辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

B-43(1) 「弱み」につけ込む

 

 

 

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 人間や組織が他の「弱み」につけ込むことについて、辺見庸は著作の何箇所かで触れている。彼はそのことについて深くは考察していないのだが、宮地尚子という人の著した本のなかで次の文章が目に留まった。

 

 日本にも強く波及しつつある米国のネオリベラリズム新自由主義)が危険なのは、弱みにつけ込むことがビジネスの秘訣として称賛されることで、弱さをそのまま尊重する文化を壊してしまうからだとわたしは思う。(宮地尚子『傷を愛せるか』大月書店、2010年)

  

 さらに、新自由主義の危険を医療ビジネスモデルで捉えることに対して、医療人類学の研究者であり精神科医でもある宮路は、「病や傷を負った人の弱みにつけ込むことほど簡単なことはない」とも述べている。

 実際、新自由主義には、なりふり構わず利潤極大化を追求する資本の運動があり、効率のよい金融資本主義へのシフトも実質上無制限である。その弊害は計り知れないのである。

 

 そもそも新自由主義者は弱者の弱みにつけ込むことに何の痛痒も感じない。

 そんな中、多くの人びとも知らず知らずのうちに弱者の弱みにつけ込む。権威・権力を振りかざし(背景にして)己が利益と劣情欲を充たす。さらに言えば、権威・権力をもっていない者さえもが、ほんの小さな立場上の優位をもって弱みにつけ込む。

 一方、強者は、人や組織のvulneravility(脆弱性、攻撃誘発性)をあたかも操るかのように巧妙につけ込むのである。

 

 そういえば、自己の責にもとづかない弱者をどれほど愛しく思い尊いと思い行動できるか、市井三郎は「歴史の進歩の規準」をそこに求めたのであった。