企業社会というと「大企業」が主導する経済社会と受け取られがちであるが、実態は、むしろそれより幅広く「利益追求を第一義にする」大企業をはじめとするすべての事業者による資本主義社会であるといったほうが適切である。それに属する企業の数は小さな企業を含めて500万は下回らない。

  佐高信は言う。

 私は、籾井のような人間をさほど珍しいとも思わないんです。日本の経営者というのはだいたい籾井のような人種ばかりで、そうでないタイプのほうが珍しい。「みそぎ研修」をやる会社は昔からありました。その舞台である伊勢神宮天皇家と関係が深いわけですから、なんだか象徴的ですね。そこでは「パカになって物事に挑むきっかけをつかめ」などと言われる。上にものを言う人はいづらくなる。自分を卑下し、上を崇める。だから私は日本の会社を「憲法番外地」と呼んできました。

対談『絶望という抵抗』辺見庸佐高信、金曜日、 2014年、75-76ページ。

(筆者註:「籾井」とは、対談当時のNHK籾井勝人会長のこと。彼は就任直後に全理事から辞表を取り付け、その後、衆院予算委員会分科会で「よくあること」と説明した。「不祥事」や「暴言」で彼はその度ごとに謝罪してきた。

 

 そのような会社(企業)を「動力」にしている消費資本主義。これに対しては、企業に行き過ぎたマーケティング活動の是正を求める。消費者みずからも消尽・浪費の愚を知り、企業に依存した消費・購買行動を見直す。

 それとともに企業及び企業社会も商品呪縛について見直さなければならない。

 この二つは別個のものではない。辺見庸の消費資本主義批判の弱点は、消費行動と企業活動の二面からの現実の問題を踏まえた考察が浅いことである。消費資本主義について「消費しつづけてゆくしかない。腐って腐って腐り抜くしかない」とするにとどまっているのである。

 日本の最大のピンチはわれわれが消費しなくなることです。生殺与奪の権は消費者が握っている。しかし、じゃあ消費者が「俺たち、やあめた」と一斉に消費を減らすことができるのかどうか、企業や国家を揺さぶって異議申立てすることができるのかどうか、という段になると途端に懐疑的になります。消費刺激を絶え間なく与えつづけるべく宿命づけられたこの超産業化社会というものは、われわれの想像をはるかに越えてすさまじいものではないでしょうか。

『夜と女と毛沢東吉本隆明辺見庸文藝春秋、1997年、244ページ。

 

実感的に言えば、市民なんてこの日本にいやしないのです。いるのは、ただ消費者だけです。われわれは消費する人。モノを作るのは近隣諸国の人。(中略)じゃあどうすればいいんだ。どうしようもないですね(笑)。こうなった以上は身体がカスになるまで、とことんモノも情報も消費しつづけてゆくしかないんだろう。腐って腐って腐り抜くしかない。そこに楽観論が忍び込む余地なんてない。ただただ悲観論としてこう思うわけです。『同上書』244-245ページ。

 

 市民社会は、自立する個人の自由・平等での契約社会という西欧近代社会を原型としていて、それはけっして経済・政治と無縁な社会ではない。だからといってブルジョア資本主義社会と同義でもない。

 市民社会とは、どのような「市民」、どのような「社会」であるのか、そして、それらがいかなる関係なのかによって可変的である。 

 消費者市民社会も然りである。どのような消費者なのか、消費と生産・流通とはいかなる関係なのかによって消費者市民社会の内容は異なってくる。 

 内省と想像力による主体形成者としての「消費者」と、コンシューマリズムに対応するべく可能な限り法的規制(強制力)ではなく自主規制する業界の「事業者団体」が、結論的には、それぞれ次の①から③のシステムを活用し、「エシカル生産・流通」とそれに連携した消費をいかに実現する。徹底した「情報の開示と利活用」「経済」「政治」の三局面での民主主義の実現のための行動と位置付け、それに対応する情報システムによって消費者の購買・消費活動の変革を図るとともに、公正で豊かな消費経済を実現するのである。

 

 それが実現した社会が消費者市民社会である。

①消費者による「購買・消費情報の識別協同システム」

②業界の自主規制による「製品・役務の協同点検評価システム」

③上記の①と②の二つのシステムを統合した「エシカル生産・流通協同情報システム

 

 「消費者市民」に対応するのが「企業市民」。それによってつくられるのが「企業市民社会」である。そして「組織(企業)の組織」としての事業者団体は、各「企業市民」の正当な行動を厳正なシステムで担保することによって企業の社会的責任を万全なものにする。

 安全性の確保、適切な取引、環境の保全が重要な課題になっている業界では特に求められ、事業者団体は、各企業市民としての企業の自主規制の成果を、事業者団体が「公的利益」の確保のために厳正に担保するのである。

 

コンシューマリズム革命

 消費者には、コンシューマリズムの新しい地平を拓いていく責務がある。

 商品・役務にかかる消費者被害の個別的・直接的な回復・救済にとどまらず、問題の原因とそれを生じた根本の仕組みの究明、さらには改善のキメ手の確保等によって消費者被害の予防のための社会システムの構築に向かう。

 そしてそこから導き出されるのは、組織的な不買行動も手段として保持しながらも、生産者に産業における企業市民として「産業社会」の自律的で適正な行動を促すという「意味の戦争」へと向かう。

 

 消費資本主義革命は、消費者購買・消費革命を起点として生産者=消費者革命、そしてそれらの変革ノードを介して情報流通リゾームによって遂行される。実時間で生産・消費の実体が情報コモンズとしてオープンにモニタリングされ、情報や実態の秘匿・非対称性・差異を源泉とする利得の解消へと向かう道筋を歩むのである。

(なお、医療消費問題と医療財政、戦争へと駆り立てる消費経済のブレイクスルーの問題については稿を改めて述べることにしたい)。