B‐14 報復は報復を呼ぶ。アベはそれを知っていながら、自衛の名のもとに「殺し」、「殺される」状況作りに突っ走っている。
軍備増強しても、日米安保があっても、集団的自衛権を行使したって、いざ戦争になれば国民を守ることはできない。自衛隊だけでなく官民挙げて関与させられ犠牲者は百万人いや千万人以上が犠牲になるおそれさえある。「殺し」「殺される」社会をなくすことこそ目指すべきなのに。
→北朝鮮もアメリカも「自衛」を唱えている。そのためには先制攻撃も辞さないと宣言し合っている。アベはそこに割って入り、日本も「自衛」のためにアメリカにくっ付いて北朝鮮を攻撃すると叫んでいる。そのあおりでダメージを受けるのはわれわれ国民である。アメリカは日本をスケープ・ゴーツにして本土は無傷かもしれないのだ。
辺見庸は言う。「憲法の前文と九条は、国家が宿命的に持つ暴力性を否定している」と。
にもかかわらず、アベは憲法9条1項、2項を残すが、3条に「自衛隊」を規定しようとしている。集団的自衛と安保で米軍と一緒に軍事行動するような自衛隊であるかぎり、自衛を騙って侵略・先制攻撃するだろう。憲法九条1、2項と矛盾したままでの3項追加は欺瞞以外何ものでもない。ましてや2項を削除して自衛隊を明記するなど軍国主義そのものだ。そんなことをしたら日本は軍国主義で敗戦したことをなんら反省していないことを世界に示すことになる。
→ 改憲論者は、現在の自衛隊は軍隊であり、憲法違反(九条二項に違反)だから、憲法で自衛隊という戦力を規定せよという。本末転倒である。憲法違反だから自衛隊を軍隊(侵略できる軍隊)ではない自衛組織に改編するというのが道理である。さらに言えば自衛そのものの新しい在り方をつくっていくのが立憲民主主義の基本であろう。
森達也は10年前に次のように発言している。
世の中には人権侵害の事例はいくらでもありますが、現実に即していないから人権尊重の理念を捨てろと主張できるのでしょうか。公明党が存在しているから、政教分離の条項は捨てなくてはならないのでしょうか。憲法は理念です。現実に合わせる必要などまったくない。(森達也「週刊金曜日」2006年1月6日号、のち『豊かで複雑な、僕たちの個の世界』作品社、2007年)
日本国憲法は、国際社会の恒久平和を実現しそれを牽引するという理念に基づいて「戦争放棄」「武力行使放棄」を謳う根本法であり最高法規である。理念や規範にとどまるものではない。ゆえに拙速に改定などするべきではない。