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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

92.脱・日本的経営の再考

 群体として惰性で生きることは生きるとは言えず、個人として個体知で生きてこそ生きるということである(辺見庸)。

 

 個力の強化、個体知は産業界おいても求められる。

 中小企業のなかには、産業経済の発展・成長の先駆的役割を担う企業があり、マイクロ企業のなかにも同じような企業がある。それらを政策的に支援することは有意義なことである。

 

 一方、中小企業政策の基本は「所得と資源の再配分」である。大企業と中小企業、ましてやマイクロ企業(10人未満の企業)や個人事業(自営業)とでは、資本、設備、人材、技術、情報、さらには交渉力においても厳然とした格差がある。そのことをなおざりにして、大企業と中小企業さらには自営業等も同じ事業体だからリスク負担や競争は同等にせよとの考えは、経済活動をいびつになものする。  

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  この兆候がはっきりと表れ始めたのはアメリカ資本主義の悪しき面が蔓延し始めた1980年頃からである。

  しかも、産業界は日本的経営の功罪における「罪」の払しょくに走るだけでなく「功」をそぎ落としながら突っ走った。そのうえ、為政者たちは金融資本経済が実体経済を愚弄する経済へと誘導したのだ。

 その結果、沈滞感が漂う現在の日本経済を生んだ。産業経済の基盤を構成する「個」を殺いでしまうことによって、成長の根元が脆弱化し不活性になってしまったのである。そして硬直した産業の基幹システムでは排除システムが作用し、巡りめぐって国のプライマリーバランスを崩し続けたのである。

 

 資源の最適ミックスは、資源活用のパレート最適化とともに適正な再配分システムを必須とする。これは人類の知恵の一つである。権力と資本によって格差を拡大し民衆の暮らしを蔑ろにすることは人類の厚生福祉にとって罪である。

 

 にも拘らず、為政者や評論家たちは、産業基盤の脆弱の実体を直視することなく、資本にすり寄り拝金主義に陥って厚顔無恥に強者の提灯持ちに走った。

 いよいよそれを大転換する時が来た。ベンチャーやICT、海外進出そして成果主義ばかりを言挙げしている時ではない。

 マイクロ企業・自営業への施策こそ確立しなければならない。まず一歩として、それらに対する大幅減税、不当取引完全撤廃、労災保険の全面適用、不当行為への代表集団訴訟制度の新設、連帯保証制度の完全撤廃などを早急に実現するのである。

 民主主義は産業界の民主主義によって完遂されるのであり、21世紀は、大規模至上主義経済から小規模事業者が主役になる経済を展望することが求められているのだと思う。