辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

B -38 消費「怠業」

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 消費資本主義の中で根腐れがないかというと、隠蔽しているだけで、地下茎部はもっとひどいかもしれない。(辺見庸の発言。対談『夜と女と毛沢東吉本隆明辺見庸、1997年

  

 来年10月から消費税増税が施行される(らしい)。

 消費税の徴税(増税)の大義はどこにあるのか?

 社会保障の破綻回避? 子育て支援? 財政赤字補てん? 戦時態勢のための試行徴収? コロコロ変わる目的や、マスメディアを使って目先の小手先課題に国民の関心を誘導する卑劣な方法。

  はっきりしているのは、財政危機の責任や税金の不正な使途の責任・反省がまったく見られないことだ(先のアジア大平洋戦争の責任さえとっていない)。

 そもそも消費する(購買する)たびになぜ税金を払わなければならないのか。

徴税(増税)して社会的な再配分をスムーズに行うため? それならもっと他に方法はあるだろうに。

 唯一、メリットがあるとすれば、こんな景気停滞時の消費税増税は、消費資本主義を考え直す好機になるということである。

 

 人間と商品が逆立した消費資本主義社会での消費税増税という不当な政策に対して「ノー」を言うために、消費サボタージュをしよう。しばらくは必需的消費支出に特化して暮らすのだ。(とりわけ「企業とマスメディアによる消費刺激」にやられっぱなしの階層に属する人びとのミニマム消費である)。

 

 これによる効果は絶大だ。GDPの約6割を占める消費支出が大幅に減ることによって、政権は大きな打撃を受けるのは必至である。

 いつもショックドクトリンで「脅されっぱなし」の私たちが、せめて消費サボタージュで腐りきった国にショックを与えやろう。それこそ消費者主権者、納税者主権者としての権利行使だと思う。勝負はその「成功体験の共有」後だ。

 

 この世界では資本という「虚」が、道義や公正、誠実といった「実」の価値をせせら笑い、泥足で踏みにじっている。そのような倒錯的世界にまっとうな情理などそだつわけがないだろう。なかんずく、実需がないのにただ金もうけのためにのみ各国の実体経済を食いあらし、結果、億万の貧者と破産者を生んでいる投機ファンドの暴力。それこそが世界規模の通り魔ではないのか」。

辺見庸『水の透視画法』2013年)