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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

79.逸見庸:内宇宙への回路

 創造的な破壊は否定的破壊であり、現実(構造)を是認したうえでの破壊ではない。批判は現実およびその基礎の構造に対しなされるものである。そして、思想は批判と不可分で、思想は批判そのものであるともいえる 。そのことからすれば、辺見庸の批判はまさに批判の要件を充足している。

 辺見庸の賛同者には、熱心な読者、ウォッチャー、さらには受け入れられない部分があるものの大筋では賛同する人までいて幅広い。

 また、初期の『もの食う人々びと』や『反逆する風景』といった著作の愛好者から、『単独発言』や『いま、抗暴のときに』などといった反戦評論の支持者、『いまここに在ることの恥』や『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』といった内省・自己探求関連の本の愛読者、さらには辺見の詩作集、小説、随筆集に魅せられている人もいる。併せればいまでも2~3万人くらいはいるだろうか。

 その中には辺見の古くからの知人、理解者、支持者がいてコア・メンバーとなっている。

 興味深いのは、愛読者が、辺見の思想の構成主題をいかに咀嚼し理解しているか、各主題への対応姿勢はどうなのかである。

 例えば次のような主題を掲げてみよう。一般的愛読者は別として、辺見庸の愛読者(とりわけ参道者)を自認する人であれば、これらの主題の内容や論点は単に二者選択ではなく、思考過程も含め洞察できることだろう。

 そのうえで、各主題にかかる「辺見の主張」についてあらためて「賛否」を自問してみる。もちろん、辺見の考えのすべてに賛同とするのがよいというわけではなく留保・反論があってしかるべきである。辺見庸(の思索)を絶対視してはならず、彼の思想は宗教ではないのだから反証可能性を有したものであることは言うまでもない

 そのうえで考えられるのは、以下の各主題で下の方に記されたものほど理解・賛同しかねる人が増えるのではないかということである。それはそれでかまわないのだが、辺見の本領は、実は、それら(下部に位置する主題)にあり、各自各様に辺見の思考を糧に、自らの思索・探求を深め日々の意識と行動の在り方の変革に資するには、それらは格好の課題であると言いたいのである。

 

マスメディア批判 :賛否(賛同か反対か)

戦後民主主義批判 :賛否

反権威・反権力・反戦・反侵略・反ファシズム : 賛否

消費資本主義批判 :賛否

小林秀雄批判   :賛否

個への偏執    :バートルビー、鹿野武一 尾形亀之助

改憲反対     :賛否

言語評論     :賛否

下降志向     :賛否

滅亡・自死願望  :賛否

エロス      :ゆで卵、赤い橋の下のぬるい水、ダフネ等での「痴態」

天皇制      :瀆神、歴史風土、不如意な好感

Notとしての義    :Seal'sへの批判

暴力論      :肉体、流血

死刑制度     :存置、即時撤廃、原則撤廃(部分的に存置)

大道寺将司    :三菱重工ビル爆破、結果的に意図しなかった多数者殺傷、虹作戦

 

 

 

78.「誠実」をめぐる虚実

 辺見庸はおもに二つの著作のなかで「誠実」について述べている。玄妙な詩、技巧的で晦渋な表現を組み込んだ鋭い批評や、衒いながらの小説、それらとは逆に、譫言や自らの「痴態」をときに記してきたブログ「私事片々」からは一見程遠い「誠実」ではあるが、彼はそれをどのように語っているのであろうか。

 辺見はまず「誠実」の変質を、商品の物神化と商品呪縛(商品フェチ)との関連で指摘し(『しのびよる破局』、52ページ)、それが現代の消費資本主義社会においては深く広範囲に浸透していることを次のように述べている。  

 愛とか誠実とか徳目というけれども、長くつづいた消費資本主義のなかでは、それらは全部商品広告の世界のなかで使われているということです。穏やかさとか、癒しとか、約束とか、人間の基本的な徳目というものが全部商品広告の世界のなかで使われて、資本主義を支えてきてしまった。

 辺見庸『しのびよる破局』116ページ。

 

 どういう精神を生産しているか、どういう物質を生産しているのか、全体像を見ないで仕事を誠実に果たし、結果的に核兵器ができていく。これは本質的には犯罪だと私は思うのです。悪意なき犯罪ですね。

 辺見庸『不安の世紀から』90ページ

 

 現代人は資本主義による物象化を受け入れる存在(反映的存在)である。それによる「反・等価的存在としての個」の喪失。このような指摘は今では評論家なら誰でも口にすることで珍しいことでも何でもない。

 注目するのは辺見が「誠実」という徳目を次のように語っていることである。 

〇ぼくは賛成もし、惹かれもし、動揺もし、それと同時につまらないともおもうことばが「ペスト」にはでてくるのです。主人公といってもいい医者のリウーという人物が、あるときいいます。「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」と。

 これって、あくびがでるぐらい退屈な真理だとおもうのです。その誠実さというものは、退屈だし、これ以上ないほど凡庸でもある。けれども、真理はしばしばひどく退屈です。誠実という真理以前のビヘイビア。けっして燦然と光るのではない、微光のようなことわりをぼくは最近、しきりになぞったりしています。

『しのびよる破局』101ページ。 

〇誠実とはだから、自他とのほとんど自己破壊的で、自己犠牲的で永久的なたたかいからしか生まれないのではないでしょうか。ぼくは徒労だらけの『まちがいだらけの人生でしたけれども、いろいろな場所で、人の誠実ということにはそれはそれは教えられました。それはぼくが他者からあたえられた、照りかえされた誠実の凄みです。

 『同上書』108ページ。

〇「誠実」と異次元のことのようにおもわれるかもしれませんが、強権支配への異議申し立てや抵抗だって、人としての誠実や他者への愛に深くかかわるといえます。

 『同上書』111ページ。

 

  辺見庸の精神の地下茎には「誠実」がこのように根づいていた。感慨をもってこれらを読んだ。これはこれで「異論」をはさむことはないことである。

 ただし、そこには物象化、商品呪縛、消費資本主義における「誠実」の変質への批判的な言辞から、逸見庸が一転して「誠実」の徳目をそのように語ることに戸惑いも感じる。

  なぜか。それはお気楽な「なんちゃって」ブログ(「私事片々」)などで辺見がときに語ってきた「譫言」や自らの「痴態」の記述を、どう受けとめればよいかである。

 そのように考え進めていくと一つのことに思い至った。

   誠実の本質は、自己欺瞞のアンチ・テーゼが「誠実(自分があるところのものであること)」とは限らず、「自他とのほとんど自己破壊的で、自己犠牲的で永久的なたたかいからしか生まれない」のであれば、その具現が検証されなければならない。己の「必然」の発生とその後の等価則への変質を、技巧的にまたは譫言的に書きつづることと誠実とはまったく無縁のことである(その後景に、言葉による交換の無効性さらには「言葉の死」の意識があったとしてもだ)。

  このことは、彼が偶然目撃したオウム事件をモチーフにした小説『ゆで卵』で示した、「自己回復」として女と性交することや、ゆで卵を使った「痴戯」ついても言えることである。 

 小説であれブログであれ、(結局ことばの売り買いをする手段であるかぎり)、心象風景を含め表現するからには「己れの必然との衝突」を「回避」することなく、「固執」し続けること求められる。それを表現の中に読者が素直に直覚すれば(できれば)、辺見の「誠実」を感得することができるのだが。

  辺見庸の内的世界に「延性破壊」が起こりつつあるようにみえることについては すでに書いた(66回ブログ)とおりである。

   次の文章が辺見庸自身に突き付けられたとき、彼がどう答えるのかが問われていると思う。  

 下心なしのことばというものは全部なくなっている。それは全然カミュの時代とはちがう。みんな下心のある、モノを売るためのことばにしかならなかった。そこに怖さがある。もはや悪は悪の顔をしていない。悪は善の装いをして立ちあがってきている。そこに疑りの眼をむけなければいけないとぼくはおもうのです。

