B-18 苦海浄土
石牟礼道子さんが2月10日に亡くなった。辺見庸は、彼女と一度じっくり対談し面識があった。
「天声人語」の書き手は、水俣病患者と一緒に運動した彼女の言葉の一部を次のように紹介している。(朝日新聞、2018年2月11日朝刊)
「患者さんは病状が悪いのは魚の供養が足りないからと考える。岩や洞窟を拝んだりする。」「それを都会から来た知識人は無知で頑迷だと言う。私はそうは思わない。患者さんは知識を超えた野生の英知を身につけています。」
この文章の前には石牟礼さんが水俣病患者から学んだことを紹介する文が置かれている。「迫害や差別をされても恨み返すな。のさりち思えぞ(たまものだと思え)」加害企業も極薄な世間も恨むまい。その崇高さに打たれる、と。
そして石牟礼さんの人生は、「水俣の人々の言霊を心でとらえ、世に問い続けた人生であった。」と、この日の「天声人語」は結んでいる。
これでは水俣病反公害闘争がアミニズムに溶解してしまっている。
「天声人語」氏の良識を疑わざるを得ない。
水俣病患者の怒りや怨の実体は、どうだったのか。じっくり読んで水俣病患者の心底からの声に耳を傾けたい。
水俣病の患者家族の人たちが、裁判とチッソ株主総会のとき、「怨」の字のノボリを立てているのをみた。ひとりが「金はいらん、子供を返してくれ」というのをきいた。死につつある患者の「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう、胎児性の生れるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか。」(石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』)。
これが当事者の心底からの声というものである。石牟礼道子さんはそれに心を打たれ行動を起こしたのだった。否、行動しないではいられなかったのだった。
ただし、あろうことか石牟礼道子さんが胎児性水俣病患者への天皇・皇后の面会(2013年10月)を橋渡しした。辺見はそのことを批判した。世の不条理が象徴天皇制の下で希釈されてしまう事への問題性を突いたのだ。
「時間の芯の腐蝕と天皇家賛美には、なんらかのかんけいがあるとおもう」(辺見)という視点からであった。
石牟礼さんも、晩節を汚したのだった。残念である。