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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

50.谷川雁の暗喩

 谷川雁という詩人・評論家がいた。今から50~60年前のことである。

  「原点が存在する」「東京にゆくな」などのメッセージに当時の若者の一部は心を震わせたのだった。谷川は北九州の大正炭鉱で戦闘的炭鉱労働者からなる「大正行動隊」を組織し、永久工作者として活動した。自立学校を提起し、サークル村活動も展開した。 

 だが、やがて闘争から退く。上京して語学教育会社の役員に就任。その転身・変節は学生運動家たちの批判の的にもなった。 

 「季節はめぐり、この世の老斑はひろがる。私自身もはや日日の壁のそとに遊ぶまぽろしをもたない〈喩としての死刑囚〉です」と、谷川雁はその晩年、獄中の永山則夫への私信のかたちをとって書いたことがある(『すばる』一九九○年八月号「極楽ですか」)。この表現を、私は特段嫌ってはいない。

 ただ、〈喩(ゆ)としての死刑囚〉が、どうしても気になる。〈喩としての死刑囚〉とは、含意するものがどうあれ、あるいはある種の話術としては通用するにせよ、生身の死刑囚の側からすれば、絶望的につりあわない、お気楽ないい草なのではないか。生身の死刑囚を想定するとき、獄外の者が巧(たく)む、「死刑囚」という言葉を取りこんだ暗喩は、それがいかに巧みでも、痛切な暗喩としてはどうしても立ち上がらないのである。仮に「私は娑婆にあるけれど、観念の死刑囚なのである」といったとしても、現実の確定死刑囚に言葉が向けられているならば、同様に能天気みたいなものなのだ。暗喩の主が、内心、自死を志していようが、老いか病による死期が近かづいていようが、表現としては決定的に軽佻(けいちょう)になってしまう。

  理由は簡単である。死刑囚の想念の、ときとして悶死(もんし)せんばかりの凄まじい重量は、外部のいかなる暗喩ともつりあうことがないからなのだ。死刑囚という獄中の表現者と獄外の表現者の関係性は、両者の内面の質量を厳密に問うならば、フェアな成り立ちが絶望的に難しいともいえる。つまり、〈喩としての死刑囚〉のたぐいは、獄外者の表現のお遊びになりかねない。死刑制度があるかぎり、そうなのである。そのことを忘れるな、と私は自身にいわなくてはならない。

 辺見庸『記憶と沈黙 辺見庸コレクション1 』毎日新聞社、2007年、48-49ページ。

  谷川雁は、吉本隆明と雑誌「試行」を創刊し一時期活動をともにしたことがある。二人は左翼運動のイデオローグとして、また一種の「カリスマ」としての発言は、旧左翼の教条的・硬直的な批判のムーブメントを起こした。

  谷川雁は、民衆の理想のまぼろしこそ「村落協同生活」「東洋的共同体」の底辺にあり、「孔子の治国平天下」に対応する現実の歴史的存在であるとした。彼の農本型土着思想では、日本人の生活の根部で動いている意識性こそ乏しいが力強い暗さとかがやきを見つめ、そのエネルギーを組織するよりほかないと断じたのだった(「東洋の村の入り口で」「組織とエネルギー」『原点が存在する』現代思潮社)。

  だが、局所的な「決起」を促しはしたが持続することはなかった。巧みなレトリックで編まれた詩や評論は「革命の詩興」の域を出ることがなかったのである。

  彼の発想は、「独創的」な論説となってあらわれたりした。例えば多数の独立水系からなる日本の国土の特徴が、日本民族が統一を求める根拠になり、それが天皇制の心的背景にあると述べたりもしている。

 今からすれば辺境、最深底辺部の重視ゆえの逆立した発想からの「荒唐無稽」な論説なのだが、詩人の閃きによって導き出されたものであったのだろうか。