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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

57.講演会(1月30日)のこと

 辺見庸の右目が見えなくなった、体を激痛が走る、「エベレスト」にも最近は登っていない、という。右目は手術しなければならず入院は7日ほど。左目も問題ありとのことだ。

 今年の1月7日からのブログ「私事片々」は2017年1月23日でいったん途切れ、その後、再開されたものの1月25日にまた消えた(削除された)。

 それによると、労組の研修会には行き、片目で話したとのこと。だが、彼のブログの文章量は極端に少なくなり、以前のような「粘着性」は薄らいでいる。

 身近な家族が辺見から去って久しい。

辺見庸)「私は傷つけた人々に私だけの重い責任を負うている。それは事実だ。そこから逃げようとはしていないし、ごまかそうとも思わない。家の問題は大したことがなく、世界の問題は重いから二者を分離し、前者を語らないというわけではないのだ」。(『自分自身への審問』毎日新聞社、2006年。173ページ)。

   不自由な体では歩くこともままならない。ときにマックでダブルチーズバーガービッグマックを食べ、又は定食屋に行き、喫茶店でしばしくつろぐのが精いっぱいであったのだ。

 昨年12月5日、八重洲ブックセンターでの講演が無事終わった後、辺見の体調は悪化していった。

 死刑制度に関する朝日新聞からの取材に応じたものの、記事の内容は辺見が答えたものと程遠く貧寒たるものだった。劣悪な見識の持ち主の米国大統領就任、国内では共謀罪の国会可決への動き。それ以外にも彼自身の諸事情もあるだろう。

 それでも今月30日の新宿での講演会には予定通り行くと辺見はブログで書いている。

『1★9★3★7』を書きあげ、彼としては思索・著作活動の「総括」をしたとの思いがある一方、情況への憤怒を表現しないわけにはいかないのだろう。それは体調や年齢を超える陰熱によるものかもしれない。 

 辺見庸は10年ほど前には、人前で語ることについて次のような感慨を持っていた。彼らしい気概と照れが交錯している。

 私ひとりのこととしては、羞じどころかそこはかとない頽廃の臭いさえ嗅ぐこともあった。大勢の人を前に一段高いところからひとしきりなにごとか偉そうに話す自分に、だ。旧年はそれが堪えがたいほど多くつづき、私は聴衆に向かって声張りあげては内心「なんてこった」と声なくおのれを呪い、回を重ねるごとに厚顔の度を増す一方で、少しは静かにまつとうに生きたいという私なりの気組みがいやな音をたてて崩れていくのを感じていた。

 聴衆が私の話に昂揚しはじめれば、私は彼らの高ぶる心の波をさらに高ぶらせようと案をめぐらし、それが奏功したりすると怪しげな快感のようなものすら覚え、内心かえってぞっとしたこともある。私は自分が年来もっとも軽蔑していた口舌の徒になりさがっていた。

 それでも人前で話すことをやめなかったのは、いいわけめくけれども、古くから胸底にこびりついていた二つの沈黙の言葉が異常に発酵して体内に充満し私をいらだたせたからでもある。

『記憶と沈黙 辺見庸コレクション1 』毎日新聞社、2007年、182-183ページ。

  だが、2007年、新潟での講演中に脳出血で倒れて以来、治療を受けながら懸命のリハビリに努め、体力・気力を回復させてきたものの、後遺症は容易に治癒しないどころか徐々に彼の心身は弱っていった。ブログからはそう読める。

  今月1月30日に新宿紀伊国屋ホールで開催される講演会については少し様子が異なる。

 紀伊国屋ホールでの講演会、彼の姿を一目見て、そして話を聞きたい人は少なくないだろう。しかし、『1★9★3★7』を「なめるように」読めばいいのだ。『死と滅亡のパンセ』『明日なき今日』『国家、人間あるいは狂気についてのノート』などを再読すればいい。

 昨年春に他界した彼の母親(「昨春の母の他界(2017/01/13のブログ「私事片々」)も、辺見庸が早く会いに来ることを決して望んでいないはずである。