辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

B-1 参考資料:辺見庸の略歴  (辺見庸研究~内宇宙への旅~)

辺見庸の略歴
  
1944年  宮城県石巻市生まれ(1944年9月27日)。
1962年 18歳 宮城県石巻高等学校を卒業、早稲田大学第二文学部社会専修に入学。
1966年 22歳 "早稲田大学第二文学部社会専修を卒業(大学卒業後も、中国研究所付属学校で中国語を学ぶ。中国語学校で夜間講師を務めるなどした)。
1970年 26歳 共同通信社に入社(横浜支局勤務)。
1977年 33歳 共同通信社北京特派員になる。
1978年 34歳 北京特派員(第1回目の)時代、中国報道で日本新聞協会賞受賞。
1981年 37歳『近代化を進める中国に関する報道』(最初の北京支局勤務を終えて帰国し1980年に執筆、1981年『アジア』1月号で発表)。
1984年 40歳 二度目の共同通信社北京特派員になる。

1987年 43歳 胡耀邦総書記辞任に関連した中国共産党の機密文書をスクープし、中国当局から国外退去処分を受けた(二度目の北京特派員時代)。二度の北京特派員として通算6年間勤務。
1987年 43歳 (アメリカに研修留学)。
1989年~1991年 45歳~47歳 共同通信社ハノイ支局長に就任 (1年数か月勤務)。
1991年 47歳  『ナイト・トレイン異境行』文藝春秋。のち『ハノイ挽歌』と改題、文春文庫、1995年。
1991年 47歳 『自動起床装置』で、第105回芥川賞を受賞(共同通信社 外信部次長時代
1994年 50歳 『もの食う人びと』(30万部を超えるベストセラー)で、第16回講談社ノンフィクション賞、JTB紀行文学大賞を受を受賞
1996年 52歳 共同通信社を退職。執筆活動に専念。
2004年 60歳 (脳出血で倒れる)。
2005年 61歳 (ガンを患っていたことを公表)。
2006年 62歳 執筆活動を再開。『自分自身への審問』を上梓。
2011年 67歳 『生首』で第16回中原中也賞受賞。
2012年 68歳 『眼の海』で第42回高見順賞受賞。
2016年 72歳 『増補版 1★9★3★7』で第3回城山三郎賞受賞。
2017年 73歳 現在に至る。
  
 註1:  2017年6月20日作成 (出所:公刊された資料・文献)。

 註2:ここに掲げた著作は全著作の一部です。