 辺見庸『同上書』116ページ。 

 

 

 

 

77.シベリアと香月泰男(その2)

 辺見庸による香月泰男の絵(「1945」)についての視角は前述したが、評論家・ロシア文学者である内村剛介は香月の絵のことを次のように述べている。内村も敗戦とともにソ連に抑留され、11年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、1956年末、最後の帰還船で帰国した

 香月の絵の残酷はもうひとつの残酷を打ち消すために惹き起こされてくる残酷なのだ。「この飢えて死んだ兵士たちのむくろは、かつて勝ちいくさのときには無残な加害者でもありえた。また敗戦後のシベリアでは互に裏切り合いパンを奪い合ったのであって、生きて再び満腹したら何を仕出かすか分かったものではない。」― 香月の乾いた抒情はそう言って会場の善男善女を弾劾している。

内村剛介『わが思念を去らぬもの』三一書房, 1969年、385ページ)。 

 

 内村剛介のいう「もうひとつの残酷」は、香月の「内的宇宙」のいかなるところから出てくるものなのか。香月の「乾いた抒情」の源泉はどこに見出せるのか。内村はそのことについては述べていない。

 だが、それらしきものは香月が著した『私のシベリヤ』(筑摩書房1984年)の中に書かれていた。(すこし長いが引用する。175-177ページ)。

 

 この香月の文章を読んだうえで、彼の描いた「シベリア・シリーズ」を鑑賞すると、新たな視点が沸き起こってくるかもしれない。香月は決して「社会的な義」から「シベリア・シリーズ」を描いたのではなく、稀少ゆえに闘争する人間のスィン、そして利己的遺伝子によって導かれる人類が認識されている。生物一般と人間との類比、「イデーとしての義」の平準化についても言及している。

 人間ではどうにもならぬ自然の摂理が存在するのである。戦争でもまたしかり。戦争をただ罪悪視するだけが能ではない。正義とかなんとか言っては戦争をぶっ始めているが、別に生物の本能から始められるものがある。人間がやたらと殖えれば他の過疎な弱種族の土地に活路を求めて行こうとするのも一つの戦争のあり方である。戦争なるものによって種族の繁殖を制御するしかない。人類が繁殖する限り、戦争はなくならぬものと昨今思うようになった。私の考えも堕落したと言えばそれまでのことではあるが、ライオンに草を食わすことは出来ぬし、鹿にライオンを食わすことも出来ぬ。人間がそうなればと念じているが―。

 

  こうなると私か戦争を罪悪視して描いてきたのはちょっと変ではないかと思うところもある。別な見方をすると、私の仕事は、戦争を案外美しく見ようとしているのではないかと反問するのである。少しはそんなところがあるかも知れん。戦争がなくて私がシベリヤに連れて行かれなかったなら、私の後半生は無に等しいものであったかも知れぬ。その方が本当はよかったのだが……。美しくなかった僅かな期間の兵役俘虜、それを美しいものとして充填しようとしているのが今の私の仕事でもあると言うのが本音かも知れぬ。しかし戦争が、人間一人一人にとってはまったく意味ない行為であることはことさら私が言うことでもあるまい。私は私個人の戦争体験(または心験と言ってもよかろうか)を描いているに過ぎぬ。人類が人間の集まりである限り、戦争は飽くことなく繰り返されてあることだろう。人間が人間を殺す。殺さねばならぬ必然もうらみもない。蟻のように集団で生活をしているから戦争が起るのであるから、集団を解いて個になるか。今の段階ではまったく蟻と異なるところはない。蟻は会議制で戦うのだろうか、女王蟻が命令するわけでもあるまい。指揮する人間はあたかも将棋の駒を動かす如く、人間を死地に追いやるのである。将棋の駒の如く人間が動かねばならぬ仕組が悪いし、動くからまた悪いのである。(下線は引用者)

 (175-176ページ) 

 

(中略)私の性情には、かなりの嗜虐性がひそんでいる(実例をあげることは、はばかるが)。映画やテレビを見ながら戦争を再び味わっているが、私がもし戦闘部隊に配属されて銃火の中にいたならば、私は私の本性にあるそれを露骨に出していたであろう。さすれば、私は戦犯として告発されて銃殺刑になって、今生きていることはなかったであろう、と思うと、今の私の生きている世界は私のものではないように思えてならぬ。私の本性をすべて出し切れる世界にいた方がよかったのではないかとも思うし、させてくれなくってよかったとも思う。私は何も聖人君子がよいと思っている人間ではない。人の世の中には絶対善も絶対悪もないのでは、と思う私である。(177ページ)

 

 香月泰男のこの文は、「美」のイデーの具現として絵画表現にNot(Notwendigkeit)としての義」が棘として食い込んでいることを示している。だが、それは深く考察することなく「想起」したことを吐露したものにすぎない。(「世界と人間のもっとも基礎的な関係としての〈稀少性〉」を述べたサルトルやカント哲学、マルクスなどをレビューした形跡はない)。

  さらに香月は、「現代の学問とその指導法のあり方について、反省しなければならぬことが多くあると思う」とし、吉田松陰の「行動を以って他を納得させる」点を高く評価している(同上書142-143ページ)。

 ところが吉田松陰は、新国家・富国建設という「大義幻想」ために侵略思想を捏ね上げた張本人であることはすでに述べたとおりである(本ブログ65回を参照されたい)。行動力に優れているからといって松陰をそのように評価することは軽薄のそしりを受けてしかるべきである。同郷の「偉人」とはいえ、香月の思慮に欠けた物言いであると言わざるを得ない。

 

  しかし、だからと言って、香月泰男の一連の絵の価値は少しも減ずることなく、永続するに違いないことについては付言しておきたい。

 

76.シベリアと香月泰男(その1)

 香月泰男は1943年に応召、満州に送られ、敗戦後シベリアに俘虜として抑留されたのち帰還した。その間、約4年であった。

 辺見庸が、香月について記しているのは全著作の中で次の箇所だけである。

 

  画家の香月泰男(一九二〜七四年)はかつて「1945」と題する不気味な画を描いた。画面いっぱいに、顔をはじめからだじゅうに無数の線条をはしらせた男が横だおしになっている。香月が『私のシベリヤ』(筑摩書房)で(同著のゴーストライターだった)立花隆にかたったところによれば、それは「満人たちの私刑を受けた日本人にちがいない」という。香月が敗戦後、中国からシベリアに送られるさい、「奉天」(遼寧省灌陽の旧名)のあたりで車中からみた屍体だった。(『1937』、397-398ページ。シベリヤ・画などの表記はママ)。f:id:eger:20170316152556j:plain

(中略)香月はヒロシマの屍体を無睾の民の被害を象徴する「黒い屍体」(じっさいには「赤い」それもあったのだが)とよび、線路脇にみた生皮をはがされたニッポンジンの「赤い屍体」に、加害者の死を象徴させる。香月はかたる。「赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか」「戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない」。だがしかし、よくよくかんがえてみれば、「黒い屍体」の責任も「赤い屍体」の責任も、被害の責任も加害の責任も、敗戦後七十年、まだだれもとってはいない。つごうのわるい時間はかつてよりぶあつく塗りつぶされたれたままである。(辺見庸『増補版1★9★3★7』、398ページ)

 香月泰男は、体が弱かった自分まで出征を余儀なくされることになった状況に、内心、反発しただろうことは想像するに難くない。一方、国家によって「殺され死」されてたまるかと思ったにちがいない。また、軍隊という組織の中に組み込まれ自分が均一化されることに対して強く嫌悪しただろう。

 しかしその香月の反戦厭戦、避戦の思いは、満州そしてシベリアでの過酷な生死不定の日々の中では意識の最深部に沈潜してしまった。唯一、時間が取れた時に家族宛ての「軍用葉書」(軍事郵便はがき)に絵を添えること、および収容所で頼まれて肖像画を描くことなどで癒された。それは生の原質をわずかにではあるが「美」に昇華させるものであった。

