B-23 止まったままの時計
広島と長崎に「新型爆弾(原爆)」投下の恐れがあることを軍部は事前に察知していた。にも関わらず、投下当日はなぜか警報が解除された状態であったという。警報が発せられていれば少なくとも何万人の命が助かっていたはずだ。
しかも原爆投下予知関連情報などが、日本の敗戦日前後に陸海軍部の命令により急遽焼却処分されてしまったのである。
軍に都合の悪いことはすべてなかったことにするという態度は天皇ヒロヒトに対しても貫かれ、その結果、終戦決断を遅らせた。
(松木秀文・夜久恭裕『原爆投下―黙殺された極秘資料』NHK出版)
戦後70年以上たっても同じことが繰り返されている。陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報問題だ。海外での自衛隊の状況が、主権者である国民に明確かつ十分に知らされず(資料はないと強弁され)秘匿されたままだったのである。
「国防色の輪は、しかし、だれかが中心(点)の鬼と交代することもなく、中心(点)そのものを焼却してしまう。輪は暗黙のうちに記憶の中心(点)をなかったことにする。あっさりと忘れてしまう。」(辺見庸)
*写真は、敗戦まで「陸軍特種情報部」があった施設。