B-17 現実が引き裂かれる
辺見庸の作品の中にこんな文章が出てくる。
「現実を覆っていたことばとイメージが、現実によって引き裂かれてしまい、現実がその裸形の冷酷さにおいて迫ってくることになる」
(これは或る哲学者の言葉から、との文が続いているのだが・・・)
うむっ!それにしても、これは「言葉が私たちを見放す」(石原吉郎)よりさらに深刻な事態を指摘している。
民主主義社会の矜持をかなぐり捨てた米国のトランプ大統領、北朝鮮金正恩の欺罔、近時のイスラエルの悪業、加えてアベ首相の蛮行。
自らの言葉の意味も吟味せず自己言及を欠いた思念が、政治家たちの脳内を駆け巡り、それが政治的言動となって現れている。困ったことにその後背には彼らの恐怖感と自己陶酔がある。
まさに「政治家っていうものは、元来、フィクションみたいなもので、命がけであるということだけしか、とりえはない」(堀田善衛の発言:武田泰淳・堀田善衛『私はもう中国を語らない』)のである。
彼らの命がけに民衆が巻き込まれ「殺され」死されてたまるか!
それがNotとしての義(内的必然性・必要性)からの民の叫びではないのか。
(「Notとしての義」については、拙著『辺見庸の内宇宙 ―探求・反逆・創造ー』(2版)改訂版、Amazon Kindleを参照されたい)