辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

49.辺見庸 ~こだわり、生き方、性格、好悪~

 辺見庸という人はどういう人か? 彼は自ら率直に著作のなかで語っている。あくまでも自己認識なので、そのまま「実際の」人柄・性質とはいえないにしろ、また、彼が小説家・詩人であることも考慮して受け取らなければならないだろうが、別に自分に「虚飾」を施すこともないとするのが彼の信条であると思われる。そのまま受け取ってもよいのではないか。

 

性格、性向

「わたしは自分という人間を、根はとてつもなく明るいけれども、世界観というか未来観についてはひどいペシミストだと思います。とても暗い。なぜそうなったかというと、通信社の記者生活で戦場取材を多く経験した影響もあるのだろうけれど、たぶん、子どものころからいろいろな気配と予感のうちに生きてきたからです。わたしが育った石巻および三陸の沿岸都市は、つねに、気配、兆しというものを孕んでいた。わたしは太平洋沿いの海岸近くに住んでいて、いつも潮騒と海鳴りを聞きながら、なにかの気配を感じていた。耳の底にはいまでも、遠雷のような低い響きがあります。海のうねりが磯でくだけるときに空気とこすれ、空気をまきこんで発する音が海鳴りですが、それは台風や津波などがくる前兆とされていました。気配、兆しとは、これから、いつか正確にはわからないけれども、今後にやってくるもの、襲ってくることの見えないさきがけです。その気配、兆しというのは、いったいなにかということをずっと考えながら育ってきたのです」。

『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』NHK出版、2012年、46ページ。 

 

「私の顕著な特徴はですね、「善」よりも「悪」に魅力を感じるという、類いまれといいますか、自分でもどうにもならない性癖があります.何が善で何が悪か、語れば尽きませんが、ゲーテの「ファウスト』でいえば、メフィストフェレスのほうが魅力があるという意味合いで、私は「悪」に対してとても興味と親近感を持っているということであります.それが私の自己紹介のようなものになるかもしれません」。

『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム毎日新聞社、2013年、42ページ。

  

「往々、品位を欠いてしまうのは、しかも、ほんのちょっぴりではなく著しくそれを欠くのは、残念だけれも、隠しても隠しきれない下卑た本性の然らしからしめるところなのだろう」。

『ゆで卵』角川書店、1995年、275ページ。 

 

「古い言葉だけど、ぼくはネアカなんですよ。手術のころは身体中にチューブをつけたまま下手な冗談を言ってました。ぼくの人生ってのは、どのみち半ば以上にジョークみたいなものだ、という不謹慎な考えが抜けないんです」。

『記憶と沈黙 辺見庸コレクション1』毎日新聞社、2007年、104ページ。

 

「子供のころから親や学校の先生に叱られ、私自身も恥じていたことで、いまもなおまったく矯正できていないどころか、ますます昂じていることに、性格のだらしなさというのがある。とりわけ、ものの整理というのが悲しくなるほどできない。ものが四方に散らかり収拾のつかなくなった風景は、身のまわりにいつもごちゃごちゃと展開しているだけでなく、じつのところ、私の内面そのものでもあります、と告白せざるをえない」。

『独航記』角川書店、1999年、415ページ。

 

こだわり

「詩壇、文壇には一切関係しない、というのが私の主義です。なんでもひとりでやる。文学なんて徒党を組んでやるものじゃない。本当に不思議でしょうがないですよ。なぜ詩というものが結社をつくるのか。それで、戦時中にはみんなして裏切って、戦争協力句というのが俳句にもあったでしょう」。

『明日なき今日  眩く視界のなかで』毎日新聞社、2012年、150-151ページ。

 

「子供のころの夢は、作家になることでも記者になることでもなくて、音楽家になることだった。作曲家というのでなく演奏者、それも、場末の闇で雨に濡れた犬のように惨めな目をして曲を奏でている、なんとか弾きといわれても、なんとかイストとは決していわれないような男がいい、と思っていた。ひねくれていたのだ」。

『反逆する風景』講談社、1995年、187ページ。

 

隠し芸

「俺も裸になった。別にそれが思想とかいうのではなくて、俺はできなかった。できないので、尻を振って、チンチンをブルンブルン回してみせた。プロペラみたいに。数少ない俺の芸の一つだ」。

『美と破局 辺見庸コレクション3』毎日新聞社、2009年、229ページ。

 

好きな言葉

「私の好きな日本語に「潜思」という言葉があります。心をしずめて深く考えることで、潜思黙想という表現もあります」。

『いまここに在ることの恥』毎日新聞社、2006年、81ページ。

 

好悪

「私はそれほど物事に熱心じゃないといいますか、飽きっぽいところがあるので、うまく重ならないですね。麻原は逆説的ですが、人好きに見えます。僕はどうもこのところ人嫌いですし。それに、世界最終戦争みたいな問題の立て方が僕は苦手です」。

『新・屈せざる者たち』朝日新聞社、1998年、63ページ。

 

「適度に堂々と人間は気違いじみた時間を持たないと、どうしてもシワ寄せや歪みが出てきそうな気がしますね。夜は別の人格になれたりする、ジキルとハイドじゃないですけれど」。

『夜と女と毛沢東吉本隆明辺見庸文藝春秋、1997年、82ページ。

 

 観覧車好き、趣味としてのフルート、ジョギング(手術前まで)、絵画・音楽・映画・写真などの鑑賞(素人の域を超える)。