 香月泰男は、1947年に帰還後(と言っても十余年経過後)いわゆる「シベリア・シリーズ」において画家として後世に残る独自様式による創作活動を精力的に展開した。「反戦画家」としてみる向きもあった。香月自身はそう呼ばれることに違和感を感じていたものの、戦争が人間にとっていかに不条理・過酷・残酷なものであるかを身をもって痛感したし、それをモチーフにして絵画で表現することができるのは自分だとの意識も強くあったと推察される。

 シベリア・シリーズと呼ばれる絵画は57点ある。上記の「1945」(1959年作品)も含めすべて山口県立美術館に収蔵されている。今ではその美術館は、山口県長門市にある香月泰男美術館とともに山口県の「名所」の一つとなり、来館者も多い。(つづく)。

 

75.辺見庸「父を問う」(NHKの番組)について(その2)

 辺見庸の母がポツリと、「あのひとはすっかり変わってかえってきた。化け物のように変わって」・・・そのような口吻で復員してきた夫について呟いたと、辺見は『1★9★3★7』で記している。

 この記述から、敗戦で帰還した辺見の父の心の葛藤、荒みの一端が読み取れるのだが、そのことについては番組では触れられなかった。

 父と息子との情愛と反発。一般の父子にみられることに類比・収斂したり、戦争での加害性への言及を中途半端な形で取り繕うのではなく、戦争という「事態」が、辺見と彼の父の間でどのような「生存感覚」の変化をもたらしたのかを厳しく問うのがこの番組のテーマであったはずである。そのためには、辺見の父の戦後の心の葛藤、荒みを掘り下げてほしかった。

  「分列行進曲」(戦争中に使われた「抜刀隊」と「扶桑歌」を編曲)が、現在でも安倍首相や防衛大臣の観閲する陸上自衛隊の行進の際に演奏されている。進めや進め諸共に・・・。 

 戦争を、実時間・実空間でどうとらえるのかを徹底して問わなければならない。まったく同感である。かつて戦争に身を置いていた人びと、そして戦後生れの者たちがともに、過去の戦争が今の自分の身と世界にいかに刻印しているのか、戦争の「記憶と罪」の同心円の中心でかつて何が行われたのかを問い続けるのである。

 なお、上記以外でも辺見による情勢の背後への鋭い批評がいくつかあった。

 「紛争が続く中東各国の緊迫した情勢の原因はひとえにアメリカの中東介入にある」。にもかかわらず歴史的事実を無視し、難民・移民の排除政策を強行する。そこにトランプのおぞましさがある。―同感である。

 ポスト・トゥルースという言葉が聞かれる。それは普遍的な価値(男女平等、人権、博愛、友和、寛容等)すなわちイデーが崩壊していること意味する。そしてそれは客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治に影響を与えるようになる。同感。

 忖度することに長じたこの国の人々。他人(とりわけ強者や権威者)のふところに入らない、めくり返さない。記憶の墓を暴かない。

(瀆神することを避ける。それどころか、先の戦争で空爆され街が壊滅したことや敗戦したことを、なんと「天皇に悪かった」と懺悔する。これはいったいどういうことだ。辺見の指摘に同感。

 常に、最も低い視線から世界を見る(見上げる)必要がある。無用の者、役に立たない者の現実から見上げるのである。同感。

 (しかし厳密にいえば、視線の高低ではなく、個として「Notとしての義」の発現を育みつつ世界と自己の内なる敵に対抗するという姿勢が必要であると思う)。

 

 NHKの番組作成・編集上の問題

 共謀罪(テロ等準備罪)法について、安倍首相の「考えうるかぎりの対応をとるためために法制化するのだ」との発言をさりげなく放映(挿入)し、この法の大きな問題点について野党側の反論(その一端さえ)を放映しなかった。

 

付記

辺見庸「父を問う―いまと未来を知るために」

再放送はNHK教育テレビ、3月18日(土曜日)13時~14時。

74.辺見庸「父を問う」(NHKの番組)について(その1)

辺見庸の印象

 無精ひげ、右半身のマヒ、右目の視力低下、口の乾き、不如意に右唇から唾液が出るのを何度かぬぐう等、大病の後遺症や72歳の高齢を感じさせた。ただし、話の内容は示唆に富むものであった。

 愛犬とともに出演。(家族が家を出てから久しく、独居している寂しさを愛犬を飼うことによって癒す暮らしぶりを窺わせた)。

  ダーク・アンド・エンプティの時代。だからこそか、むき出しのコンクリートブロックの壁で囲まれた薄暗い地下室風の空間、白黒スライド写真、小さな灯りが一つ。「最も明るいところが最も暗い」の逆空間のなかで、辺見庸はひとり語り続ける。

 

番組内容 

 戦後を、国民は自分という主体がなく対処してきた。妄想・妄動だった戦争の実態を知ろうとしないこと=想像しないことは、「知的ではない」どころか「知ろうとすることに対する冒瀆」と辺見は言い切った。そのとおりである。

 だが、戦争を「社会的な義」として取り上げるならば例えばドイツについて言及するべきであったし、「知ろうとすることに対する冒瀆」とするならば「Not(Notwendigkeit)としての義」(小山俊一)から究明・アプローチがあってしかるべきであった。

 戦時下において「じゃあ、お前だったらどうだったんだ」と詰問され、または自問し、「もしその場にいれば殺していたかもしれない、いや99.99%殺していただろう」、多くの人がそう答えるように辺見自身も例外ではないことを認めている。

 戦争の当事者であれば仕方がなかったとして免罪されるのか。やはり承服できることではない。個が「Notとしての義」を、苦しみ悶絶しながら、または居てもたってもいられない方向で示すことにこそ意味がある。この点を突き抜けなければ「一億総玉砕」という集団意識を結局撃つことはできない。辺見がそのことを認識していないはずがないのだが、ぎりぎりのところで詰め切れてない。

 「Notとしての義」については、「怨」の字を掲げた水俣病被害者とその家族の意識と行動の核にそれがあった。そのほか全国各地での闘いで血を流した人びとのなかに見出せる。(そこでの「義」(Menschlichkeit)は誇れるものだったと思う)。

 なお、「戦争ではすべての国民が国による被害者であっただけでなく、自明のことだが加害者であった」という面を強く指摘するべきだったにもかかわらず、やはり番組では明示されなかった。

 小津安二郎の映画は、戦争の責任者、被害者、加害者を不在にする「コーティング」がなされているという点について辺見は話していたが。(つづく)

 

 付記

辺見庸「父を問う―いまと未来を知るために」

再放送はNHK教育テレビ、3月18日(土曜日)13時~14時。

 

73.辺見庸:TV出演(3月12日)への視角

 辺見庸が、病をおして近々NHK教育テレビに出演する(2017年3月12日:再放送3月18日)。テーマは 父を問うーいまと未来を知るために」。

 彼は、亡父をどのように語るのであろうか?NHKはこの時期、どのような番組作り・編集をする(できる)のだろうか?

 辺見の父は1943年に出征した。

 ほとんどの者が、内心、理不尽さを感じつつもそれを嚙み殺しつつ応召した。人間の存在のありようが、その背景に厳然としてあることを認めざるを得ない。

 この国は、五族協和さらには大東亜共栄圏の実現、「国」(すなわち天皇)への忠誠を求めた。そして、国民を乾い縄で締め付けるように徐々に戦時へと追い込んでいった。

 出征者は、家族、父母、恋人、友、仕事、天職、こだわり、将来の暮らし、夢。それらを無理やり封印しなくてはならなかった。身辺に渦巻く戦争への駆り出しの雰囲気に叛くことは不可能だった。

「外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式をとる」ことを外発とすれば、人はまさに外発条件を受け入れる存在である(小山)。

 小山俊一は述べる。

 人間の存在がwas bornという受動態で始まること・自分という個として存在して他人になりかわれないこと・時間がさきへ不可逆にたつ一方であること・死ぬこと、という四つの条件によって、人間のいわば根源的受動性というものがなりたっていると考える。そしてこの四つの条件が歴史社会のなかにそれぞれ具体的な仕方であらわれるところで、人間のいわば二次的、事実的受動性というものがなりたっていると考える。

 出典:小山俊一『EX-POST通信』弓立社、1974年、34ページ。

  小山の指摘は意義深長である。

 「受け入れない」というトゲ(論理的契機)を内包しているかぎりにおいて個が存立する。そのことを銘記しつつ生きる。そして希望を持つことができなくとも、生きる。

(「受け入れない」という契機が失われれば、「受け入れた存在」なるものはただちに消失するほかない)。

 では、その精神的な支えはなにか?

