B-39 敗戦後論
ヤスパースは、全世界がドイツを弾劾しドイツ人を弾劾する中で、戦争に参加し推進し、または戦争を許し座視したドイツ人の戦争の罪として次の4つを挙げている。
「刑法上の罪」「政治上の罪」「道徳上の罪」「形而上的な罪」(K.ヤスパース『戦争の罪を問う』橋本文雄訳、平凡社、1998年)。
そして彼は次の言葉を紡ぎだす。
敗戦を終戦と言う人が結構多いなか、 加藤典洋はヤスパースの『同上書』の末尾の解説で、「日本の戦後思想は、敗戦という経験を自分の中にとりこむことにまだ十分には成功していない。それがこの思想の脆弱さの根本原因である」と記している。
このことは、父祖代々の罪を引き受けるなかでとりこむことでもある。
だが、どうみても国民の個別主体の「陰熱を内蔵した自己言及」の未熟ゆえに、その厳しい問いかけがなされていないのだ。
辺見庸は(全著作の中でヤスパースについては一言も触れてはいないが)、上記のことについて次のように述べている。
一方、ヤスパースは「(戦時体制としての)牢獄において獄吏の破廉恥行為を囚人一同の責任と考えるのは、明らかに不当である」とも言っている。
アジア太平洋戦争を指導した権力者たちと天皇は、4つの罪をどのように自責し償ったのか。彼らにとって真実の生き方とは何だったのか、またはどのように真実の生き方をしたのか。
それらを彼ら自身が、日本国民(個人)の戦争の罪とのかかわりの中で、否、それ以上に厳しく問われなければならない。
「巨大な海綿のようなもの」(もとは武田泰淳の創作語)、これも一種の共同幻想であり、これを批判することで化けの皮をはがす。過大視は利敵行為に通じる。案外、その正体は張り子のトラであったりするかもしれないのだ。