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辺見庸 研究 ~内宇宙への旅~

辺見庸の発言は、ときに「荒れ球」や「魔球」もあるが、「剛速球」が身上である。その根源にある思考とは何か。

86.「それでも人生にイエスと言う」

 V・E・フランクルが著した『それでも人生にイエスと言う』(山田邦男・松田美佳訳、春秋社)は、「心の救い」と「矛盾隠ぺい」の両刃の剣であるが、実際は前者の書として世界中の人びとに読まれてきた。とりわけ悩める若者や挫折者に生気を回復させてきた功績は大きい。

 この言葉が発せられたのはナチによる強制収容所においてである。人間扱いされない極度の負(マイナス)の生存条件下で人間はいかに生きるのか(生きられるのか)、いかなる意識をもち行動する(できる)のか。

 周囲には、人間の劣情、獣性、権勢欲が渦巻いている。傷ついた獣のようにひたすら生きる。弱みを見せることは「死」を意味する。だから虚勢を絞りだす。体力・気力・知力の消耗はすでに限界に達している。

 今日は生きられても明日はガス室で殺されるかもしれない。それでも「人生にイエスと言う」。恐怖のドン底での狂気や逆説の言葉ではない。ギリギリの正気からの言葉であり、観念的な理論や小手先の心理治療での用語でもない。理論や治療メソッドは後付けされたものだ。

 一方、字面だけでこの言葉を受け取ると「安易な人生訓」に陥ってしまう。さらには権力者や強者にとって都合の良いように使われてしまいかねない。反証・批判はあてがわれなければならない。さもないと、この言葉は矛盾を糊塗したり抑圧の道具となるのである。

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 フランクルは「宗教的な人間は、人生は神が課した使命だと知って生きている」としているが、宗教的人間の方が<存在理解>が優れているとしていることも、宗教が有する危うさ(現実の矛盾の溶解)に無批判であってよいのかとの疑問がどうしても残るのである。

   

   辺見庸も、「フランクルが唱えていることはその凄絶な体験からしても生半な生の賛歌では無論ありえない。私が持ちあわせている自死の理屈なんぞフランクルが展開する意味論からすれば屍のようなものだろう」と述べるとともに次のように記している。

 

フランクルのこの論述自体が・・・・私は彼の言葉をどうしても素直に受け容れることができない。とりわけ「ある死刑囚の例」で語っていることは死刑や教誨活動を事実上、主の名の下に容認したがえうえでのものであり肯んじがたい。(辺見庸『自分自身への審問』毎日新聞社、2006年、151頁)。

 

     とは言え、「それでも人生にイエスと言う」という言葉は、深遠な意味をもつ言葉であることに違いはない。いくつかの留意点を掲げよう。

🔴ここでの人生は「わが人生」であろう。それを敷衍し各人の人生にもイエスと言うということになる。

 自分の人生は生きるに値しないと自身が思う場合にはイエスと言えないが、皆さんの人生にはイエスと言ってください、というのでは説得力に欠ける。各人の(いかなる人であっても)、いかなる状況にあっても、人生にイエスと言えるのか、との問題も含んで考えなければならない。

🔴「それでも人生にイエスと言う」といっても、その内容や覚悟の程度はどうなのか。

V・E・フランクルが言っているのは、彼の強制収容所での体験からして、相当の覚悟であり、深い洞察に基づくものであることは相違ない。凡人がポジティブシンキング志向を吹き込まれてこの言葉を口にするのとは格段の相違である。深く考えることなく「現状肯定」をずるずると引きずっていると、いつの間にか取り返しがつかないことになっているが常態なのだ。

🔴「人生の意味を見出せなくて」ではなく、人生が求めてくることに感応して生きる意味を知る。「人生にイエスと言う」のはそのようにしてである。

 🔴これはフランクルの言葉ではなくて強制収容所での「囚人」たちが隊列を組んで行進するときに歌ったもので、それをV・E・フランクルは自分なりの心理学に基づく心理療法(ロゴセラピー)に即して唱えたものであるという。その際、ニーチェニヒリズムの超克としての「超人」思想を参照し、「それでも人生にイエスと言う」と発したものであるとされる。

 ただし、V・E・フランクルは「人間は、もう論理的な法則からこの決断を下すことができません。自身の存在の深みから、その決断を下すことができるのです」(『同上書』、112-113頁)とも述べていることに留意する必要がある。

🔴人生にイエスと言う。その内容はさまざまである。ただ肉体として生きる(生存する)、課せられたさらには科せられた人生を生きる、役割意識で生きる、人生意味あるとして喜びにみちて生きる。このように幅広い。一方、逆に、人生にノーという人もいる。そしてその内容は多様である。

🔴「それでも人生にイエスと言う」というフレーズの中に「それでも」という前詞が置かれているのは、イエスと言えない状況があって、それへの対処に苦悩し葛藤していることを含意する。その苦悩・葛藤を幾度繰り返してきたのか、その苦悩はいかほど深いものであったのか。それらのことを同時に観取しなければ、この言葉の核心について想到したことにはならないのではないか。

 

85.辺見庸 ×目取真 俊 : 対談

 戦争へ向けて歩み始めている。戦争前夜の様相さえ感じさせる。

   目取真俊 × 辺見庸の対談は、そのような情況下においてなされた。まさに時宜にかなった対談である。

  だがこの対談、共同通信社の配信によって4月16日に沖縄タイムス琉球新報に載ったものの、今のところホンド(本土)の各新聞には掲載されていない。大手新聞および地方紙は、この二人の見解をスルーすることが現政府に良い印象を与えるとでも判断(自主規制)したのか、それとも日々マスメディアに軽佻浮薄を意識づけられている読者には「受容されない内容」であると思ったのか。

 一日も早くこの二人の対談を各新聞社が掲載することを望むものである。さらに言えば対談のすべてを何らかの形で公けにしてほしいと願う。

  ラディカル(本質的)な視点からの二人の発言から数点抜粋する。だが、これら(すべて、もしくは一部)が、今のニッポンでは自然には受け入れ難いとする「空気」が現存する。そのことが「異常」なのだ。

 

 下記の文章(枠内)については前後関係を「本文」で確認の上、読んでいただきたい。

共同通信 / 沖縄タイムス 2017年4月16日)辺見庸氏X目取真 俊氏  対談「本土の視線、潜む欺瞞」-沖縄基地問題を語る。

   対談記事の出所(抜粋元)。

    「Blog「みずき」2017.4.16 。今日の言葉。

           「志情(しなさき)の海へ」2017年4月 19 日。真実の在り処。

 

①本来は敗戦後、昭和天皇を処罰の対象とするのが当然だった(辺見)。

②1945年2月に近衛文麿(元首相)が出した戦争終結の上奏文に昭和天皇は、もう一度戦果を上げてからでないと、と言う。沖縄は「捨て石」という判断がその時から既にあった(辺見)。

③沖縄も無垢じゃない。加害者でもある二重性を自覚すべきだ。ベトナム戦争でもイラク戦争でも基地を通じて米軍を支えた(目取真)。

④目取真さんは沖縄を人間身体と不可分の問題として考えている。(中略)例えば、沖縄が必要としているのは一人の米国人の子どもの死だという暗喩を込めた目取真さんの掌編小説「希望」。傑作です(辺見)。

⑤安保条約の問題を抜きにした9条擁護派は欺瞞だと思う(目取真)。

⑥沖縄の渡嘉敷島宮古島読谷村には慰安婦の慰霊碑がある。(中略)沖縄に置き換えれば、そういう碑をつくるなと国が口を挟むようなものだ(目取真)