 生きる身体(個としての身体)は、死を認識する存在として、死を受け入れる(問題とする)。受け入れながら生きる。

 もちろん戦地では、内発的には生きられない。今を生きる意味を失い、または将来への希望という意味を求めることもできない。

 ましてや有効な手段を得て「事績」を刻み歴史的な存在になり死を超えるなんてこと

はありえない。戦争は、生きていることの内容つまり意味を奪い、無化してしまうのである。

 「生き延びようという意思をもつこと、生き延びることが義務であり、生き延びることに意味があることを知ることが必要(フランクル)」なのだろうが、戦地ではそれはほとんど望むべくもないことだ。一刻々々を生きるしかない。生きるということは、人生が求めることに応える(答える)ことに生きることの意味を求め、その意味への意思を失わないことが必要、そうでなければ自己の「存在」が喪失することになるが、まさにその「喪失」を兵士たち、戦争当事者は体験する。 

 戦地ではフランクルのいう強制収容所での囚人の心理学における心理的反応の三つの段階に類比される体験をすることになる。

  1. 入所ショック:文字どおり「裸の」実存になる。これまでの全人生にきっぱり始末をつける。自殺を断念、どうせ殺される。そして佇まいを健康で働けるのだという印象を与えるよう振る舞う。
  2. 恐怖、憤激、吐き気のあと、情緒がなくなり、無感覚、無感動、無感情、無関心になる。そうすることによって、一日をなんとか生き延びることだけに全力が注がれる。
  3. 人間としての内面的な水準が群居動物の水準にまで下がる。個性が埋没する退行する。「均一化」される。   

 そのような状況の中で多くの兵士は、撃たれ、爆撃され、刺され、飢え、罹病し、自死し、死んでいく。精神的な支えや生きる意味を喪失し、戦意発揚を強制され、ぎりぎりの生命の灯を燃やす。ある者は暴行や強姦、殺害によって快を求め、ある者は隊の中でうまく立ち回り、狡猾な行動によって力の意思の充足へと走る。

 武田泰淳も戦地で二人を殺した。堀田善衛も「被侵略者」が虐殺されるのを黙ってみていた。辺見庸も、もし戦地にいたら慰安婦に性の欲求処理を求めただろうと述懐している。

 生き残って戦地から帰還した者はいかに生きるのか、振る舞うのか。強制収容所からの出所者の心理に通じるものがあるが、異なるのは、帰還兵は国によって出征を強制された被害者であるとともに戦闘・侵略の加害者でもあった(面が強かった)ことである。

・人が変わったように賭け事や女に走る。荒んだ暮らしに陥る。

・しばしば戦争中のことが思い出し心痛にさいなまれる、自己崩壊への防衛本能から か戦地での行動を肯定的に語る。

・金銭欲に身をゆだね、蓄財に努める。

・戦後民主社会に適応すべく早々に切り替えて「平和な」暮らし向きに没入する。

・贖罪の意識を秘めた生活を送る。

・国家とか、民族に与しない生き方を貫く。

 

辺見庸父親の行状を著作で述べている。~

(戦地で朝鮮人をスリッパで殴る、帰還後にはDV、パチンコに熱中、ヒロポン、借金、無言で息子と釣り、勤務先の新聞への戦記投稿、愛人関係など)

 なお、身内の出征を見送った者たちも、国家によってそうせざるを得なかったし、また少なからず自身も「殺され死」に追いやられた被害者であるが、一方で加害者でもある(「殺す」側の秤り皿にのっていた)。そのことを看過するべきではない。(今回の番組で、辺見及びNHKはそれについて明示できるか。注視したい)。

 現代社会は、いわば巨大な強制収容所であり、無機質で殺伐たる戦地である。そういわざるを得ない側面がある。人びとはそのなかで自己の人生から求められることを直覚できず、したがって答えられず、実現できず、責務を果たしえていない。

 ましてや個として世界に対抗しえていない。個としての生きる意味を見出しえていない。

 戦争は以前のものとは全く異なるものとなった。民衆を巻き込んだ一瞬の大量虐殺、無機質な殺戮手段の拡大、これらが高度技術・情報化しシステム化した現代の戦争の特徴となっている。

 それでも人生にイエスという。生き延びること、その中で人生が求めることに個として答え(応え)ていく。

 消費資本主義社会の中で、快楽と力(拝金・組織権力)への意思で動く生き方と百八十度異なる生き方に転換する。

 それは元来「受け入れる存在」である人間が、外発の受け入れ方を変革することであり、いわば関与の転換である。

 個の復権、人生が求めるものを感得し自分なりの事蹟を重ねる。

    収容所と化した現代社会でも、人生にイエスという。それは逆説を反転させた発語である。

 

 

72.洞察の分水嶺(その3)

 辺見庸は虚偽や衒いなどについてこんなことを語っている。

 人間の問いと応答は、そのなかに千態万様の(問いじたい、応答じたいの)虚偽や衒いプレやズレ、多少の演技をふくみもつものであろうし、それはそのまま人間存在の「根」そのものの危うさと妖しさにつながるだろう(『増補版1★9★3★7』201ページ)。

 ここでの「問いと応答」は、他者とだけではなく自己自身も含まれると考えられる。

 ところで、評論家の近藤洋太は、牽強付会に自分の思想の中核は「自己欺瞞論」であるとしている。

 しかも小山の自己欺瞞論を、「私という人間にとって、きわめて実践的に役立つのだ」と、あたかも処世のハウツーものにしてしまっているのである。まさに近藤は辺見庸や小山俊一の自己欺瞞への視座を矮小化(狭小化)してしまっているのである。そのことは「自己欺瞞に」にかかわる人間観察や「私事」の引用が的外れなものであることに如実に表れている。

 小山俊一の自己欺瞞についての見解は、生活人の「認知的不協和論」でもないし、ましてや処世論ではない。

1)まず①外から強いられる客観的「問題」、②内から発生する主観的「問題」の極点からはなれるにしたがって(とくに②の側では)、私たちが抱くどんな「問題」にも殆んど避けがたくウソがまといつく。いいかえると、そこに「切実重大」を感ずるときの私たちは殆んど避けがたく多少ともウソ人間と化さざるをえない。

2)そもそも虚偽は、外発と内発(個人の生における外発と自前化、そして大状況的には、たとえば夏目漱石のいう「外発」による西欧化と「内発」)との過程において必然的に生じる一種の罪業であること、そしてそれによる自己条件の引き受け、対峙、葛藤および斥動などの問題としてとらえられるものである。

 これらを踏まえて、小山の自己欺瞞にかかる真髄に迫る言葉に耳を傾けてみよう。

 私が自己矛盾としての「受け入れた存在」であるとは、それを私が存在するとは、どういうことか。そしてそのさい、「受け入れない」という論理的契機がさいごまでつきささっていて抜けないということはどんな意味をもつのか。こう問うときに、「〈存在〉としての私と全体〉としての私」という、割れ目だらけの壁開面をつたってここまでたどってきた問題性が、ここでいっきょに一つの究極的なかたちをとってあらわれることになるようだ。

  これが「人間の根本の生命」、心の中の「生命の木」を養うのには、血も死も抜き取った上積みの生命だけで間に合うと考えているのか?との疑問の解読につながってゆく。そして小山の次の一連の(箴言ともいえる)言葉が、そこへと架橋するのである。 

