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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

71.洞察の分水嶺(その2)

 辺見庸が記した「永山則夫の処刑」に比べ、評論家・近藤洋太の記述は上滑りしている。

 彼は、死刑囚の永山則夫にたいする小山俊一の姿勢に疑問をもち、それを投げかけている。

 たんに生きること(考えること)を放棄しようとしているだけの死刑囚になぜ「驚嘆」し「震撼」させられるのか。小山の思想の真髄は、このようなところにはないはずだ。(No.70『前掲書』)

 何という物言いであることか。このようにしか小山俊一そして永山則夫を理解できないまま「小山俊一ノート」なるものを書き綴っているのだ。

 

 一方、小山俊一本人の永山則夫への視線は正鵠を射ていて、そこのことは次の言葉に端的に示されている。(『オシャカ通信』及び「プソイド通信)

永山則夫は独房に閉じ込められ、壁が彼をとりかこんでいる。しかし、独房の壁以上の実在をもって「死と犯行の記憶と彼の現存」という三つのものが彼をとりまき彼の前に立ちふさがった。

 〇死と犯行の記憶と彼の現存とは、すなわち殺人囚永山における自己条件そのものだ。この自己条件を彼は、こんどは行為によってではなく認識によって引受けてわがものとしなければならなかった。いいかえると、死の恐怖とたたかいながら、「おれはなぜあれをやったのか」と「おれはなぜ生きてるのか」という二つの自問と格闘しなければならない。これが獄中における永山の自己教育現象のほんとうの内容である。彼の「勉強」は(たしかに自発的な自己教育の恰好をしてはいるが)真剣なものであればあるほど、このほんとうの自己教育現象のためのひとつの手段でありうるにすぎない。

 〇 犯行の理由と現存の理由の問い。その底に<自分とは何か>という一つの問いが暗礁として横たわっていて永山を挫折させた。無残な自虐と自己欺瞞をかさねたあげくみごとに挫折。彼の『無知の涙』は、生存感覚とイデアルなものとの関係の見本を肉眼でみえるように摘出した生体解剖記録だといえる。

                   

 だが、「もはや遅しである」と小山は言う。そして「自ら招いた自己条件(刑死を待つ)を引き受けてわがものにするべく踏み出さねばならぬ」と述べる。

 ただし、自ら招いた自己条件が即刑死を待つことになるのか、それとも死刑という国家による殺人を避けてたとえば終身刑であってなぜだめなのかは考察すべき重要なテーマである(このことはすでに述べたところであるが、残念ながら小山はそのことについての思索を深めていない)。

  十年かけても五十年かけても死刑制度を全廃する。遅れれば遅れるほど国自体が自らのクライムによって国民なき国家として「自壊」する。廃止のための根拠となる「理知」は、罪業の解消への人類の責務の実現にかかっている。

 辺見庸は、国の罪業としての戦争とそれに通じる死刑は廃止するべきである、すぐにでも死刑執行停止をしなければならないと述べている。

 参照:「それでも死刑に反対である」(当ブログNo.9)

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 辺見庸永山則夫の処刑」いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年。のち講談社文庫、2005年。 

 私にはときどき死刑制度というものが思考の試薬のように思えることがあります。あるいはリトマス試験紙のようです。死刑制度をどう考えるか。その答えのいかんで、その人の思想や世界観の一端どころか、おそらくはいちばん大事なところが見えてきます。人間観の中心部分も照らしだされます。

〈ああ、試薬のようだ。表面はもっともらしく、人間的に装っていたって、この試薬にかかると、内面の酷薄が浮かびでてくるのだから〉。私はそう思いました。文学が最も深く考察しなければならないクライムとスィンの区別を、作家たちの多くが放棄しているとも思いました。そして、死刑というテーマで、試薬がわれわれに見せてくれたものは、多くの表現者が内面に隠しもつスィンであった気もするのです。

 あなたは加害者に肩入れするばかりではないか、といわれそうです。そうではありません。私は犯罪被害者および遺族の方々の限りない悲しみ、苦しみを軽視するつもりなど毫もないのです。ただ、それを死刑制度存置に直結させていく発想は、完全なまちがいであるといいたいのです。野蛮な死刑制度は、厳然としてこの国に存在します。私は明らかな憲法違反だと考えるのですが、この制度はしっかりと運用されている。