⑦怒りの導火線が湿った状態がいつまでも長続きするとも思わない。かつてとは違う形の闘争が何らかの契機で爆発するときがあるかもしれない(辺見)。

⑧日本政府が(沖縄の)独立を認めることはあり得ないと思う。領土だけではなく、広大な領海も失う。そうなれば、自衛隊が出動し、県民に銃を撃つかもしれない(目取真)。

   

 

<余禄:私見>

 領土・領海の拡大または独裁者国家の延命など、他国のせいにしながら国土・国民の防衛を言い募るニッポン政府。

 侵略され攻撃される前に撃つこともあり得ると言う。自国だけでは心もとないから米国の軍事力を頼みにしつつ。

 「かの国」が核兵器保有と威力を顕示する核実験を強行すれば、米国は独裁者の暗殺さらには核攻撃を含む軍事力行使を断行すると公言している。米国まで核ミサイルが確実に到達する水準(力量)に「かの国」が達しないうちにである。在日米軍、在韓米軍に死傷者や犠牲が出てもやむを得ないと割り切る。ましてや、日本や韓国にどれほど犠牲が出ようと「織り込み済み」のことするのが米国の見解だ。その先には、中国の領海・領土拡大に対する反発・制御戦略の強化や先制がある。

 安倍内閣は、クニのためならば、国民は犠牲を覚悟するのは当然であるとする。政府(国家権力)の役目は武力攻勢してでもニッポンを守ることにあると公言する。

 だが、そもそも朝鮮分断そしてその後の朝鮮戦争は、軍国主義ニッポンおよびその後の米ソの覇権争いに起因したものである。今日の朝鮮半島の分裂は、休戦そして収束の結果、朝鮮民衆がやむをえず受け入れたものだ。日米の侵略の罪業が朝鮮半島の今日の状況を生み出しているのであって、そのことを頬被りし「休火山」のマグマを噴出させるがごとく穿つことは、二度にわたって朝鮮民衆を痛めつけることになる。

 アメリカ・ファーストが自国(米国)第一主義であるならば、文字どおり軍事も自国防衛に専念し外交努力と国内問題改善に全力を傾注すればよい。シリアや北朝鮮には自力更生を間接的に支援するべきだ。ましてや権力者自らの支持回復のために戦略的に他国を介入・侵略することは、被侵略国や世界の安定のために百害あって一利なしである。

 国家の本質は暴力装置である。自国第一主義の国家リーダーたちが、その暴力装置に安易に手を染めることを今こそ民衆として止めなければならない。暴走は金融資本主義で、もう、辟易しているのだ。

「 怒りの導火線が湿った状態がいつまでも長続きするとも思わない。かつてとは違う形の闘争が何らかの契機で爆発するときがあるかもしれない(辺見)」。

84.「自己教育」 (その2)

小山俊一のことば。(『プソイド通信』『EX―POST通信』から)。

 

〇教育というのは、これを与える側からいえば、ひっきょう上から(外から)の論理、罠を仕掛けることにほかならぬのではないか、というのが教師をやっているあいだつきまとわれた根深い疑問だった(186頁)。

〇どんな「外発」力も、そこにある種の「内発」を生じさせるだけの喚起力・挑発力をもつものでなければ、どんな「一種の形式」もそこに生れることはできない(186-187頁)。

〇今や世界は(むろん私も含めて)「自己欺瞞」でできているといえるほどの状態に達しているので材料に不足はない。どう問題を限定するかが難関だ。「救い」の方はいまだにわからない。わかる見込みもない(154頁)。

〇(ニーチェのいう「(自己教育にとって)生れながらの敵である親ども教師ども」をはじめ全社会からしかけられた)さまざまな「後退の(パターン」を破る〈暴力〉
的な「試み」という性質が、ある共通の構造をそなえながら必ず含まれているにちがいない。それは見る目さえあればつかみ出せるにちがいない、と私は考える(19頁)。 

〇そういう痛切な経験(人がめいめい与えられた自己条件と自己状況に立ち向かって生きてゆく過程で必ずぶつかる〈自己教育現象〉)をひろく集めることができれば、その輝きと豊かさの前ではいっさいの教育理論は色あせるにちがいないと私は思う(18-19頁)。 

 〇 教育の現場(むろん学校にかぎらない)をまさに教育の現場たらしめるもの、それがく教育現象〉だーというのが私の考えだ(183頁)。 

〇「自己教育」こそが<教育現象>の核心である (184頁)。   

〇人間が限られた手持ちの手段を使って、直面する状況(問題)をのりこえるところには、つねに<教育現象)が生じる(184頁)。  

 

 「自己教育」という用語は小山俊一の独創によるものである。この用語は一見すると、カントの教育論における「人間は人間の全自然素質を、自分自身の努力によって、自分の中からしだいに取り出すべきである」との思考に類似しているように見える。

 だが、「人間の全自然素質を自分で取り出す」という表現では、誰のために、何のためにという点が明らかにされていない。むしろカント教育思想における実践論で目指される、①訓練: 野生(動物性)の制御 ②教化 :熟練した能力の獲得ということからすれば、その目的は外在的である。

 その点、自己教育は、「思考」を自己対象化として捉えるものであるといえる。

  ウソと自己欺瞞でできている世界に対抗する個人、ないし個的必然性と世界との確執という視点から「自己教育」を見直す。小山俊一の教育論の核心はそこにあると思う。

 付記

 小山俊一は「自己教育」論を、永山則夫を巡って展開している。これは凡庸な批評をはるかに超えるものであると断言してよい。

83.自己教育(その1)

 文化庁長官もであった三浦朱門曽野綾子の夫で2017年2月に没)について、辺見庸が次のように述べている。

 

 (三浦朱門は)教育基本法改悪にことのほか熱心で、児童教育について「非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばよい」などと真顔で語ったこともある。「法は法」発言同様に、放つ言葉に人間の温もりがない。聞くところによれば、キリスト者なのだそうだ。それだけではなにほども意味しはしないけれども、この人物の場合、神よりも人よりも「国家」を奉じている様子である。(辺見庸『いま、抗暴のときに』毎日新聞社、2003年、のち講談社文庫、2005年。142ページ)。

 

 この三浦朱門、かつて「女性を強姦する体力がないのは男として恥ずべきこと」と雑誌で発言した男である。

 一事が万事、この国の教育行政(国家が主導することもないのだが)、そして教育のの根本の劣悪さは目を覆うばかりである。だからなのか、辺見庸は教育について真っ向から論じたり批判する気にもならなかったのだろう。読むべき教育に関する評論は見当たらない。

 

 ルソー(1712 - 1778年)は、自然の状態では自由でかつ平等であった人間が社会を作り、文明を進化させることで堕落したと述べた。そしてルソーの教育論(思想)は、民衆としてのこどもを対象に主にその視点から構築され、「自然に帰れ」との理念から、考える力=理性を育てる前に、感覚器官をしっかり育てることの重要性が説かれた。ルソーは3歳までは感覚器官を鍛え、特に身体を鍛えることを教育の基本にしたのであった。

 教育(Education)は、ラテン語の「引き出す」あるいは「導き出す」という意味の言葉を語源としているという説もある。

 

 その後、教育思想はカント(1724 - 1804年)にも受け継がれ、彼の教育論では、大きくは自然的教育と実践的敦育に分けられる。その要点は森 昭氏(大阪大学)によれば次のように示すことができよう。