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〇自分の内部に陥没や空洞のような部分、ときにはガンの結節みたいな部分ができていて、自分が思考するとき(それが自分にとって本質的な思考であればあるほど)そういう部分との暗黙の取引ないし格闘をさけることができない。

〇何かを存在し何かを引き受けるということとちょうど反対物が、否定力、「斥動」それ自体だ。

〇日本の戦後史なるものは、「どんなに人をほとんど必然に自己ギマン化・ウソ人間化せずにおかぬ<嘲弄的>な仕掛けのものだったか」の説明だった。

〇ひとりひとりが己れの必然に衝突してそれに固執するほかない。ナショナルなものを政治行動の中で追及することは有害無益なことである。

 

71.洞察の分水嶺(その2)

 辺見庸が記した「永山則夫の処刑」に比べ、評論家・近藤洋太の記述は上滑りしている。

 彼は、死刑囚の永山則夫にたいする小山俊一の姿勢に疑問をもち、それを投げかけている。

 たんに生きること(考えること)を放棄しようとしているだけの死刑囚になぜ「驚嘆」し「震撼」させられるのか。小山の思想の真髄は、このようなところにはないはずだ。(No.70『前掲書』)

 何という物言いであることか。このようにしか小山俊一そして永山則夫を理解できないまま「小山俊一ノート」なるものを書き綴っているのだ。

 

 一方、小山俊一本人の永山則夫への視線は正鵠を射ていて、そこのことは次の言葉に端的に示されている。(『オシャカ通信』及び「プソイド通信)

永山則夫は独房に閉じ込められ、壁が彼をとりかこんでいる。しかし、独房の壁以上の実在をもって「死と犯行の記憶と彼の現存」という三つのものが彼をとりまき彼の前に立ちふさがった。

 〇死と犯行の記憶と彼の現存とは、すなわち殺人囚永山における自己条件そのものだ。この自己条件を彼は、こんどは行為によってではなく認識によって引受けてわがものとしなければならなかった。いいかえると、死の恐怖とたたかいながら、「おれはなぜあれをやったのか」と「おれはなぜ生きてるのか」という二つの自問と格闘しなければならない。これが獄中における永山の自己教育現象のほんとうの内容である。彼の「勉強」は(たしかに自発的な自己教育の恰好をしてはいるが)真剣なものであればあるほど、このほんとうの自己教育現象のためのひとつの手段でありうるにすぎない。

 〇 犯行の理由と現存の理由の問い。その底に<自分とは何か>という一つの問いが暗礁として横たわっていて永山を挫折させた。無残な自虐と自己欺瞞をかさねたあげくみごとに挫折。彼の『無知の涙』は、生存感覚とイデアルなものとの関係の見本を肉眼でみえるように摘出した生体解剖記録だといえる。

                   

 だが、「もはや遅しである」と小山は言う。そして「自ら招いた自己条件(刑死を待つ)を引き受けてわがものにするべく踏み出さねばならぬ」と述べる。

 ただし、自ら招いた自己条件が即刑死を待つことになるのか、それとも死刑という国家による殺人を避けてたとえば終身刑であってなぜだめなのかは考察すべき重要なテーマである(このことはすでに述べたところであるが、残念ながら小山はそのことについての思索を深めていない)。

  十年かけても五十年かけても死刑制度を全廃する。遅れれば遅れるほど国自体が自らのクライムによって国民なき国家として「自壊」する。廃止のための根拠となる「理知」は、罪業の解消への人類の責務の実現にかかっている。

 辺見庸は、国の罪業としての戦争とそれに通じる死刑は廃止するべきである、すぐにでも死刑執行停止をしなければならないと述べている。

 参照:「それでも死刑に反対である」(当ブログNo.9)

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 辺見庸永山則夫の処刑」いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年。のち講談社文庫、2005年。 

 私にはときどき死刑制度というものが思考の試薬のように思えることがあります。あるいはリトマス試験紙のようです。死刑制度をどう考えるか。その答えのいかんで、その人の思想や世界観の一端どころか、おそらくはいちばん大事なところが見えてきます。人間観の中心部分も照らしだされます。

〈ああ、試薬のようだ。表面はもっともらしく、人間的に装っていたって、この試薬にかかると、内面の酷薄が浮かびでてくるのだから〉。私はそう思いました。文学が最も深く考察しなければならないクライムとスィンの区別を、作家たちの多くが放棄しているとも思いました。そして、死刑というテーマで、試薬がわれわれに見せてくれたものは、多くの表現者が内面に隠しもつスィンであった気もするのです。

 あなたは加害者に肩入れするばかりではないか、といわれそうです。そうではありません。私は犯罪被害者および遺族の方々の限りない悲しみ、苦しみを軽視するつもりなど毫もないのです。ただ、それを死刑制度存置に直結させていく発想は、完全なまちがいであるといいたいのです。野蛮な死刑制度は、厳然としてこの国に存在します。私は明らかな憲法違反だと考えるのですが、この制度はしっかりと運用されている。

70.洞察の分水嶺(その1)

 評論家の近藤洋太は、小山俊一の思索の書である『EX-POST通信』の一節についてこんなふうに書いている。

「私は彼の反国家的・反社会的な言説に必ずしも賛成ではない。たとえば、「EX-POST通信」No. 4の次の一説などがそうだ。」

(……私たち生き残った戦争世代の者の処世(ママ:原文は処生)上の最低綱領は〈国家のために指一本うごかさぬこと〉の外になく、思想上の最低綱領は〈「民族」「国民」を志向するいかなる動向にも加担しないこと〉の外にない)。 

 近藤洋太が何気なく使っている反国家的・反社会的という語。その安易な表現、そこにはあまりにも浅薄な思考が潜在する。小山俊一が述べる「殺され死」(国家による)を、どこまで理解して書いたのか。近藤は小山の著作を字面だけで読んで書いたとしか思えない。

 たとえば小山俊一の国家や社会・世界についての次の言葉を再吟味せよと言いたい。

●「自然死なるものは存在せず、あるのは社会死ないし世界死だけだ」。  

●「<階級的「殺され」死>と、世界全体からの殺され死。二種類の死の配分者とはとどのつまり同一者であり、国家である」。

●「私の生の重みが彼らを殺す側の秤り皿にのっている」。

 天皇制国家だけでなく、国家そのものの暴力性、民衆・市民に権力機構から発せられる「民族」とか「国民」といったものにたいしては、危険ゆえに無防備であってはならない。無防備でいると、いつ「殺され死」させられるかわからない。しかも、いつの間にか加害者側に取り込まれて加担してしまいかねないのだ。

 そのことに思い至ることなく、近藤洋太は「今日の私は、このような恫喝めいた物言いに感応することができない」と述べている。近藤は、まず自分の「鈍感さ」を自覚しなけれなならない。

 また反社会的な言説というが、現実の社会がどれほど「正社会的な」ものなのか。「社会的な義にたいする根本的な批判基準は、<Notとしての義>(「反・等価の原理」)のなかにしかない」との小山の言葉を銘記せずに「賛成しかねる」といったとてそれは虚言にしか聞こえない。

 このことを見ただけでも、近藤洋太の『人はなぜ過去と対話するのか』(言視舎)という本が、内容の薄っぺらな雑本であることは明らかである。

 近藤は、辺見庸の「反社会的」という語に関する次の指摘をとくと吟味すべきであろう。 

「反社会的」とはなにか。私はそれをこれまで公安警察用語とばかり思っていたのだ。公安的タームからすれば、大学や学生はそもそも「反社会的」なものであり、ある意味ではそうであっていっこうに構わないと考えてきた。風景は変わった。「反社会的」なる断定を警察だけでなく大学までがやるようになったようだ。「反社会的」というでたらめな概念規定が、今日のアカディミズムでは通用するようになったのか。それでは「反社会的」のアントニム(反義語)はなんであろうか、と私はとぼとぼ歩きながら考えた。この告知を書いた人物はそれに答えなければならない。けしからぬ「反社会的」存在の締めだしを呼びかけるからには、依拠すべき「正社会的」とでもいうべき価値を提示するのが親切というものではないか。もしも、「反社会的」も「正社会的」も自明のことではないかというのなら、もう学府は要らない。

