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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

83.自己教育(その1)

 文化庁長官もであった三浦朱門曽野綾子の夫で2017年2月に没)について、辺見庸が次のように述べている。

 

 (三浦朱門は)教育基本法改悪にことのほか熱心で、児童教育について「非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばよい」などと真顔で語ったこともある。「法は法」発言同様に、放つ言葉に人間の温もりがない。聞くところによれば、キリスト者なのだそうだ。それだけではなにほども意味しはしないけれども、この人物の場合、神よりも人よりも「国家」を奉じている様子である。(辺見庸『いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年、のち講談社文庫、2005年。142ページ)。

 

 この三浦朱門、かつて「女性を強姦する体力がないのは男として恥ずべきこと」と雑誌で発言した男である。

 一事が万事、この国の教育行政(国家が主導することもないのだが)、そして教育のの根本の劣悪さは目を覆うばかりである。だからなのか、辺見庸は教育について真っ向から論じたり批判する気にもならなかったのだろう。読むべき教育に関する評論は見当たらない。

 

 ルソー(1712 - 1778年)は、自然の状態では自由でかつ平等であった人間が社会を作り、文明を進化させることで堕落したと述べた。そしてルソーの教育論(思想)は、民衆としてのこどもを対象に主にその視点から構築され、「自然に帰れ」との理念から、考える力=理性を育てる前に、感覚器官をしっかり育てることの重要性が説かれた。ルソーは3歳までは感覚器官を鍛え、特に身体を鍛えることを教育の基本にしたのであった。

 教育(Education)は、ラテン語の「引き出す」あるいは「導き出す」という意味の言葉を語源としているという説もある。

 

 その後、教育思想はカント(1724 - 1804年)にも受け継がれ、彼の教育論では、大きくは自然的教育と実践的敦育に分けられる。その要点は森 昭氏(大阪大学)によれば次のように示すことができよう。

 自然的教育とは「人聞が動物と共通に有する教育」のことで、保育(養護)がこれにあたる。 実践的教育は、「人聞が自国に行為する者として生活できるように、人聞を凶冶しようとする教育」であり、技能、利口さ、道徳性が教えられる。

 一方、訓練、育成、開化、徳化の区分がなされる。注目すべきは実践的教育であり、これは人聞は初めから「自由に行為する者」ではあり得ない。人聞は、初めは、少なくも本格的な意味では、自由に行為することはできない。そうであればこそ、「自由に行為する者」としての人聞の教育に、自然的教育が先行しなければならないとされているのである。

 ここから読み取れるのは、ルソーの教育思想では「人間は人間の全自然素質を、自分自身の努力によって、自分の中からしだいに取り出す」とか、「人間は教育によってはじめて人間になることができる。人間とは、教育が人間(の素材)から作り出したものに他ならない」としながらも、実践的には、訓練、育成、開化、徳化さなければならないということになる。

 ペスタロッチ(1746 - 1827年)によって学校教育の礎が築かれ、以後、多くの教育思想や教育実践論が展開されたが、現代の学校教育中心の教育では、教化として熟練した能力の獲得が大部分を占めるに至っている。

 その背景には近代化産業化する社会への適応があり、労働力を保有した人間の能力向上が目指される。そこには民主社会とは別のパラダイムで動く資本の論理・商品化経済を推進する企業社会がある。教育の理想(人間の本源的な資質の創造的な開花)が組織的・制度的ひいては権力的に圧潰されていく。

 

 教育が産業社会に資するための労働力(製品)の生産・流通に資することが目指される。そのための主な機構である学校が「教育産業」となる。生徒・学生は、労働力商品化の過程で、本来保有している自由で平等で創造的な感性資質(素材)を加工され品質管理によってブラシュアップされていく。しかも固有の労働力能力・品質の向上のみならず産業化(企業社会)におけるドグマ、ルール、手法等の徹底的な刷り込み(洗脳)が行われる。金融資本が(この国では国家権力さえもが)それを後押しする。

 

 現代教育では産業化原則(分業化・大規模化・標準化)が貫徹している。視点を変えれば教育をめぐる「教育する者とされる者」という二分化と、教育される者が主体であるべきにもかかわらず主客転倒してしまっているのである。

 教育する側の押しつけ・強制が全面にあり、教育を受ける者が一方的に受け入れる側として、または教育する側への「像合わせをする」者としての存在でしかなくなってしまっているのである。

 (これに対して「自己教育」の視点から真っ向から異議を唱えたのが小山俊一であった)。