 自然的教育とは「人聞が動物と共通に有する教育」のことで、保育(養護)がこれにあたる。 実践的教育は、「人聞が自国に行為する者として生活できるように、人聞を凶冶しようとする教育」であり、技能、利口さ、道徳性が教えられる。

 一方、訓練、育成、開化、徳化の区分がなされる。注目すべきは実践的教育であり、これは人聞は初めから「自由に行為する者」ではあり得ない。人聞は、初めは、少なくも本格的な意味では、自由に行為することはできない。そうであればこそ、「自由に行為する者」としての人聞の教育に、自然的教育が先行しなければならないとされているのである。

 ここから読み取れるのは、ルソーの教育思想では「人間は人間の全自然素質を、自分自身の努力によって、自分の中からしだいに取り出す」とか、「人間は教育によってはじめて人間になることができる。人間とは、教育が人間(の素材)から作り出したものに他ならない」としながらも、実践的には、訓練、育成、開化、徳化さなければならないということになる。

 ペスタロッチ(1746 - 1827年)によって学校教育の礎が築かれ、以後、多くの教育思想や教育実践論が展開されたが、現代の学校教育中心の教育では、教化として熟練した能力の獲得が大部分を占めるに至っている。

 その背景には近代化産業化する社会への適応があり、労働力を保有した人間の能力向上が目指される。そこには民主社会とは別のパラダイムで動く資本の論理・商品化経済を推進する企業社会がある。教育の理想(人間の本源的な資質の創造的な開花)が組織的・制度的ひいては権力的に圧潰されていく。

 

 教育が産業社会に資するための労働力(製品)の生産・流通に資することが目指される。そのための主な機構である学校が「教育産業」となる。生徒・学生は、労働力商品化の過程で、本来保有している自由で平等で創造的な感性資質(素材)を加工され品質管理によってブラシュアップされていく。しかも固有の労働力能力・品質の向上のみならず産業化(企業社会)におけるドグマ、ルール、手法等の徹底的な刷り込み(洗脳)が行われる。金融資本が(この国では国家権力さえもが)それを後押しする。

 

 現代教育では産業化原則(分業化・大規模化・標準化)が貫徹している。視点を変えれば教育をめぐる「教育する者とされる者」という二分化と、教育される者が主体であるべきにもかかわらず主客転倒してしまっているのである。

 教育する側の押しつけ・強制が全面にあり、教育を受ける者が一方的に受け入れる側として、または教育する側への「像合わせをする」者としての存在でしかなくなってしまっているのである。

 (これに対して「自己教育」の視点から真っ向から異議を唱えたのが小山俊一であった)。

 

82.世間への溶解と「個」の死

 日本には世間はあっても社会がないという話はよく耳にする。

「世間」とは、諸個人がつねに集団の価値観や意見を優先する空間であるとすれば、そんな世間で生きたとて本当に生きたといえるのか。

 

 辺見庸は「個」にこだわる。彼の著作のなかで「個」ないし「個人」という語はかなり高い頻度で出てくる。そして「個人という言葉が日本では1884(明治17)年までなかった」との阿部謹也(西洋社会史の研究家)の言葉を紹介している。

 

 何よりも個として生きてこそ生きるということなのに、自分で考えることをせずに、自身で「変だな」と思っても異を唱えない。いちいち異説を持ち出して周囲と衝突していては神経が疲れる。周囲との関係を重視し自分の意見を封じ、流されるままに生きている方が楽だとつい思ってしまうのだろう。 

 

ファシズムそして独裁、これらも「均一化」「他律性」という点で世間と同じである(当初、または表向きの「題目」とその後の「実体」とは似て非なるものである)。

消費資本主義社会やマスメディア空間も例外ではない。これらも間接的に「均一化」「他律性」を強いるものであり、ファシズムに転化する特質をもっている。

 

 小山俊一は言う。

 個とはひとりひとりの人間のことだ。いうまでもなくこの地上にあるものはすべて個としてある。山も海も木も鳥けものも夕焼けも風も波の音もすべて自然は個なるものとしてある。すべて個なるものはくみつくしがたい。しかし私たちにとってもっともくみつくしがたいものはついに人間という個だ。すなわち人間ひとりひとりは個のなかの個、くみつくせぬもののなかのくみつくせぬものだ(小山俊一「オシャカ通信」No.2)。

 

 利己とは、利己的に生きること。生きていくこと、そして種をのこすことのために行動することである。その第一義的な目的は「存続」にある。

 一方、個は存続を第一義にしない。目的は、「唯一無二」を実現することにある。

後天的に獲得したものを基調とするが、自業・他業が編み合わされ形成され、明確に固有・独自なのは通常はごくわずかしかないものの、わずかでもそれがあれば「個」としてとても貴重なことである。

 

 辺見庸の「個」についての見解を記しておきたい。

 私の個人的テーマでもあるのですけれども、社会が悪くなるというのは必ずしも悪意の人間たちがたくさん増えていることを意味しないと思うのです。私は、いまの社会というのはなんていうのでしょう、たとえば集合的な無意識っていうのでしょうか、あるいは集団的な無意識―ちょっとユングの言葉のようですけれども―に左右されつつあるような気がするのですね(辺見庸『不安の世紀から』p.89)。

 

 この国の精神の土壌はいまもって、意志的決定よりは、暖昧模糊とした生成、醸成に向いているようだ。政治、経済の帰趨でも、議論を積み重ねた意志的、計画的な組み立て作業の結果というよりは、ときどきの「空気」によりなんとなくそうなってしまったという、長い生成の結末であることもしばしばである

 無意識の生成のプロセスや、その場の「空気」が、往々、個々人の意志的決定を溶解してしまう。あるいは徐々に呑みこんでしまう。そこに、「私」がいないということはないのだ。

 「私」はいながらにして溶解してしまうのである(辺見庸『同上書』p.279)。

81.夜と霧

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 強制収容所の入り口が近づいてくる。次々に夜間秘密裡に捕縛され、収容所という名の地獄のなかで多くの人が消されていく。

 

 機関車の鋭い汽笛が薄気味悪く響き、それはさながら大きな災厄に向ってひかれて行く人間の群の化身として、不幸を感づいて救いの叫びをあげているかのようであった。そして列車はいまや、明らかに、かなり大きな停車場にすべりこみ始めた。

  

 貨車の中で不安に待っている人々の群の中から突然一つの叫びがあがった。「ここに立札がある―アウシュヴィッツだ!」各人は、この瞬間、どんなに心臓が停まるかを感ぜざるを得なかった。アウシュヴィッツは一つの概念だった。すなわちはっきりとわからないけれども、しかしそれだけに一層恐ろしいガスかまど、火葬場、集団殺害などの観念の総体なのだった。

 

 列車はためらうかのように次第にその進行をゆるめて行った。すなわちあたかもそれが運んできた不幸な人間の積荷を徐々にかつなだめつつ「アウシュヴィッツ」という事実の前に立たせようとするかのようであった。今やすでに一層色々なものが見えてきた。

『夜と霧』フランクル著作集・第1巻(霜山徳爾訳)みすず書房、1961年、84ページ。

 

 戦時においても普通のくらしがある。石川淳は短編「マルスの歌」で、何気ない顔をしたファシズムを描いた。辺見庸も「日常の時間そのものが、盤石の正常さとともに、実は狂気を秘めているのだろうと思う」と書いている(『絶望という抵抗』)。

 

 では、今という「実時間」ではどうなのか?

