B-25 辺見庸の誤謬
現代経済は消費によって牽引され、人びとが商品に呪縛され心身が商品に浸潤されている。辺見庸は消費資本主義について次のように発言している。
実感的に言えば、市民なんてこの日本にいやしないのです。いるのは、ただ消費者だけです。われわれは消費する人。モノを作るのは近隣諸国の人。(中略)じゃあどうすればいいんだ。どうしようもないですね(笑)。
辺見は「どうしようもない」と匙を投げてしまっている。そして「こうなった以上は身体がカスになるまで、とことんモノも情報も消費しつづけてゆくしかないんだろう。腐って腐って腐り抜くしかない。そこに楽観論が忍び込む余地なんてない。ただただ悲観論としてこう思うわけです」と言う。
これではあまりに上滑りしている。やはり詩人・批評家(門外漢)の言でしかない。
かと言ってミニマリズムなど一部にみられる「消費の放棄」(実際は、必需的消費以外は消費しないこと)では論点(課題の焦点)から逸れている。
資本制経済(消費資本主義)の矛盾の(現実的な)止揚の展望を拓く構想と方策(政策)の探究・・・・・、それが私たちに課せられている
<辺見庸の誤謬(その1)要旨>