辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

66.辺見庸における「延性破壊」

 最近、辺見庸は「延性破壊」を自己の内的世界に起こしつつあるようにみえる(延性破壊とは塑性変形を起こし、材料の著しい伸びや絞りを伴う破壊のことをいう)。

 かつて辺見庸は、吉本隆明埴谷雄高の晩年の変質を嘆き、批判していた。しかし、辺見の変質の内実は、彼らと異なるものの 、autonomyの揺らぎを感じさせるものがある。(いまさらdignified 、ましてやnoblesse obligeを、とは言わないが)。

 最近何度かインタビューを受けたけど、それは大抵日本はどうなるんだ、どういうふうに復興すればいいのかというものなんだ。そういう質問じたい不愉快なので、この際一回滅びたほうがいいんじゃないかと言うと、正気なのかという目で見られて、けっきよくそれはなかったことにされて新聞に載らない。ぼくは本気で言ったのにね。こんなインチキな国はなくなったっていいじゃないか、棄てちまえ、と。いくらニッポンでも千人に聞いたら一人ぐらい言うよ、この際一回なくなってしまったほうがいいじゃないか。そういった言説を全部きれいに消していく作業だけは、メディアの連中は見事にやる。みな「自己内思想警察」がいる。

 辺見庸『死と滅亡のパンセ』毎日新聞社、2012年、83―84ページ。

 これくらいはこれまでの辺見庸の思考からは自然な表現で、何も驚くことはない。むしろ「まっとうな」表現であるといってよい。

 まいどAの話で恐縮ですが、Aは不快であり、ふひつようである。Aは最悪だ。Aはばかだ。Aはコンプレクスのかたまりだ。うらはらに不遜で倣慢だ。Aはみえすいている。Aはジンミンをじぶんよりもよほどアホで操作可能だとおもっている。チョチョイノチョイだと。Aはアナルだ。ケツメドだ。ケツメドが、でも、ジンミンを支配している。Aはますます図にのっている。ひとびとは、だからこそ、じつは、Aをとてもひつようとしているのではないか。ドイツ民衆がナチスをひつようとしたように。あとになってすべてをヒトラーのせいにするために、ヒトラーをひつようとしたように、われわれ卑怯なジンミンは、Aをいまひつようとしている。きったねえケツメドを。マヌケぶりを笑いたおし、いつかみんなで罵倒するために。すべてをAのせいにするために、Aをひつようとしている。(2014,10,14)

 辺見庸『もう戦争がはじまっている』河出書房新社、2015年、84ページ。

 これも表現はやや「荒れ球」風だが、内容は的確だ。

 ところが、思わず、え?と思ってしまう彼の「つぶやき」をブログで目にした。

 これ以外にも散見されるいくつかの譫言。もしかすると辺見の言論テロを警戒するNSAへの攪乱かと思ってしまったほどである。   

 駅前でシンニッポンなんとかというのが、たすきがけで愛国連合政府樹立署名活動をやっている。特高が電柱の陰からじいっとみている。とおりすぎるわけにはいかない。

 おばさんに言う。ぅわたくすぃ、手がわるいのでアナルコサンディカサインでもよかですか?愛国おばさん「アナルコでもハメルコでもよかどすえ。おっちゃん、元気だそう!」。ほなと、ケツメドで落款す。ペタ。失敗。もいっかい。朱肉が穴にちゅめたいわ。腸が冷えるわ。ペタ。乱れし菊のご紋。

 聞こえよがしにうたへ、キミガヨ。ニッポンゼンコク、ソウイン、起立!右むけぇ右!

  ケツメドでうたへ、キミガヨ (文科省推薦・ヌッポン国旗国歌法第2条に基づくソネット) ケーツーメドはケツメドだ 

 おれのケツメドは ただれ ゐわをとなりて こけのむすまで おれのケツメドだ おまえのケツメドはおれのケツメドじゃない エンペラーのきったねえケツ チンのケツ アベのケツの眼窩の襞を頌え 頌えってんだよ エンペラーのケツの眼窩の襞のクソのかけらのアルシーヴを読め 

  アホウども 党のハンドラーたちよ 洪積期のウンコの眩惑 くっちゃい穴(孔)と穴(孔)のまわりをさあ、たんとお舐め ペチョペチョ ぼくちゃんのアルコーヴ ウンコのエノンセでいっぱいの夢のアルシーヴ ケーツーメドはケツメドだ おれのケツメドはおれのケツメドだ ちよにやちよにケツメドだ おまえのケツメドはおれのケツメドじゃない さあ、やったんさい いれて ぶちこんで さして ちょっとぬいて すぐついて こねて たれて だして ちよにやちよに あへあへ あへりんこ タマのーむーうーすーまああで いってえ! 

 あっあっ、いっちゃふ!みんすすぎってなんだあ? ケツメドだあ!             (2015/11/19)

*このブログ記事は、公式の辺見庸のブログからは、現在、削除されている。

  辺見庸における「塑性変形」の兆候。これは、噴出する狂気じみた意識を制御できず不安に怯えることに起因したものなのか。それとも自暴自棄を衒っているのか。

 加えて2004年春の脳出血の後遺症が、身体と神経の乱れとして辺見を襲っている。

 表現は彼にとって癒しにならず却って深傷の確認となる。辺見庸の鋭い感性(聖性)が、世界の現実の理不尽を前にして傷つき乱調を奏でている。

 

付記

 江藤淳自死(遺書)の吉本隆明の言辞への批判、さらには狂い死もよしとするのが辺見庸らしいかもしれない。