 ショック・ドクトリン国民意識支配の日常手段として講じられるなか、消費資本主義による「平和」の時間が流れている。

 言葉に責任を持たない厚顔無恥な「詩人」が盗みをはたらき、本来、歴史に学び戦闘を回避するべく必死に努めるべき政治家が交戦やむなしとばかりに気色ばみ、民衆を根こそぎ 捕縛する準備に躍起になっている。

 考えてみると、人間存在そのものが、本来、危ういものであり、いつ、壊され、つぶされ、消されてしまうかもしれない状況のなかで生きている。 

 だが、小山俊一が言うように、人間は基本的に受動的な存在ではあるが、一人ひとりが己れの必然に衝突し、それに固執することが求められる。

 

 生きていくにはやむをえず「受け入れ」ざるを得ない。受け入れるにしてもどこまで受け入れるのか、本当に受け入れるのか。「そんなはずじゃなかった」では手遅れなのだ。

 軽薄で独善的なスピリチャリズムに憑かれた独裁者によって、「夜と霧」の指令書が手あたり次第に発せられる前に、己れの「必然」に衝突するほかない。

80.ある詩人の「剽窃」

 辺見庸は10年ほど前にこんなことを書いている。

  どだい、政治のなにが重要というのか。あれらの言葉の愚弄。空洞。あれらの言葉の死。ほら、そこの軒下に干してある黄ばんだおしめほどの意味すらありはしない。

『言葉と死 辺見庸コレクション2』毎日新聞社、2007年、203ページ

 

    政界用語や本性を美化する日本会議の面々による胡散臭い用語。もし言葉に匂いがあれば「異臭」が立ちもめているといってもよいだろう。しかもそれをマスコミが大衆の「俗情」を察知しながらかき混ぜる。清冽な言葉が完全に滅し、不等価性をもった言葉も死んだ。人びとは、指示用語と商品化用語だけの世界で生きていく。

  ところであるツイッターで次のような文言が目についた。詩人、河津聖恵(第53回H氏賞受賞者)のつぶやきである。

 

 私にとって詩の主体は、言葉あるいは日本語かもしれないとふと思った。あたりまえかもしれないけれど。これだけ人間が言葉をエゴの恣にし、噓いつわりしか語らなくなると、言葉が人間を見捨てていく。人間が言葉を、ではなく。だからせめて詩を書くときは、遠ざかろうとする言葉の側につきたい(下線は引用者)。 2017年3月13日

 

 「言葉が人間を見捨てていく。人間が言葉を、ではなく」。まさにこの一文は現在の言語状況に対して的確な表現である。ニッポンや米国だけでなく、世界の国・地域にも当てはまるようになっている。

 だが、この表現、45年前にある詩人が発したものであることについて河津は記していない。あまりにも有名なフレーズゆえに、記憶の中にあったものをつい使ったのか?それとも未必の「剽窃」(盗用)なのか?

 河津聖恵は、その後、この表現が日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」のコラムで取り上げられたことをツイッターで紹介している(2017年3月27日)。そのコラムを書いた詩人も、これが(この部分が)石原吉郎(詩人)によるもの(と同様の趣旨)であることについて全く触れていない。

 その点、辺見庸は、このフレーズが石原吉郎によって発せられたと適確に書いている。(出典:『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』NHK出版、2012年、185-186ページ:他の著作の中でも引用している)。

「ふたたび、石原吉郎の言葉が浮かびます。

・・・・・・ことばを私たちがうばわれるのではなく、私たちがことばに見はなされるのです。ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体である私たちを見はなすのです。いまは、人間の声はどこへもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です。日本がもっとも暗黒な時代にあってさえ、ひとすじの声は、厳として一人にとどいたと私は思っています。いまはどうか。とどくまえに、はやくも拡散している。(後略)(「失語と沈黙のあいだ」『石原吉郎全集Ⅱ」花神社より)(下線は引用者)。

 

  河津は、ツイッターにおいてではあるが、詩人として情報発信媒体を使い他者の重要な「言葉」を使う。それについて気づかないまま肯定的に「評価」する「詩人」もあらわれる。それが「政党新聞」にそのまま掲載される。

  「言葉が人間を見捨てていく。」(河津)「ことばの方で耐えきれずに、主体である私たちを見はなすのです。」(石原)。この二つのフレーズが実質同じであることは明らかである。

  詩人という言葉をいのちと同じくらい大切のするはずの人、最も言葉を創造的に扱うはずの人が、このありさまである。(商品経済に心を売った谷川俊太郎もしかりであることは以前取り上げた)。

 言葉が「詩人」を見捨ててしまうことにならないように願うばかりである。

 

* 付記

 後日、河津聖恵氏から「剽窃」を認めるメールでの回答があった。しかし、反省の言葉や、善後策について何も記されていなかった。

 

79.辺見庸:内宇宙への回路

 創造的な破壊は否定的破壊であり、現実(構造)を是認したうえでの破壊ではない。批判は現実およびその基礎の構造に対しなされるものである。そして、思想は批判と不可分で、思想は批判そのものであるともいえる 。そのことからすれば、辺見庸の批判はまさに批判の要件を充足している。

 辺見庸の賛同者には、熱心な読者、ウォッチャー、さらには受け入れられない部分があるものの大筋では賛同する人までいて幅広い。

 また、初期の『もの食う人々びと』や『反逆する風景』といった著作の愛好者から、『単独発言』や『いま、抗暴のときに』などといった反戦評論の支持者、『いまここに在ることの恥』や『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』といった内省・自己探求関連の本の愛読者、さらには辺見の詩作集、小説、随筆集に魅せられている人もいる。併せればいまでも2~3万人くらいはいるだろうか。

 その中には辺見の古くからの知人、理解者、支持者がいてコア・メンバーとなっている。

 興味深いのは、愛読者が、辺見の思想の構成主題をいかに咀嚼し理解しているか、各主題への対応姿勢はどうなのかである。

 例えば次のような主題を掲げてみよう。一般的愛読者は別として辺見庸の愛読者(とりわけ賛同者)を自認する人であれば、これらの主題の内容や論点は単に二者選択ではなく、思考過程も含め洞察できることだろう。

 そのうえで、各主題にかかる「辺見の主張」についてあらためて「賛否」を自問してみる。もちろん、辺見の考えのすべてに賛同とするのがよいというわけではなく留保・反論があってしかるべきである。辺見庸(の思索)を絶対視してはならず、彼の思想は宗教ではないのだから反証可能性を有したものであることは言うまでもない

 そのうえで考えられるのは、以下の各主題で下の方に記されたものほど理解・賛同しかねる人が増えるのではないかということである。それはそれでかまわないのだが、辺見の本領は、実は、それら(下部に位置する主題)にあり、各自各様に辺見の思考を糧に、自らの思索・探求を深め日々の意識と行動の在り方の変革に資するには、それらは格好の課題であると言いたいのである。

 

マスメディア批判 :賛否(賛同か反対か)

戦後民主主義批判 :賛否

反権威・反権力・反戦・反侵略・反ファシズム : 賛否

消費資本主義批判 :賛否

小林秀雄批判   :賛否

個への偏執    :バートルビー、鹿野武一 尾形亀之助

改憲反対     :賛否

言語評論     :賛否

下降志向     :賛否

滅亡・自死願望  :賛否

エロス      :ゆで卵、赤い橋の下のぬるい水、ダフネ等での「痴態」

天皇制      :瀆神、歴史風土、不如意な好感

Notとしての義    :Seal'sへの批判

暴力論      :肉体、流血

死刑制度     :存置、即時撤廃、原則撤廃(部分的に存置)