 辺見庸『いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年。のち講談社文庫、2005年、84ページ。

 民衆は、世界対抗実現の水準のすぐ下の紙一重のところに存在している潜在態であり、対抗は人の数だけある。

 ボルネオで敗戦を迎え帰還した小山俊一は、孤絶のなか思索を深めそのことを言い残したかったのだと思う。

 

69.イメージが論理を駆逐する

 辺見庸は、メディア状況のなかで、「私が最も耳をそばだてているのは、ジヤーナリズム論では、レジス・ドゥブレである」と言っている。

 そのフランスの思想家レジス・ドゥブレは、「世界を人間の意思の力で変えようとする運動は、活版印刷の終焉とともに幕を閉じた」とも述べているが、そのことに関連して、辺見庸は次のように続ける。

 彼はテレビについて述べたなかで、「イメージが論理を駆逐している」ということを指摘していますが、私もそう思います。

 辺見庸『不安の世紀から』角川書店、1997年、250ページ。

 さらに、テレビと視聴者間の「像合わせ」がなされているといった意味のことも述べている。

 ドブレ(ママ)はテレビがもたらした状況の変化について、常に刺激を求める視聴者に合わせることによる情報のヒステリー化、短絡化を挙げ、「大衆迎合人道主義」が横行して、「浅薄で凡庸なイメージ」が少数意見を圧殺するなどと語っている。よくよく考えてみれば、それはひとりテレビだけの罪ではなく、新聞やネット情報を含むマスメディア全体の病症である気がする。

 辺見庸『いまここに在ることの恥』毎日新聞社、2006年。のち角川文庫、2010年、66ページ。

 

 テレビは視聴者の知りたいことに応えるものであるはずである。知るということは本来、生きるため、そして個として創造的に生きるためである。

  丘の向こうに何があるのか、何が起こっているのかを知るための情報

 役に立つと思わせる情報 ・・・ 身を守る 身を立てる情報

 いろんな人間や物事があると思わせる情報

 話題(噂)を得る、あこがれとなること知る

 他者との関係で自己の位置を知る情報

 だが、テレビでは、視聴者が知りたいことを一見リアルに伝えるが、それはコーティングされた情報なのだ。人々の均一化・平均化作用が企図され、実行される。 

 ドブレは「今や政治はショーかスポーツの様相を呈し、市民の政治参加はサポーターの応援合戦のようになりつつある」とも言い、こうした社会は「ファシズムよりましというだけで、民主主義ではない」と断じている。あたかも日本について論じているようなこの分析のなかで私がとくに注目しているのがここだ。

 先進諸国における政治のショー化、有権者のサポーター化といった現象が、イメージ偏重型である小泉首相の登場を引き金に、この国でも顕在化したからだ。ただし、ドブレの指摘に一つの問いを継ぎ足したくもなる。日本は本当にファシズムではないと断言できるのか、と。

 辺見庸『いまここに在ることの恥』毎日新聞社、2006年。のち角川文庫、2010年、66-67ページ。

 テレビは「できるだけ遠ざかって」視なければならない。

 テレビ側としては、「絵になるように」企画し、撮影する。そのことを出演者に依頼し、出演者も意識的に、または無意識的にそれに応えるような言動をとる。場合によっては「やらせ」的な演出も辞さない。編集作業によって、都合の悪い内容は改変する。

 番組企画は、スポンサーや当局筋の意向を忖度したものになる。視聴率や視聴者の劣情、興味、意向を取り込む。事実(factやtruth)よりも、視聴者の心情や洗剤願望、期待に応えることが優先される。 

 基調として、批判的な番組は避ける。根源的な追及はしない。ネガティブな色彩は出さない。面白ければよいとの方針は、結果的に「無意味な笑い」「刺激」番組を生む。さりげなくスティル性も介在させる。その結果、景気浮揚、消費拡大、競争、思考停止に資する番組が多くなる。 

 テレビは、日常的に人間の五感と意識に高密度な情報発信をする。生活者のテンポや時間感覚、意識活動との齟齬が生じるが視聴者は慣らされていく。

 それが常態化すると、人は、いわば自動車や電車、飛行機の乗客のような意識に陥る。没自然性、没マチエール、没身体性である。テレビという仮想現実空間での言動が視聴者の意識に刷り込まれるのである。

 Post-Truthの世界の演出装置であるテレビ業界は、意識産業として、権力のメディアとして、さらにはメディア権力として情報消費資本主義を体現するようになっている。  日常やグローバル空間もそのような情報空間世界である。それに加えて現代では、無編集の膨大なネット情報が、「反・等価の原理」(小山俊一)を駆逐しながら人々を襲っている。

 

 

68.辺見庸の謬漏

 「品行の問題(自己否定による個の深化不徹底)」と「突き抜けられなかった」ことは、辺見庸にとって個のフレイジル(fragile)な面としてあらわれている。前項ではそのことについて述べた。

 加えて、これもすでに指摘してきたところであるが、彼の思考の基盤にかかる脆弱性について、どうしても指摘しておかなければならない。

〇平成天皇横浜駅の西口近くで思わず手を振り、さらには武田泰淳靖国神社参拝を容認する発言をしている。

〇「鹿野武一が常に隊列外側に位置するのはボナパリズムに通じる行為であり、石原の意識にはその認識がなかった」との理解の問題性。

〇消費資本主義の本質把握の不徹底

〇軍隊にいれば(実時間のことであれば)自分も人を殺し、慰安婦との行為に走っていただろうと述懐。(再掲)

〇その他。キリスト教理解の浅さ。(「「ヨハネ黙示録」は一種の幻想小説である。いろんなところから引用して書かれている。だから基本的にいろいろ詮索しても是非もないことである。しかも神学者たちは信教の立場から何とか引き寄せようと改竄解釈をしているという代物であることが辺見には認識されていない)。

 これらは辺見庸の思考基盤における「脆さ」を示している。

 人間である限り完璧ではいられないし、誤りを犯す。辺見庸もまた人間であり、誤りを犯す。

 そう言って辺見を擁護することは容易であるが、やはり自己の思考と言動の脆さを見つめなければならない。

 なぜそのようにいうかというと、辺見の他者への批判がこの上なく鋭く突き刺すようなものであるからである。そしてそれは、被批判者のホリスティックな価値が致命的な瑕疵をもったものとして読者に受け止められ、読者にとって蟻の一穴のごとく作用するからである。

 谷川雁太宰治柄谷行人チョムスキー石原吉郎吉本隆明丸山眞男堀田善衛埴谷雄高小田実などである。

 彼らに対する批判(詳細は辺見の著作を参照されたい)そのものは点としては正鵠を射たものであり、間違ってはいないのだが、そのように批判をする辺見は、無謬性を主張できるのか。できるはずもないし無謬を誇るつもりもないだろう。では細部に瑕疵は宿っていないのか。

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  撃つからには撃たれないだけの態勢でなければならない。これが鉄則だ。率直に自らの至らなさを自己吐露している辺見庸ではあるが、鋭刃の批判をするまえに今一度自己言及を徹底しなければならない(このことは自分自身も当然担うべきことだ)。

 それでこそ受動態たる認識的存在が「自己否定による自由の獲得」につながる。  

 ただし、以上のことがあるにせよ、辺見庸の卓越は比類ないものであることは明記しておきたい。

 ぶれない言動、突き詰めた思考、非権威・非反権力、瀆神精神、率直な吐露、行動性(デモ参加等)、鋭い言説(反天皇制と死刑反対、反帝国主義、抗暴)。

67.辺見庸:感覚の最深部

 透徹した思索者の一人として、辺見庸は、現行憲法の改定に断固反対し、天皇ヒロヒト戦争犯罪を厳しく指弾する。また、このままではファシズムの危険および人類滅亡が必至であると警告している。さらに、いかなる場合でも(たとえ南京虐殺の首謀者であっても)死刑には絶対反対である。確定死刑囚の大道寺将司の詩作(句集)も支援してきた。 身体(肉体)を賭けた闘いを是とし、自らの「暴力」も容認(世界全体から集中してくる「殺す力」に抗していきるためには「暴力」が必要、とのことであろう)。

