辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

B-33 小説『月』の出版:執筆中断(放棄)宣言の顛末

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 辺見庸の『月』という小説がKADOKAWAの書籍PR誌『本の旅人』に連載されていたが(2017年11月号~2018年8月号)、連載は2018年8月号で最終回となった。その末尾には、次の表記はなかった。

 *本作はノベルスとして小社より刊行予定です。

  (最近の作品では次の作品にはその記載があったのだが)。

 ・花村萬月「ニードルス」2018年1月号

 ・馳 星周「新宿ゴールデン街」2018年7月号

 ・西村京太郎「知覧と指宿枕崎線の間」

  KADOKAWAの編集・営業担当の段階では辺見庸の『月』は単行本の出版からは外れていたのだ。その状況を知るための伏線は辺見庸の執筆中断宣言ないし執筆放棄宣言があった。

 

 「もう下手なものを書くことはない。(略)第8回までつづけた『月』の連載をやめることにした。読者には申し訳ないとおもう。 

 

 その理由として、「ほとんどのことについて感覚があわなくなってきた。あわせる気力もなくなりつつある」と、辺見は自身の公式ブログで綴ったのであった。だが、実際は、単行本としての出版をめぐってKADOKAWAの担当と意見の食い違いがあったと推察する。

 『月』はどう見ても一般受けしないどころか、相模原市で起きた障害者施設殺傷事件に励起された小説で、人間の尊厳に関するセンシティブな問題を内包し、誤解・偏見で社会から受け止められかねない作品である。出版社としては営業的に芳しくない事態が生じかねない作品であった。

 『月』の執筆当初のいきさつがどのようなものであったのかは不明だが、辺見は単行本出版をKADOKAWAに強く迫った(のではないか)。彼にしてみれば最後の単行本になるかもしれない作品であった。それよりもこれまで辺見は「全的滅亡」「存在することの意義と無」などを考究してきたのであって、そのことを含め彼の作家としての思索の総決算ないし突き詰めて到達した思考地点を表現したものだったからである。

 結局、KADOKAWAは出版を決めた。そしてゲラ刷りにかかり今年中に出版されるべく進んでいる。

 辺見ファンは一定数いるが、そのうちこの『月』を読みこなす者が何人いるのだろうか。辺見はたぶんそんなことはどうでもよいと内心思っている。彼は『月』という作品によって彼の最後の思念を絞りだしたのだ。それを残して置きたかったのだ。

 

 これとほぼ同時期に出版が内定した、上掲の西村京太郎『知覧と指宿枕崎線の間』などと比べてみても内容的には雲泥の差がある。

 『知覧と指宿枕崎線の間』は特攻隊で死んでいった若者たちの話を題材にした殺人事件小説である。

 最終回の下りで、主人公の刑事が、開聞岳の近くにある寺の住職に会いに行き、そして問う。

「特攻について、どうお考えでしょうか?」住職は答える。

 「私は、特攻について一つのことしか考えられません。それが自主的な行動なら、誰が何といおうと、すべてが崇高なものであるはずです。しかし、それが命令された、強制されたものなら、こんな奇怪な、醜悪なものはありません」

 それだけいって、黙ってしまった。

                             (了)

 特攻隊員として死んでいった者の行動が、自主的な行動であったのか、それとも強制されたものであったのか。二分法で捉えられることなどできるはずがない。そんなことさえ吟味せずに小説の最終回に軽々しいフレーズが記されているのだ。

 

 辺見は自作『月』が出版される日を待っている。もちろん辺見庸の愛読者たちも。

 

付記

 この件については、当ブログ  B-28回  も参照れたい。