大道寺将司    :三菱重工ビル爆破、結果的に意図しなかった多数者殺傷、虹作戦

 

 

 

78.「誠実」をめぐる虚実

 辺見庸はおもに二つの著作のなかで「誠実」について述べている。玄妙な詩、技巧的で晦渋な表現を組み込んだ鋭い批評や、衒いながらの小説、それらとは逆に、譫言や自らの「痴態」をときに記してきたブログ「私事片々」からは一見程遠い「誠実」ではあるが、彼はそれをどのように語っているのであろうか。

 辺見はまず「誠実」の変質を、商品の物神化と商品呪縛(商品フェチ)との関連で指摘し(『しのびよる破局』、52ページ)、それが現代の消費資本主義社会においては深く広範囲に浸透していることを次のように述べている。  

 愛とか誠実とか徳目というけれども、長くつづいた消費資本主義のなかでは、それらは全部商品広告の世界のなかで使われているということです。穏やかさとか、癒しとか、約束とか、人間の基本的な徳目というものが全部商品広告の世界のなかで使われて、資本主義を支えてきてしまった。

 辺見庸『しのびよる破局』116ページ。

 

 どういう精神を生産しているか、どういう物質を生産しているのか、全体像を見ないで仕事を誠実に果たし、結果的に核兵器ができていく。これは本質的には犯罪だと私は思うのです。悪意なき犯罪ですね。

 辺見庸『不安の世紀から』90ページ

 

 現代人は資本主義による物象化を受け入れる存在(反映的存在)である。それによる「反・等価的存在としての個」の喪失。このような指摘は今では評論家なら誰でも口にすることで珍しいことでも何でもない。

 注目するのは辺見が「誠実」という徳目を次のように語っていることである。 

〇ぼくは賛成もし、惹かれもし、動揺もし、それと同時につまらないともおもうことばが「ペスト」にはでてくるのです。主人公といってもいい医者のリウーという人物が、あるときいいます。「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」と。

 これって、あくびがでるぐらい退屈な真理だとおもうのです。その誠実さというものは、退屈だし、これ以上ないほど凡庸でもある。けれども、真理はしばしばひどく退屈です。誠実という真理以前のビヘイビア。けっして燦然と光るのではない、微光のようなことわりをぼくは最近、しきりになぞったりしています。

『しのびよる破局』101ページ。 

〇誠実とはだから、自他とのほとんど自己破壊的で、自己犠牲的で永久的なたたかいからしか生まれないのではないでしょうか。ぼくは徒労だらけの『まちがいだらけの人生でしたけれども、いろいろな場所で、人の誠実ということにはそれはそれは教えられました。それはぼくが他者からあたえられた、照りかえされた誠実の凄みです。

 『同上書』108ページ。

〇「誠実」と異次元のことのようにおもわれるかもしれませんが、強権支配への異議申し立てや抵抗だって、人としての誠実や他者への愛に深くかかわるといえます。

 『同上書』111ページ。

 

  辺見庸の精神の地下茎には「誠実」がこのように根づいていた。感慨をもってこれらを読んだ。これはこれで「異論」をはさむことはないことである。

 ただし、そこには物象化、商品呪縛、消費資本主義における「誠実」の変質への批判的な言辞から、逸見庸が一転して「誠実」の徳目をそのように語ることに戸惑いも感じる。

  なぜか。それはお気楽な「なんちゃって」ブログ(「私事片々」)などで辺見がときに語ってきた「譫言」や自らの「痴態」の記述を、どう受けとめればよいかである。

 そのように考え進めていくと一つのことに思い至った。

   誠実の本質は、自己欺瞞のアンチ・テーゼが「誠実(自分があるところのものであること)」とは限らず、「自他とのほとんど自己破壊的で、自己犠牲的で永久的なたたかいからしか生まれない」のであれば、その具現が検証されなければならない。己の「必然」の発生とその後の等価則への変質を、技巧的にまたは譫言的に書きつづることと誠実とはまったく無縁のことである(その後景に、言葉による交換の無効性さらには「言葉の死」の意識があったとしてもだ)。

  このことは、彼が偶然目撃したオウム事件をモチーフにした小説『ゆで卵』で示した、「自己回復」として女と性交することや、ゆで卵を使った「痴戯」ついても言えることである。 

 小説であれブログであれ、(結局ことばの売り買いをする手段であるかぎり)、心象風景を含め表現するからには「己れの必然との衝突」を「回避」することなく、「固執」し続けること求められる。それを表現の中に読者が素直に直覚すれば(できれば)、辺見の「誠実」を感得することができるのだが。

  辺見庸の内的世界に「延性破壊」が起こりつつあるようにみえることについては すでに書いた(66回ブログ)とおりである。

   次の文章が辺見庸自身に突き付けられたとき、彼がどう答えるのかが問われていると思う。  

 下心なしのことばというものは全部なくなっている。それは全然カミュの時代とはちがう。みんな下心のある、モノを売るためのことばにしかならなかった。そこに怖さがある。もはや悪は悪の顔をしていない。悪は善の装いをして立ちあがってきている。そこに疑りの眼をむけなければいけないとぼくはおもうのです。

 辺見庸『同上書』116ページ。 

 

 

 

 

77.シベリアと香月泰男(その2)

 辺見庸による香月泰男の絵(「1945」)についての視角は前述したが、評論家・ロシア文学者である内村剛介は香月の絵のことを次のように述べている。内村も敗戦とともにソ連に抑留され、11年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、1956年末、最後の帰還船で帰国した

 香月の絵の残酷はもうひとつの残酷を打ち消すために惹き起こされてくる残酷なのだ。「この飢えて死んだ兵士たちのむくろは、かつて勝ちいくさのときには無残な加害者でもありえた。また敗戦後のシベリアでは互に裏切り合いパンを奪い合ったのであって、生きて再び満腹したら何を仕出かすか分かったものではない。」― 香月の乾いた抒情はそう言って会場の善男善女を弾劾している。

内村剛介『わが思念を去らぬもの』三一書房, 1969年、385ページ)。 

 

 内村剛介のいう「もうひとつの残酷」は、香月の「内的宇宙」のいかなるところから出てくるものなのか。香月の「乾いた抒情」の源泉はどこに見出せるのか。内村はそのことについては述べていない。

 だが、それらしきものは香月が著した『私のシベリヤ』(筑摩書房1984年)の中に書かれていた。(すこし長いが引用する。175-177ページ)。

 

 この香月の文章を読んだうえで、彼の描いた「シベリア・シリーズ」を鑑賞すると、新たな視点が沸き起こってくるかもしれない。香月は決して「社会的な義」から「シベリア・シリーズ」を描いたのではなく、稀少ゆえに闘争する人間のスィン、そして利己的遺伝子によって導かれる人類が認識されている。生物一般と人間との類比、「イデーとしての義」の平準化についても言及している。

 人間ではどうにもならぬ自然の摂理が存在するのである。戦争でもまたしかり。戦争をただ罪悪視するだけが能ではない。正義とかなんとか言っては戦争をぶっ始めているが、別に生物の本能から始められるものがある。人間がやたらと殖えれば他の過疎な弱種族の土地に活路を求めて行こうとするのも一つの戦争のあり方である。戦争なるものによって種族の繁殖を制御するしかない。人類が繁殖する限り、戦争はなくならぬものと昨今思うようになった。私の考えも堕落したと言えばそれまでのことではあるが、ライオンに草を食わすことは出来ぬし、鹿にライオンを食わすことも出来ぬ。人間がそうなればと念じているが―。

