B-20 辺見庸の最新作
雑誌『本の旅人』に掲載中の「月」で、辺見庸は晩年の自らを絞りだすように表現している。2004年3月に新潟で講演中に脳出血で倒れ翌年がんがみつかって以降、心身の疲れと苦痛が次第に厳しくなっているのが読み取れる。後遺症は寛解するどころか悪化しているのである。
小説「月」はそんななか、「身体感覚にかかる想念(幻想)」「世の現実」「至言」(「箴言」)の三つを核にしながら主人公が脈絡もないまま語るという形式で展開されている。
身体感覚にかかる「想念」(幻想)につては、例えば次のような表現にみられる。
- 存在とは痛みなのだ 痛みは存在の搏動である。
- 耐えられないほどの痛み。これが拷問ならなんでも白状する
- どうでもいい。じぶんのいない世界は、どのみち、もう世界ではない。
「月」(2017年12月号)
右半身の麻痺と首、肩、腕、手の関節の激痛、苦悩による幻視、死の影。その後は悩乱ゆえの幻想と思しきことも書き連ねている。
辺見庸はかつて評論家として鋭い論説を展開し、そして現代社会とそこに生きる人間の罪と実存を小説や詩で著してきた。大病を患ったこともあって、晩年には「鋭い不穏さ」が「陰熱のこもった不穏さ」に変容しているものの、江藤淳のように「自らの老いと病身を形骸とする無様や恥を拒んで美学とし自死する」ことを諒としない。辺見のすごさは、精神の芯が決して揺らぐことなく弱まることがないことだ。
辺見庸が見つめるのは、漆黒の空に浮かぶ月である。