B- 26 天皇に手を振る辺見庸
石牟礼道子さんが、晩年に美智子皇后と縁をもち、胎児性水俣病患者と天皇との面会(2013年10月)の橋渡しをした。このことに対して、辺見庸は次のように述べている。(このことは前にも書いたことがある)。
最大の戦争犯罪者であるヒロヒトとその一族(天皇家)は保身を図り、のうのうと戦後を生きつづけ、ニッポンはアジア諸国への侵略と沖縄を「捨て石」にして来たことをすっかり忘れたかのように経済発展にのめり込んだ。
その犠牲になった水俣病患者に寄り添い支援したのが石牟礼さんであったが、晩年、天皇制の罠にはまり「天皇家賛美」に陥った。
辺見はその点を鋭く突いたのである。
だが、その辺見が信じがたい行動をとっていた。彼は横浜駅で現天皇(アキヒト)に群集の一人として手を振っていたのだ。そして「天皇(昭和天皇ではなく、いまの天皇である)に、なにがなし、好感をもった」と告白しているのである(詳細はここでは省く)。
これでは石牟礼道子さんの「天皇家賛美」をとやかく論評などできないのではないか。
辺見庸には変な癖がある。癖と言うよりも疑問視される気質とでも言おうか。いずれにしてもその兆候は上記の例以外にも表れているのだが、個人への好意と制度・本質に対する批判を別個のこととして捉える。それを一緒にして考えることを「左翼小児病」だと難じるのである。
辺見庸の心底からの友であった故・大道寺将司の次の言葉を、辺見はどう読むのか。そしてこれも左翼小児病と批判するのか。
辺見のこの点に関する思考・意識と行動の「誤謬」は、疑問視される気質ないし癖では済まされるものではないだろう。
日本人は日常的に天皇制とそのイデオロギーにとり囲まれているので、それらとどのように向きあうかが、その人の思想性の真贋を測る物差しだと思います。天皇制を肯定し、皇室に親近感をもちながら侵略や差別、人権侵害、不平等と闘いぬくことはできません。天皇制と侵略、差別、人権侵害、不平等は同根だからです。
(大道寺将司『死刑確定中』太田出版1997年)
<辺見庸の誤謬(その2)要旨>