 

  こうなると私か戦争を罪悪視して描いてきたのはちょっと変ではないかと思うところもある。別な見方をすると、私の仕事は、戦争を案外美しく見ようとしているのではないかと反問するのである。少しはそんなところがあるかも知れん。戦争がなくて私がシベリヤに連れて行かれなかったなら、私の後半生は無に等しいものであったかも知れぬ。その方が本当はよかったのだが……。美しくなかった僅かな期間の兵役俘虜、それを美しいものとして充填しようとしているのが今の私の仕事でもあると言うのが本音かも知れぬ。しかし戦争が、人間一人一人にとってはまったく意味ない行為であることはことさら私が言うことでもあるまい。私は私個人の戦争体験(または心験と言ってもよかろうか)を描いているに過ぎぬ。人類が人間の集まりである限り、戦争は飽くことなく繰り返されてあることだろう。人間が人間を殺す。殺さねばならぬ必然もうらみもない。蟻のように集団で生活をしているから戦争が起るのであるから、集団を解いて個になるか。今の段階ではまったく蟻と異なるところはない。蟻は会議制で戦うのだろうか、女王蟻が命令するわけでもあるまい。指揮する人間はあたかも将棋の駒を動かす如く、人間を死地に追いやるのである。将棋の駒の如く人間が動かねばならぬ仕組が悪いし、動くからまた悪いのである。(下線は引用者)

 (175-176ページ) 

 

(中略)私の性情には、かなりの嗜虐性がひそんでいる(実例をあげることは、はばかるが)。映画やテレビを見ながら戦争を再び味わっているが、私がもし戦闘部隊に配属されて銃火の中にいたならば、私は私の本性にあるそれを露骨に出していたであろう。さすれば、私は戦犯として告発されて銃殺刑になって、今生きていることはなかったであろう、と思うと、今の私の生きている世界は私のものではないように思えてならぬ。私の本性をすべて出し切れる世界にいた方がよかったのではないかとも思うし、させてくれなくってよかったとも思う。私は何も聖人君子がよいと思っている人間ではない。人の世の中には絶対善も絶対悪もないのでは、と思う私である。(177ページ)

 

 香月泰男のこの文は、「美」のイデーの具現として絵画表現にNot(Notwendigkeit)としての義」が棘として食い込んでいることを示している。だが、それは深く考察することなく「想起」したことを吐露したものにすぎない。(「世界と人間のもっとも基礎的な関係としての〈稀少性〉」を述べたサルトルやカント哲学、マルクスなどをレビューした形跡はない)。

  さらに香月は、「現代の学問とその指導法のあり方について、反省しなければならぬことが多くあると思う」とし、吉田松陰の「行動を以って他を納得させる」点を高く評価している(同上書142-143ページ)。

 ところが吉田松陰は、新国家・富国建設という「大義幻想」ために侵略思想を捏ね上げた張本人であることはすでに述べたとおりである(本ブログ65回を参照されたい)。行動力に優れているからといって松陰をそのように評価することは軽薄のそしりを受けてしかるべきである。同郷の「偉人」とはいえ、香月の思慮に欠けた物言いであると言わざるを得ない。

 

  しかし、だからと言って、香月泰男の一連の絵の価値は少しも減ずることなく、永続するに違いないことについては付言しておきたい。

 

76.シベリアと香月泰男(その1)

 香月泰男は1943年に応召、満州に送られ、敗戦後シベリアに俘虜として抑留されたのち帰還した。その間、約4年であった。

 辺見庸が、香月について記しているのは全著作の中で次の箇所だけである。

 

  画家の香月泰男(一九二〜七四年)はかつて「1945」と題する不気味な画を描いた。画面いっぱいに、顔をはじめからだじゅうに無数の線条をはしらせた男が横だおしになっている。香月が『私のシベリヤ』(筑摩書房)で(同著のゴーストライターだった)立花隆にかたったところによれば、それは「満人たちの私刑を受けた日本人にちがいない」という。香月が敗戦後、中国からシベリアに送られるさい、「奉天」(遼寧省灌陽の旧名)のあたりで車中からみた屍体だった。(『1937』、397-398ページ。シベリヤ・画などの表記はママ)。f:id:eger:20170316152556j:plain

(中略)香月はヒロシマの屍体を無睾の民の被害を象徴する「黒い屍体」(じっさいには「赤い」それもあったのだが)とよび、線路脇にみた生皮をはがされたニッポンジンの「赤い屍体」に、加害者の死を象徴させる。香月はかたる。「赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか」「戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない」。だがしかし、よくよくかんがえてみれば、「黒い屍体」の責任も「赤い屍体」の責任も、被害の責任も加害の責任も、敗戦後七十年、まだだれもとってはいない。つごうのわるい時間はかつてよりぶあつく塗りつぶされたれたままである。(辺見庸『増補版1★9★3★7』、398ページ)

 香月泰男は、体が弱かった自分まで出征を余儀なくされることになった状況に、内心、反発しただろうことは想像するに難くない。一方、国家によって「殺され死」されてたまるかと思ったにちがいない。また、軍隊という組織の中に組み込まれ自分が均一化されることに対して強く嫌悪しただろう。

 しかしその香月の反戦厭戦、避戦の思いは、満州そしてシベリアでの過酷な生死不定の日々の中では意識の最深部に沈潜してしまった。唯一、時間が取れた時に家族宛ての「軍用葉書」(軍事郵便はがき)に絵を添えること、および収容所で頼まれて肖像画を描くことなどで癒された。それは生の原質をわずかにではあるが「美」に昇華させるものであった。

 香月泰男は、1947年に帰還後(と言っても十余年経過後)いわゆる「シベリア・シリーズ」において画家として後世に残る独自様式による創作活動を精力的に展開した。「反戦画家」としてみる向きもあった。香月自身はそう呼ばれることに違和感を感じていたものの、戦争が人間にとっていかに不条理・過酷・残酷なものであるかを身をもって痛感したし、それをモチーフにして絵画で表現することができるのは自分だとの意識も強くあったと推察される。

 シベリア・シリーズと呼ばれる絵画は57点ある。上記の「1945」(1959年作品)も含めすべて山口県立美術館に収蔵されている。今ではその美術館は、山口県長門市にある香月泰男美術館とともに山口県の「名所」の一つとなり、来館者も多い。(つづく)。

 

75.辺見庸「父を問う」(NHKの番組)について(その2)

 辺見庸の母がポツリと、「あのひとはすっかり変わってかえってきた。化け物のように変わって」・・・そのような口吻で復員してきた夫について呟いたと、辺見は『1★9★3★7』で記している。

 この記述から、敗戦で帰還した辺見の父の心の葛藤、荒みの一端が読み取れるのだが、そのことについては番組では触れられなかった。

 父と息子との情愛と反発。一般の父子にみられることに類比・収斂したり、戦争での加害性への言及を中途半端な形で取り繕うのではなく、戦争という「事態」が、辺見と彼の父の間でどのような「生存感覚」の変化をもたらしたのかを厳しく問うのがこの番組のテーマであったはずである。そのためには、辺見の父の戦後の心の葛藤、荒みを掘り下げてほしかった。

  「分列行進曲」(戦争中に使われた「抜刀隊」と「扶桑歌」を編曲)が、現在でも安倍首相や防衛大臣の観閲する陸上自衛隊の行進の際に演奏されている。進めや進め諸共に・・・。 

