B-36 辺見庸の講演会中止 ー3日後撤回
辺見庸の講演会が中止になった。予想されていたとはいえ(中止の伏線はあったし、今回の中止理由ではなかったものの氏の体調の急変も予想されていた)、残念である。辺見庸が「健在」である姿を見たかった愛読者はいたはずだ。
小説『月』は、人間とは何か?存在するとは何か?を根底から問うものであった。だが、作者の着眼や問題提起(真正面からこれに取り組まない表現者がほとんどだった)は評価できるものの、小説として構想・展開・表現はさておくとして、題意の洞察と探究(練り)が不十分であったと私は考えている。
ひょっとすると今回の講演中止の原因は、彼自身がそのことに気づいていて、著者として不本意であったからではないかとさえ思われる。ブログで辺見庸は次のようにごちっているが、そんなことは今さら言うべきことではない。もしそういうことが理由であるならば講演を引き受けなければよかったのだ。
「書籍化の過程では周辺に少なからず腹をたてた。じつに鈍感な編集者、アホくさい校正者たちがニコニコしながら言語のファシズムを下支えしていることに絶句した。」
さらには『月』の内容からして出版記念講演会にふさわしくないというのであればなおさらである。断固として講演を断っておけばよい。
『月』の連載の後半での断筆宣言そしてその翻意といい、今回の『月』の単行本出版記念講演会の中止といい、言ってしまえば辺見庸の優柔不断に起因するものである。それは彼を責めることを意味するものではない。
痛感するのは「病」「老い」「後遺症」「絶望」に苦悩しながら必死にそれに抗っている辺見庸の生きざまである。
(諸兄のご意見は如何?『月』を読まれたうえで、ぜひお聞かせいただきたいものである)。
追記(2018,10,23)
講演会の中止をブログで表明した日(10月20日)の三日後、辺見は中止の撤回を同じブログで書いた。末尾には「ブログでの告知に混乱があり、お詫び申し上げます」と書かれていた。
(なお、中止を表明した日のブログの記事は全文削除されていた)。