辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

75.辺見庸「父を問う」(NHKの番組)について(その2)

 辺見庸の母がポツリと、「あのひとはすっかり変わってかえってきた。化け物のように変わって」・・・そのような口吻で復員してきた夫について呟いたと、辺見は『1★9★3★7』で記している。

 この記述から、敗戦で帰還した辺見の父の心の葛藤、荒みの一端が読み取れるのだが、そのことについては番組では触れられなかった。

 父と息子との情愛と反発。一般の父子にみられることに類比・収斂したり、戦争での加害性への言及を中途半端な形で取り繕うのではなく、戦争という「事態」が、辺見と彼の父の間でどのような「生存感覚」の変化をもたらしたのかを厳しく問うのがこの番組のテーマであったはずである。そのためには、辺見の父の戦後の心の葛藤、荒みを掘り下げてほしかった。

  「分列行進曲」(戦争中に使われた「抜刀隊」と「扶桑歌」を編曲)が、現在でも安倍首相や防衛大臣の観閲する陸上自衛隊の行進の際に演奏されている。進めや進め諸共に・・・。 

 戦争を、実時間・実空間でどうとらえるのかを徹底して問わなければならない。まったく同感である。かつて戦争に身を置いていた人びと、そして戦後生れの者たちがともに、過去の戦争が今の自分の身と世界にいかに刻印しているのか、戦争の「記憶と罪」の同心円の中心でかつて何が行われたのかを問い続けるのである。

 なお、上記以外でも辺見による情勢の背後への鋭い批評がいくつかあった。

 「紛争が続く中東各国の緊迫した情勢の原因はひとえにアメリカの中東介入にある」。にもかかわらず歴史的事実を無視し、難民・移民の排除政策を強行する。そこにトランプのおぞましさがある。―同感である。

 ポスト・トゥルースという言葉が聞かれる。それは普遍的な価値(男女平等、人権、博愛、友和、寛容等)すなわちイデーが崩壊していること意味する。そしてそれは客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治に影響を与えるようになる。同感。

 忖度することに長じたこの国の人々。他人(とりわけ強者や権威者)のふところに入らない、めくり返さない。記憶の墓を暴かない。

(瀆神することを避ける。それどころか、先の戦争で空爆され街が壊滅したことや敗戦したことを、なんと「天皇に悪かった」と懺悔する。これはいったいどういうことだ。辺見の指摘に同感。

 常に、最も低い視線から世界を見る(見上げる)必要がある。無用の者、役に立たない者の現実から見上げるのである。同感。

 (しかし厳密にいえば、視線の高低ではなく、個として「Notとしての義」の発現を育みつつ世界と自己の内なる敵に対抗するという姿勢が必要であると思う)。

 

 NHKの番組作成・編集上の問題

 共謀罪(テロ等準備罪)法について、安倍首相の「考えうるかぎりの対応をとるためために法制化するのだ」との発言をさりげなく放映(挿入)し、この法の大きな問題点について野党側の反論(その一端さえ)を放映しなかった。

 

付記

辺見庸「父を問う―いまと未来を知るために」

再放送はNHK教育テレビ、3月18日(土曜日)13時~14時。