 戦争を、実時間・実空間でどうとらえるのかを徹底して問わなければならない。まったく同感である。かつて戦争に身を置いていた人びと、そして戦後生れの者たちがともに、過去の戦争が今の自分の身と世界にいかに刻印しているのか、戦争の「記憶と罪」の同心円の中心でかつて何が行われたのかを問い続けるのである。

 なお、上記以外でも辺見による情勢の背後への鋭い批評がいくつかあった。

 「紛争が続く中東各国の緊迫した情勢の原因はひとえにアメリカの中東介入にある」。にもかかわらず歴史的事実を無視し、難民・移民の排除政策を強行する。そこにトランプのおぞましさがある。―同感である。

 ポスト・トゥルースという言葉が聞かれる。それは普遍的な価値(男女平等、人権、博愛、友和、寛容等)すなわちイデーが崩壊していること意味する。そしてそれは客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治に影響を与えるようになる。同感。

 忖度することに長じたこの国の人々。他人(とりわけ強者や権威者)のふところに入らない、めくり返さない。記憶の墓を暴かない。

(瀆神することを避ける。それどころか、先の戦争で空爆され街が壊滅したことや敗戦したことを、なんと「天皇に悪かった」と懺悔する。これはいったいどういうことだ。辺見の指摘に同感。

 常に、最も低い視線から世界を見る(見上げる)必要がある。無用の者、役に立たない者の現実から見上げるのである。同感。

 (しかし厳密にいえば、視線の高低ではなく、個として「Notとしての義」の発現を育みつつ世界と自己の内なる敵に対抗するという姿勢が必要であると思う)。

 

 NHKの番組作成・編集上の問題

 共謀罪(テロ等準備罪)法について、安倍首相の「考えうるかぎりの対応をとるためために法制化するのだ」との発言をさりげなく放映(挿入)し、この法の大きな問題点について野党側の反論(その一端さえ)を放映しなかった。

 

付記

辺見庸「父を問う―いまと未来を知るために」

再放送はNHK教育テレビ、3月18日(土曜日)13時~14時。

74.辺見庸「父を問う」(NHKの番組)について(その1)

辺見庸の印象

 無精ひげ、右半身のマヒ、右目の視力低下、口の乾き、不如意に右唇から唾液が出るのを何度かぬぐう等、大病の後遺症や72歳の高齢を感じさせた。ただし、話の内容は示唆に富むものであった。

 愛犬(つれあい)とともに出演。(家族が家を出てから久しく、独居している寂しさを愛犬を飼うことによって癒す暮らしぶりを窺わせた)。

  ダーク・アンド・エンプティの時代。だからこそか、むき出しのコンクリートブロックの壁で囲まれた薄暗い地下室風の空間、白黒スライド写真、小さな灯りが一つ。「最も明るいところが最も暗い」の逆空間のなかで、辺見庸はひとり語り続ける。

 

番組内容 

 戦後を、国民は自分という主体がなく対処してきた。妄想・妄動だった戦争の実態を知ろうとしないこと=想像しないことは、「知的ではない」どころか「知ろうとすることに対する冒瀆」と辺見は言い切った。そのとおりである。

 だが、戦争を「社会的な義」として取り上げるならば例えばドイツについて言及するべきであったし、「知ろうとすることに対する冒瀆」とするならば「Not(Notwendigkeit)としての義」(小山俊一)から究明・アプローチがあってしかるべきであった。

 戦時下において「じゃあ、お前だったらどうだったんだ」と詰問され、または自問し、「もしその場にいれば殺していたかもしれない、いや99.99%殺していただろう」、多くの人がそう答えるように辺見自身も例外ではないことを認めている。

 戦争の当事者であれば仕方がなかったとして免罪されるのか。やはり承服できることではない。個が「Notとしての義」を、苦しみ悶絶しながら、または居てもたってもいられない方向で示すことにこそ意味がある。この点を突き抜けなければ「一億総玉砕」という集団意識を結局撃つことはできない。辺見がそのことを認識していないはずがないのだが、ぎりぎりのところで詰め切れてない。

 「Notとしての義」については、「怨」の字を掲げた水俣病被害者とその家族の意識と行動の核にそれがあった。そのほか全国各地での闘いで血を流した人びとのなかに見出せる。(そこでの「義」(Menschlichkeit)は誇れるものだったと思う)。

 なお、「戦争ではすべての国民が国による被害者であっただけでなく、自明のことだが加害者であった」という面を強く指摘するべきだったにもかかわらず、やはり番組では明示されなかった。

 小津安二郎の映画は、戦争の責任者、被害者、加害者を不在にする「コーティング」がなされているという点について辺見は話していたが。(つづく)

 

 付記

辺見庸「父を問う―いまと未来を知るために」

再放送はNHK教育テレビ、3月18日(土曜日)13時~14時。

 

73.辺見庸:TV出演(3月12日)への視角

 辺見庸が、病をおして近々NHK教育テレビに出演する(2017年3月12日:再放送3月18日)。テーマは 父を問うーいまと未来を知るために」。

 彼は、亡父をどのように語るのであろうか?NHKはこの時期、どのような番組作り・編集をする(できる)のだろうか?

 辺見の父は1943年に出征した。

 ほとんどの者が、内心、理不尽さを感じつつもそれを嚙み殺しつつ応召した。人間の存在のありようが、その背景に厳然としてあることを認めざるを得ない。

 この国は、五族協和さらには大東亜共栄圏の実現、「国」(すなわち天皇)への忠誠を求めた。そして、国民を乾いた縄で締め付けるように徐々に戦時へと追い込んでいった。

 出征者は、家族、父母、恋人、友、仕事、天職、こだわり、将来の暮らし、夢。それらを無理やり封印しなくてはならなかった。身辺に渦巻く戦争への駆り出しの雰囲気に叛くことは不可能だった。

「外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式をとる」ことを外発とすれば、人はまさに外発条件を受け入れる存在である(小山)。

 小山俊一は述べる。

 人間の存在がwas bornという受動態で始まること・自分という個として存在して他人になりかわれないこと・時間がさきへ不可逆にたつ一方であること・死ぬこと、という四つの条件によって、人間のいわば根源的受動性というものがなりたっていると考える。そしてこの四つの条件が歴史社会のなかにそれぞれ具体的な仕方であらわれるところで、人間のいわば二次的、事実的受動性というものがなりたっていると考える。

 出典:小山俊一『EX-POST通信』弓立社、1974年、34ページ。

  小山の指摘は意義深長である。

 「受け入れない」というトゲ(論理的契機)を内包しているかぎりにおいて個が存立する。そのことを銘記しつつ生きる。そして希望を持つことができなくとも、生きる。

(「受け入れない」という契機が失われれば、「受け入れた存在」なるものはただちに消失するほかない)。

 では、その精神的な支えはなにか?

