辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

100.辺見庸の「置き文」

 

 生き苦しさが増している。むしろ「息苦しい」といった方がよいかもしれない。右傾化なんて言葉では片づけられないほど、価値観の底が抜けてしまっている。この苦しさの理由は根深いところにありそうだ。

 宮城県石巻に生まれ、太平洋沿いの海岸近くで育った辺見庸は、少年期、潮騒と海鳴りを聞きながら、なにか「妖しい」気配を感じていた。だからなのか、長じてからも「根はとてつもなく明るいけれども、世界観というか未来観についてはひどいペシミストだった。とても暗い。」と彼は自己分析する。

 もちろん辺見は、経綸の視点から「気配」を感じてきたのではない。世の中がどうなろうと自分という「個」なのだ。「個」の自由( 最も重要なのは精神の自由だ )を望むゆえに世の気配の変調を許せないのである。そのことは、辺見庸の自己描写によって明らかである。

 

「僕には抵抗という意識はない。世のため人のためなんて発想も一切ない.本当は世の中なんてどうなったっていいのです。ただ要するに、自分の快不快のため、口はばったいことをいえぱ、自分の実存の“芯”を意識していたいから、いわざるをえないということですね。」(『いま、抗暴のときに』208ページ。)と彼は率直に述べているのである。

 

    離婚し家族が去った。その後2004年3月に脳出血で倒れ、その後リハビリに努めるものの後遺症は寛解しない。

 脳出血とほぼ同時期にガンが見つかったことも(快癒したとはいえ)心身に一抹の不安を残していると思われる。

 それに拍車をかけるように国内外の政治経済状況の歪みが耐えられなくなるほどひどくなった。愛犬(つれあい)と暮らす。

 彼の根っからの気質が次第に露わになる。「エキセントリックな任侠左翼」の面が現われたのではと見るふしもあるようだが、それはすこし違う。

 

「わたしがごくおとなしく、フッウに正気で、平和的で、非倒錯的で、いわゆる正義の味方だ・・・というのが平板な誤解である」(『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム』184ページ)。

  

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 辺見庸が自らの「生」の限界を実感したのは、脳出血で倒れてからであることは間違いないだろう。後遺症によって、倒れる前のようには身体が思うとおりにならなくなるとともに徐々に苦痛が増している。

 「古い言葉だけど、ぼくはネアカなんですよ。手術のころは身体中にチューブをつけたまま下手な冗談を言ってました。ぼくの人生ってのは、どのみち半ば以上にジョークみたいなものだ、という不謹慎な考えが抜けないんです」(『記憶と沈黙』104ページ。)と、強がってはいるが、脳出血で緊急手術しガンが見つかってからの著述ではあきらかに変化が起こっている。

  

 「東京都公認の二級の身体障害者であります。バッイチで、犬と暮らしております。」と自嘲的なことばを吐く一方で、辺見庸の著作は「置き文」の色彩が濃くなっていると思われるのである。

 以前にもまして彼は自身の精神の内奥を凝視し、言わなければならないことを独白のように書き綴っている。そのなかには、心のうずきに堪えられなくなって発せざるを得なくなって書いている文もあると推察する。

 

 置き文と思われる文章は少なくないが、その中から彼が潜思のすえに心境を語っている( と筆者が推察する )三つの文を以下に掲げる。

 

静謐

 私は誰より静けさが好きだった。寡黙で静謐な人間を好んだ。大声で話す好人物よりもいつももの静かな連続殺人犯のほうがよほど好ましいと思ったこともある。おめく自分を誰よりも軽蔑していた。医師に声帯を抜いてもらおうかと考えたことだってあった。終いには自分のあらゆる発声、発語まで嫌いになった。

 だが、私は結局わめきつづけたのだった。無伴奏チェロ組曲をとことわに黙って弾きつづける老人には残念ながらなりえなかったのだった。数十年怒鳴り、すごみ、わめきつづけた末に血圧は極点まで上がり、血管がボロボロになった。挙げ句の果て、私はやはり声高に何ごとか人々に訴えている真っ最中に脳出血で倒れ、それでも死にきれずに、これが怒鳴りつづけたことと関係があるかどうかつまびらかでないけれども、今度はご丁寧に癌まで患った。何という大ばか者だろう。私はロボトミー手術でも受けて、伊豆かどこかの陽当たりのいい別荘地あたりでニコニコ笑いながら余生を生きればよかったのだ。

(『自分自身への審問』163ページ)。

 

受傷者のことば

「そんなにえらそうなことは言えないですけどね。僕自身としては結局言葉や文は、何かを失ったり傷を受けたり奪われたりしないと生まれてくるものではないんだと思います。お金や地位や豊かな言葉や、いい嫁さんやいい旦那さん、何も失わずにそのすべてを手に入れるということは断じてありえないですよ。

 つまり、ものを書くということは、俳句であれ詩であれ散文であれ、受傷が前提にあるのだと思います。もしかすると自分では傷を受けていることに気がつかない人もいるのかもしれない。傷は主観的なものですから、それぞれ感じ方は異なるのですが、いずれにせよ受傷をきっかけに文は生まれてくるのだと僕は思っています。

(『明日なき今日』138ページ)。

 

日常への拒否

「ぶかっこうなもの、とるにたりないもの、弱々しいもの、形をなさないもの、無価値とされるもの……そういう原存在の側から、システムに同化することを完壁に、かつ穏やかに拒絶した男。いまの日常に余儀なく生きる私たちはバートルビーにそんな像を見てもよいでしょう。〈決して有用でないもの〉―ここにこそ存在の原点がありそうです。

 私たちは一呼吸するたびに、一歩歩くごとに、食べ物を一回噛むごとに、愛を語るごとに、詩を一編書くごとに、死ぬごとに、生まれるごとに、資本主義に奉仕しその延命に手を貸しています。市場はわれわれのためではなく、われわれがもっぱら市場のためにあるのです。私たちは常に有用であることを求められています。慈しみも優しさも愛と美の千態万状も、市場に吸収され市場から吐きだされる「意識商品」にすぎなくなりました。それが私たちの日常です。

(『たんば色の覚書』167ページ)。