 辺見は、人倫、誠実こそ、基本的に、生きるうえで必須のことであるとも述べる。

  だが一方で、反・等価性が貫かれていないと訝られてしまうのである。

〇麻薬常用者である超一流のジャズトランペット奏者チェット・ベイカーを評価。

〇東京足立区立中学校での講演で、生徒の質問に「女を買ったことがある」と答えてい

る。その他、サイゴンでのこと、カフェ・ダフネでのことなど。

〇軍隊にいれば(実時間のことであれば)自分も人を殺し、慰安婦との行為に走っていただろうと述懐。

 性をフィジカル面に偏ってとらえ、生や人間存在でのトータル面でとらえきれていない面がある(太宰治『満願』の描写への理解、吉本隆明河野多恵子などとの対談内容、陽根やSquirting描写、チェルノブイリでの男女の表現、黒人の性に対する視点、「あの黒い森でミミズ焼く」)。

 これらのデカダンスないし下降志向は、少年期に彼が故郷石巻で、大人たちの妖しくもむき出しの性の態様を目撃したこと、そして彼の父親とのことがトラウマ(A)になっていると推察できる)。

 辺見はけっして無頼派を気取っているのではない。資本と情報によってふやけてしまう「生体」を拒否し、マチエールを重視する(多種偏りはあるが)「生」そして「性」を心底から求めているのだ。

 「品行」はいざしらず「品性」は透明で輝いている

 ところで、「突き抜けられなかった自分」、これが彼のもう一つのトラウマ(B)になっているのではないかと考える。

  Ⅰ

 大逆事件については石川啄木の第二詩集『呼子と口笛』も読むには読んだが、宮下太吉を描いた「彼の遺骸は、一個の唯物論者として/かの栗の木の下に葬られたり。/われら同志の撰びたる墓碑銘は左の如し、/『われは何時にても起つことを得る準備あり。』」(「墓碑銘」)などの詩行には真っ直ぐすぎてついていけなかった。なにやら畏れ多くもあった。というより、私は正直なところ権力に対しのべつ腰が引けていて、何時にても起つことを得る準備なし、だったのだ。

辺見庸『言葉と死 辺見庸コレクション2』毎日新聞社、2007年、153ページ。

 大道寺将司とともに早晩あの夏の記憶も完全に消されることをうすうす知りつつ。いやはや巧みなものだ。卑劣なものだ。私は、そして読者よ、〈時の共犯者〉よ、後に虹の不首尾を知ったとき、内心なにを想ったか。臓腑をすっぽりなくしたような虚脱とともに、〈虹よ、いっそ架かればよかったのに〉と、一刹那なりとも無神経に考えはしながったか。

 白状しよう。私は脳裡のスクリーンに派手やかな虹を架けてみたことが一再ならずあったのだ。もしもほんの一瞬間でもそう想ったのなら、私は、そして読者よ、〈時の共犯者〉よ、なにがしか落とし前をつけるべきではなかったか。少なくもあの夏の幻像を永久の烙印としてみずからの心臓につよく押しつけるべきではなかったか。私たちはそうはしなかった。ただ、紅い幻像をこっそりと愉しんだだけだ。風景の危うい核に入るのではなく、無傷で想念の遊びを安全な周縁で遊んだだけだ。そして、惨惜たる〈いま〉がある。〈いま〉は彼の言葉に怯え震えなくてはならない。

 辺見庸『記憶と沈黙 辺見庸コレクション1 』毎日新聞社、2007年、71ページ。

Ⅲ 

(「慰安婦」と呼ばれた老婦人たちへの阿川弘之のを暴言に対して)間髪入れず(いささか古風だけれど)「黙れ、ファシスト!恥を知れ!」「化石しろ、醜い骸骨l」とでも大声で叫び、衆人環視下で、かれの顔にビールをぶつかけ、たしか手わたしでもらった賞金百万円と副賞リストの入ったのし袋を床にたたきつけて、いまいちど「化石しろ、醜い骸骨!」とわめき、ウワーハッハッハッと黄金バットのように高笑いしつつ、憤然と退場すべきだったのだ。

 辺見庸『1★9★3★7(イクミナ) 』金曜日、2015年。のち『増補版1★9★3★7(イクミナ) 』河出書房新社、2016年、『完全版1★9★3★7(イクミナ)』(上・下巻)角川文庫、2016年、261ページ。

  辺見は、これらAB二つのトラウマによって忸怩たる思いをつのらせ、悔いている。

  なお、ここでのトラウマとは、自分の「生存感覚」ないし自分の内部の陥没や空洞のこと(小山俊一)であり、極言すれば、それは自分が思考するとき「暗黙の取引なし格闘」を避けることができないものである。

  

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阿川弘之の暴言:「死にたい者には死んでもらえばいいんですよ」

 むかし「慰安婦」と呼ばれた老婦人たちを韓国各地で取材したことがあった。彼女らは一人一日で二、三十人もの日本の兵士を慰安所で「受け入れた」という。事後、性器を負傷すると赤チンをもらって塗った。夕食後には、昼間つかったコンドームを小川にならんで洗わされた。彼女たちのだれもコンドームなどと言わなかった。「サック|と呼んでいた.ある婦人は、「性交よりもサック洗いのほうがつらかった、と話してくれた.元慰安婦たちはソウルの日本大使館前で割腹自殺しようとする寸前に警察にとりおさえられたのだが、またそれを試みようとしていた。「死ぬのはやめてくださいよ」。わたしはオウムのようにくりかえしたものだ。

 サックや赤チンのことを記した自著がなにかの賞をもらい、そのパーティーで、賞の選考委員の一人だった日本芸術院会員、阿川弘之がわたしに近づいてきた。気色ばんでいる。慰安婦のことを書いたあのルポはじつにくだらないとわざわざ言いにきたのだ。不覚であった。顔に酒くさい息を浴びてしまった。阿川はわたしにむかっていくつかの言葉を吐きすてた。「君ね、『死ぬのはやめてくださいよ』はおかしいですよ」「死にたい者には死んでもらえばいいんですよ」。あれ、わたしは脱線してしまっているのだろうか。「おわいのおかし」とサックはなんの関係もないだろうか。「死にたい者には死んでもらえばいいんですよ」と言った老人のその口に、わたしが細田傳造言うところの生菓子のようなものをズボッとぶちこみたくなった衝迫は、未来志向とやらに反しているであろうか。わたしはそうはおもわない。

 辺見庸『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム毎日新聞社、2013年、271ー272ページ。

 

 

 

 

 

 

66.辺見庸における「延性破壊」

 最近、辺見庸は「延性破壊」を自己の内的世界に起こしつつあるようにみえる(延性破壊とは塑性変形を起こし、材料の著しい伸びや絞りを伴う破壊のことをいう)。

 かつて辺見庸は、吉本隆明埴谷雄高の晩年の変質を嘆き、批判していた。しかし、辺見の変質の内実は、彼らと異なるものの 、autonomyの揺らぎを感じさせるものがある。(いまさらdignified 、ましてやnoblesse obligeを、とは言わないが)。

 最近何度かインタビューを受けたけど、それは大抵日本はどうなるんだ、どういうふうに復興すればいいのかというものなんだ。そういう質問じたい不愉快なので、この際一回滅びたほうがいいんじゃないかと言うと、正気なのかという目で見られて、けっきよくそれはなかったことにされて新聞に載らない。ぼくは本気で言ったのにね。こんなインチキな国はなくなったっていいじゃないか、棄てちまえ、と。いくらニッポンでも千人に聞いたら一人ぐらい言うよ、この際一回なくなってしまったほうがいいじゃないか。そういった言説を全部きれいに消していく作業だけは、メディアの連中は見事にやる。みな「自己内思想警察」がいる。