 生きる身体(個としての身体)は、死を認識する存在として、死を受け入れる(問題とする)。受け入れながら生きる。

 もちろん戦地では、内発的には生きられない。今を生きる意味を失い、または将来への希望という意味を求めることもできない。

 ましてや有効な手段を得て「事績」を刻み歴史的な存在になり死を超えるなんてこと

はありえない。戦争は、生きていることの内容つまり意味を奪い、無化してしまうのである。

 「生き延びようという意思をもつこと、生き延びることが義務であり、生き延びることに意味があることを知ることが必要(フランクル)」なのだろうが、戦地ではそれはほとんど望むべくもないことだ。一刻々々を生きるしかない。生きるということは、人生が求めることに応える(答える)ことに生きることの意味を求め、その意味への意思を失わないことが必要、そうでなければ自己の「存在」が喪失することになるが、まさにその「喪失」を兵士たち、戦争当事者は体験する。 

 戦地ではフランクルのいう強制収容所での囚人の心理学における心理的反応の三つの段階に類比される体験をすることになる。

  1. 入所ショック:文字どおり「裸の」実存になる。これまでの全人生にきっぱり始末をつける。自殺を断念、どうせ殺される。そして佇まいを健康で働けるのだという印象を与えるよう振る舞う。
  2. 恐怖、憤激、吐き気のあと、情緒がなくなり、無感覚、無感動、無感情、無関心になる。そうすることによって、一日をなんとか生き延びることだけに全力が注がれる。
  3. 人間としての内面的な水準が群居動物の水準にまで下がる。個性が埋没する退行する。「均一化」される。   

 そのような状況の中で多くの兵士は、撃たれ、爆撃され、刺され、飢え、罹病し、自死し、死んでいく。精神的な支えや生きる意味を喪失し、戦意発揚を強制され、ぎりぎりの生命の灯を燃やす。ある者は暴行や強姦、殺害によって快を求め、ある者は隊の中でうまく立ち回り、狡猾な行動によって力の意思の充足へと走る。

 武田泰淳も戦地で二人を殺した。堀田善衛も「被侵略者」が虐殺されるのを黙ってみていた。辺見庸も、もし戦地にいたら慰安婦に性の欲求処理を求めただろうと述懐している。

 生き残って戦地から帰還した者はいかに生きるのか、振る舞うのか。強制収容所からの出所者の心理に通じるものがあるが、異なるのは、帰還兵は国によって出征を強制された被害者であるとともに戦闘・侵略の加害者でもあった(面が強かった)ことである。

・人が変わったように賭け事や女に走る。荒んだ暮らしに陥る。

・しばしば戦争中のことが思い出し心痛にさいなまれる、自己崩壊への防衛本能から か戦地での行動を肯定的に語る。

・金銭欲に身をゆだね、蓄財に努める。

・戦後民主社会に適応すべく早々に切り替えて「平和な」暮らし向きに没入する。

・贖罪の意識を秘めた生活を送る。

・国家とか、民族に与しない生き方を貫く。

 

辺見庸父親の行状を著作で述べている。~

(戦地で朝鮮人をスリッパで殴る、帰還後にはDV、パチンコに熱中、ヒロポン、借金、無言で息子と釣り、勤務先の新聞への戦記投稿、愛人関係など)

 なお、身内の出征を見送った者たちも、国家によってそうせざるを得なかったし、また少なからず自身も「殺され死」に追いやられた被害者であるが、一方で加害者でもある(「殺す」側の秤り皿にのっていた)。そのことを看過するべきではない。(今回の番組で、辺見及びNHKはそれについて明示できるか。注視したい)。

 現代社会は、いわば巨大な強制収容所であり、無機質で殺伐たる戦地である。そういわざるを得ない側面がある。人びとはそのなかで自己の人生から求められることを直覚できず、したがって答えられず、実現できず、責務を果たしえていない。

 ましてや個として世界に対抗しえていない。個としての生きる意味を見出しえていない。

 戦争は以前のものとは全く異なるものとなった。民衆を巻き込んだ一瞬の大量虐殺、無機質な殺戮手段の拡大、これらが高度技術・情報化しシステム化した現代の戦争の特徴となっている。

 それでも人生にイエスという。生き延びること、その中で人生が求めることに個として答え(応え)ていく。

 消費資本主義社会の中で、快楽と力(拝金・組織権力)への意思で動く生き方と百八十度異なる生き方に転換する。

 それは元来「受け入れる存在」である人間が、外発の受け入れ方を変革することであり、いわば関与の転換である。

 個の復権、人生が求めるものを感得し自分なりの事蹟を重ねる。

    収容所と化した現代社会でも、人生にイエスという。それは逆説を反転させた発語である。

 

 

72.洞察の分水嶺(その3)

 辺見庸は虚偽や衒いなどについてこんなことを語っている。

 人間の問いと応答は、そのなかに千態万様の(問いじたい、応答じたいの)虚偽や衒いプレやズレ、多少の演技をふくみもつものであろうし、それはそのまま人間存在の「根」そのものの危うさと妖しさにつながるだろう(『増補版1★9★3★7』201ページ)。

 ここでの「問いと応答」は、他者とだけではなく自己自身も含まれると考えられる。

 ところで、評論家の近藤洋太は、牽強付会に自分の思想の中核は「自己欺瞞論」であるとしている。

 しかも小山の自己欺瞞論を、「私という人間にとって、きわめて実践的に役立つのだ」と、あたかも処世のハウツーものにしてしまっているのである。まさに近藤は辺見庸や小山俊一の自己欺瞞への視座を矮小化(狭小化)してしまっているのである。そのことは「自己欺瞞に」にかかわる人間観察や「私事」の引用が的外れなものであることに如実に表れている。

 小山俊一の自己欺瞞についての見解は、生活人の「認知的不協和論」でもないし、ましてや処世論ではない。

1)まず①外から強いられる客観的「問題」、②内から発生する主観的「問題」の極点からはなれるにしたがって(とくに②の側では)、私たちが抱くどんな「問題」にも殆んど避けがたくウソがまといつく。いいかえると、そこに「切実重大」を感ずるときの私たちは殆んど避けがたく多少ともウソ人間と化さざるをえない。

2)そもそも虚偽は、外発と内発(個人の生における外発と自前化、そして大状況的には、たとえば夏目漱石のいう「外発」による西欧化と「内発」)との過程において必然的に生じる一種の罪業であること、そしてそれによる自己条件の引き受け、対峙、葛藤および斥動などの問題としてとらえられるものである。

 これらを踏まえて、小山の自己欺瞞にかかる真髄に迫る言葉に耳を傾けてみよう。

 私が自己矛盾としての「受け入れた存在」であるとは、それを私が存在するとは、どういうことか。そしてそのさい、「受け入れない」という論理的契機がさいごまでつきささっていて抜けないということはどんな意味をもつのか。こう問うときに、「〈存在〉としての私と全体〉としての私」という、割れ目だらけの壁開面をつたってここまでたどってきた問題性が、ここでいっきょに一つの究極的なかたちをとってあらわれることになるようだ。

  これが「人間の根本の生命」、心の中の「生命の木」を養うのには、血も死も抜き取った上積みの生命だけで間に合うと考えているのか?との疑問の解読につながってゆく。そして小山の次の一連の(箴言ともいえる)言葉が、そこへと架橋するのである。 

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〇自分の内部に陥没や空洞のような部分、ときにはガンの結節みたいな部分ができていて、自分が思考するとき(それが自分にとって本質的な思考であればあるほど)そういう部分との暗黙の取引ないし格闘をさけることができない。

〇何かを存在し何かを引き受けるということとちょうど反対物が、否定力、「斥動」それ自体だ。

〇日本の戦後史なるものは、「どんなに人をほとんど必然に自己ギマン化・ウソ人間化せずにおかぬ<嘲弄的>な仕掛けのものだったか」の説明だった。

〇ひとりひとりが己れの必然に衝突してそれに固執するほかない。ナショナルなものを政治行動の中で追及することは有害無益なことである。