 辺見庸『死と滅亡のパンセ』毎日新聞社、2012年、83―84ページ。

 これくらいはこれまでの辺見庸の思考からは自然な表現で、何も驚くことはない。むしろ「まっとうな」表現であるといってよい。

 まいどAの話で恐縮ですが、Aは不快であり、ふひつようである。Aは最悪だ。Aはばかだ。Aはコンプレクスのかたまりだ。うらはらに不遜で倣慢だ。Aはみえすいている。Aはジンミンをじぶんよりもよほどアホで操作可能だとおもっている。チョチョイノチョイだと。Aはアナルだ。ケツメドだ。ケツメドが、でも、ジンミンを支配している。Aはますます図にのっている。ひとびとは、だからこそ、じつは、Aをとてもひつようとしているのではないか。ドイツ民衆がナチスをひつようとしたように。あとになってすべてをヒトラーのせいにするために、ヒトラーをひつようとしたように、われわれ卑怯なジンミンは、Aをいまひつようとしている。きったねえケツメドを。マヌケぶりを笑いたおし、いつかみんなで罵倒するために。すべてをAのせいにするために、Aをひつようとしている。(2014,10,14)

 辺見庸『もう戦争がはじまっている』河出書房新社、2015年、84ページ。

 これも表現はやや「荒れ球」風だが、内容は的確だ。

 ところが、思わず、え?と思ってしまう彼の「つぶやき」をブログで目にした。

 これ以外にも散見されるいくつかの譫言。もしかすると辺見の言論テロを警戒するNSAへの攪乱かと思ってしまったほどである。   

 駅前でシンニッポンなんとかというのが、たすきがけで愛国連合政府樹立署名活動をやっている。特高が電柱の陰からじいっとみている。とおりすぎるわけにはいかない。

 おばさんに言う。ぅわたくすぃ、手がわるいのでアナルコサンディカサインでもよかですか?愛国おばさん「アナルコでもハメルコでもよかどすえ。おっちゃん、元気だそう!」。ほなと、ケツメドで落款す。ペタ。失敗。もいっかい。朱肉が穴にちゅめたいわ。腸が冷えるわ。ペタ。乱れし菊のご紋。

 聞こえよがしにうたへ、キミガヨ。ニッポンゼンコク、ソウイン、起立!右むけぇ右!

  ケツメドでうたへ、キミガヨ (文科省推薦・ヌッポン国旗国歌法第2条に基づくソネット) ケーツーメドはケツメドだ 

 おれのケツメドは ただれ ゐわをとなりて こけのむすまで おれのケツメドだ おまえのケツメドはおれのケツメドじゃない エンペラーのきったねえケツ チンのケツ アベのケツの眼窩の襞を頌え 頌えってんだよ エンペラーのケツの眼窩の襞のクソのかけらのアルシーヴを読め 

  アホウども 党のハンドラーたちよ 洪積期のウンコの眩惑 くっちゃい穴(孔)と穴(孔)のまわりをさあ、たんとお舐め ペチョペチョ ぼくちゃんのアルコーヴ ウンコのエノンセでいっぱいの夢のアルシーヴ ケーツーメドはケツメドだ おれのケツメドはおれのケツメドだ ちよにやちよにケツメドだ おまえのケツメドはおれのケツメドじゃない さあ、やったんさい いれて ぶちこんで さして ちょっとぬいて すぐついて こねて たれて だして ちよにやちよに あへあへ あへりんこ タマのーむーうーすーまああで いってえ! 

 あっあっ、いっちゃふ!みんすすぎってなんだあ? ケツメドだあ!             (2015/11/19)

*このブログ記事は、公式の辺見庸のブログからは、現在、削除されている。

  辺見庸における「塑性変形」の兆候。これは、噴出する狂気じみた意識を制御できず不安に怯えることに起因したものなのか。それとも自暴自棄を衒っているのか。

 加えて2004年春の脳出血の後遺症が、身体と神経の乱れとして辺見を襲っている。

 表現は彼にとって癒しにならず却って深傷の確認となる。辺見庸の鋭い感性(聖性)が、世界の現実の理不尽を前にして傷つき乱調を奏でている。

 

付記

 江藤淳自死(遺書)の吉本隆明の言辞への批判、さらには狂い死もよしとするのが辺見庸らしいかもしれない。

 

 

65.二人の「ポムチェジャ」:吉田松陰、福沢諭吉

 吉田松陰

 安政の大獄における悲劇のヒーロー、近代日本の先覚者のように受け取られているが、実は彼は、朝鮮半島やアジアへ侵略思想の創始者なのだ。

 日本という国の悲惨さは、いちじるしく知性を欠く政治家とマスメディアに支配されているにとどまるのでなく、みずからの近現代史の実相と、その朝鮮半島、中国とのかかわりの深層を、あまりにも、じつにあまりにも知らず、謙虚に知ろうともしていないことである。この国は、せいぜいよくても、司馬遼太郎ていどの近代史観しかもたない首相と政治家を、過去にも現在も、何人もいただいてきたことだ。そして日本の〈征韓論〉の歴史と淵源をまったく知らないマスコミ。そのツケがいまきている。

 大久保利通江藤新平榎本武揚福沢諭吉板垣退助、大井憲太郎、樽井籐吉、陸奥宗光勝海舟山県有朋与謝野鉄幹井上馨、三浦梧楼、伊藤博文大隈重信徳富蘇峰宇垣一成、南次郎、小磯国昭・・・らが、アジアと朝鮮半島にかんし、なにを語り、なにをしてきたかを、日本人はとっくに忘れたか、もともと知らず、朝鮮半島や中国に住まうひとびとのほうが代々、憶えているということは、これはまたどういうことなのか。

 「ポムチェジャ」とはだれのことだ?三浦梧楼はおどろくべき범죄자ではないのか。伊藤博文とはなにをなした人物か。なぜそれを調べてみようとしないのか。

 辺見庸「私事片々」(2013年11月20日) 註:「ポムチェジャ」(범죄자、犯罪者)

 明治維新の「立役者」たちを育てた吉田松陰明治維新の精神的指導者、理論家、倒幕論者、兵学者。何よりも封建制打破の情熱と行動力に多くの「日本人」が魅せられてきた。

 ところがこの松陰、とんでもない罪業の持ち主であり、新国家・富国建設という「大義幻想」ために侵略思想を捏ね上げた張本人なのだ。

 松陰の著した『幽囚録』『獄是帖』『丙辰幽室文稿』を読めば、そのことは一目瞭然だ。(「朝鮮を取り、満州をくじき、支那を圧し、印度に臨み、以って進取の勢を張り」等の記述をみよ)。

 また、彼の句が問題だ。

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂

 アジア各国を侵略し何千万人を殺戮。それを推し進めるのが、ふつふつと湧き出る熱き大和魂であると謳う。

  安倍首相がもっとも尊敬する人物は、この同郷の吉田松陰だと公言しているのだからあきれものが言えない。

  福沢諭吉もまた、とんでもない男だ。

 福沢諭吉は『学問のすゝめ』を書き近代日本の礎をきづいた偉人の一人としてあげられている。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」と福沢諭吉は言った。米国の独立宣言から示唆を得た言葉らしいが、これには大きな誤りがある。

 わがジャパンは人の上に人を造っているではないか。天皇という存在は「人の上の人」ではないのか、と内村剛介は怒る。

 戦後、最大の戦争犯罪者にもかかわらずヒロヒトは「人間宣言」とやらをして象徴になった。世襲によって地位を得たアキヒトも住民登録せず、納税義務をはたしていないし、選挙権もなく「一族郎党」とともに国民のうえでのうのうと暮らしている。国会の最上段に座ったりもしている。

 学問を熱心にすれば人びとは平等になれるなんて幻想である。学問を受ける権利の実現の前に不平等と多くの困難が立ちふさがっているではないか。